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ノイファイミリーの日常、息子の成長など・・・
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今私はフランスの中にある、フランスの国外にいる。
もうすぐ私の旅も本当に幕を閉じる。
長いと思っていた2週間。
でも今となってはとても短く感じている。
このたった2週間の間に、私は10年分の人に出会い、10年分の経験をした。
全てがドラマだった。
愛あり、友情あり、家族愛あり、冒険あり……
私がこの2週間で体験したことを、人に伝えるのはとても難しい。
でも、日本に帰ってからの私を見て、誰もが思うだろう。
“彼女は何かをつかんだ!!!”
いつも旅に出る前に、私の期待は不安を覚える程に大きく膨らんでしまう。
これから向かう地は、
どんな所なんだろう?
何があるんだろう?
何に出会うのだろう?
何を見る事ができるのだろう?
そこで私は何を思うのだろう?
たった1人で歩きながら、自分自身と向かい合いながら、
何を感じ、何をつかみ取るのだろう?…
そうやって否応無しに膨らんでいってしまう期待とは裏腹に、
小さな不安も頭をよぎる。
こんなに期待していても、もしかしたらそこは、
何ということもない土地かもしれない。
何も起こらないかもしれない。
何も見つけられないかもしれない。
何も感じることもなく、何も得るものもないまま帰途に着くかもしれない…
だけどそんな不安は、旅立った瞬間に一気に吹き飛んでしまう。
旅はいつも、必ず私に期待以上の物を土産に持たせてくれる。
何も起こらないなんてことはないのだ。
何時も、何処にいたって何かは起こっている。
ただ、それに気付くか気付かないで通り過ぎてしまうかだけの違いなのだ。
私が素晴らしい出会いや経験と思っていても、
それは傍からみればとても他愛のないささいな一節でしかないのかもしれない。
でも、私にとって何か感ずるところがあれば、それは全て私の旅の収穫となる。
これから先の私の人生に於いて、大きな糧となる。
それでいい。
感じる肌を持っていることを確認できただけでも、
まだまだ敏感な心を持っていると再認識できただけでも。
私は何かをつかんだのだ!!

モハメドの風邪は良くなっただろうか。
アリは今日も優しくモハメドにヨーグルトを食べさせてあげていたのだろうか。
メリアンやママ達はもうみんな眠ったのだろうか
いろんな国で、いろんな人が暮らしている。
現実にもがき、苦しみ、そして諦めながら…
それでも尚、人は生きる。自分の人生を全うしようとする。
大きな大きな地球の中で、小さな人間達が生きている。

私は信ずる。
いい心を持とうと心がければ、必ず幸運はやって来る。
そしていい人が集まり、出逢う。
“Good people meets good people”
もしも誰かがモロッコを旅したいと言ったなら、私はすかさず言うだろう。
“それなら、あったかーいハートをお土産に忘れないで…”
そうすれば多分、その人は、モロッコの中でいい人達と出逢い、
いい経験がたくさんできるだろう。
もしも、人を羨んだり、妬んだり、疑ったり、傷つけたりするような人が
あの国を旅すれば、たちまち悪いモロキャン達の餌食となるだろう。
モロッコは、旅は、楽しさと怖さが表裏一体。
決してガイドブックの写真のように、美しいところばかりでもないし、
楽しいことばかりでもない。
それでも私はあの国を、私が旅した国々を愛する。
私が出逢った人々を愛する。

そして私は、再び旅にでるだろう。
旅の終わりは、次の旅の始まり。
幕は下り、そしてまた上がる。

夜明けのように。


                  +fin+





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夕方になるにつれて、前のセーヌ通りには人の数が増えていった。
あたりが薄暗くなると、通りを跨ぐクリスマスのイルミネーションに灯りがともり、
華やかさを増していた。
せっかくこうやってパリにいるのに、街を歩くことができなかった。
残念。
だけど、きっとまたパリを訪れることもあるだろう。
これが最後の旅ではないのだから…

少しずつ、荷物の整理をし始めた。
出発の前にシャワーを浴びようと思っていたが、
結局諦めて濡れたタオルで身体を拭いてから洋服に着替えた。
テーブルの上に出していた家財道具を鞄にしまい、
洗面道具などもリュックに詰め込んだ。
カートに鍵をかけた鞄とベルベル絨毯の包みをロープで固く縛りつけ、
乱れていたベットの毛布を整えた。
それからメモ用紙を出して、フランス語と日本語でお礼の言葉をしたためた。
“旅先で熱を出して困っていた私のことを、親切に泊めていただいて
 ありがとうございました
 この素敵なホテルの方々みなさんに、たくさんの星を送ります
 本当にありがとうございました“
メモと一緒にポケットに入っていたコインをテーブルの上に置いた。
電話のベルが鳴った。
フロントからスティーブさんが
そろそろ時間だからと言ってかけてきてくれたコールだった。
これから荷物を持ってフロントに降りていくと伝えると、
私のためにタクシーを呼んでおいてくれると言っていた。
コートをはおり、リュックを背負って、
私は1晩お世話になったお気に入りの部屋に別れを告げた。

フロントに降りていくと、
スティーブさんとタキさんが買ったばかりのパソコンをいじっていた。
タキさんはしばらく日本に帰っていて、昨日パリに戻って来たそうだ。
実家のある大阪のパソコンショップでノートパソコンを買ってきたので
早速設定をしてカラープリンターで試しうちをしていた。
スティーブさんは、自分でこうやって絵や文章をプリントアウトできるなんて
すごいすごいと、無邪気に驚いていた。
タクシー会社に電話をかけてくれている間、
私はフロントの椅子に腰掛けてタキさんとお話をしていた。
クリスマス前の土曜日なので、タクシーはなかなかつかまらないようだった。

タキさんは私の荷物を見て、とても旅慣れているようだと言った。
ホテルの人達の間では、日本人の女の子達は、誰しもが華奢で奇麗な服装をして、
サムソナイトのスーツケースを引いてパリを訪れるから、
一目で見分けがつくともっぱらの評判だった。
アメリカやヨーロッパの若者は大きなリュックや寝袋をかついで、
ジーンズにTシャツといった気軽な格好で旅をしている。
だから余計に着飾って、大きなスーツケースやブランド物の紙袋をひっさげて
歩いている日本人が目についてしまうのだろう。

それに引き換え、今の私の格好といったら…
風呂に入ったのは2日前、髪は乱れて、服もかなりくたびれている。
履いていたブーツはシャウエンの山道で痛めつけられ、
荷物の包みも破けてぼろぼろ。
さすがにパックパッカーを気取るにも、クリスマス前の華やかなパリの街では、
居心地の悪さを感じそうなくらいにみすぼらしかった。
タキさんは、殆ど英語でスティーブさんと会話をしていた。
フランス語は、いくらやっても覚えられないと言っていた。
言葉が苦手でも、普段の生活ではそれほど支障はないらしいが、
たまに質の悪いお客さんが来たときなどは、悔しい思いもするそうだ。
お釣をごまかしたりされて怒りたいと思っても、その言葉がでてこない。
相手がフランス語や英語でべらべらと攻撃してきても、
反撃ができなくて歯痒いと言っていた。
“そんなときは、こっちも大阪弁で勝手に言い返しちゃえばいいですよ。
だって大阪弁でまくしたてれば意味が解らなくても
何だかすごく迫力があるじゃないですか”と私が言うと、
タキさんは笑って同意した。

呑気におしゃべりしている間にも、時間は刻々と過ぎていた。
私はフライトの時間が夜中だったのでそれほど焦ってはいななったが、
タキさんやスティーブさんは何とか私のためにタクシーをつかまえてあげなくてはと
躍起になってくれていた。
近くのタクシー乗り場を見に行ってくれたりもしたがどこも行列ができていて、
しばらくこの寒空の下で待たないとタクシーには乗れそうになかった。
とうとうスティーブさんがしびれをきらして
タキさんに車をとって来るからここで2人で待っているようにと言った。
私は電車でも空港に行くにはまだ間にあうからと言ったが、
彼等は病気の私をこのままほうってはおけないからと、
空港まで送ってくれるために準備を始めた。
スティーブさんが車を取りに行っている間、
タキさんは私にあたたかい中国のお茶をご馳走してくれた。

旅の最後の最後まで、こんなにも優しい人達と過ごすことができて、
本当に幸せだった。
モロッコを、いや、Fezを発った時に私の旅は終わったと思っていた。
モハメドやアリ、モハメドの家族達と出会えただけでも、
この旅での私の収穫は大豊作だった。
充分すぎるくらいに幸せを感じ、満足を覚えていた。
もうこれ以上のことは何も起こらないだろう、
残りの時間はただ、日本へ向かう帰り道として過ぎてゆくだけだと思っていた。

それなのに、こうやって私は帰り道の上を歩いていても、
次々に親切な人々に出会っている。
そして新しい何かを感じ、旅の出来事の一つとして収穫している。
終わったと思っていた私の旅は、まだ続いていた。

スティーブさんが戻って来た。
ホテルに別れを告げて、タキさんと一緒に車に乗り込んだ。
大きな4WGに乗って、私はシャルルトゴール国際空港へと向かった。
スティーブさんの運転は、かなり荒っぽかった。
後ろに乗っていたタキさんはハラハラしながら彼に
気を付けて!前を見て!信号が赤よ!と声をかけていた。
タキさんも運転免許を持っているらしいが、
パリの街の運転はとても難しいので殆どペーパードライバーなのだそうだ。
スティーブさんの助手席ではいつもハラハラさせられて、
心臓に悪いと言って苦笑いしていた。
スティーブさんの方はそんなタキさんの心配もどこ吹く風といった感じで、
パリの交通渋滞を強引に潜り抜けていた。
今日はクリスマス前の土曜日だから、街はどこも車が多い。
パリの連中は、高いお金を払って車を買うが、
普段はメトロに乗って仕事に行くので平日車に乗る機会がない。
だからみんな休日の土曜、日曜に
せっかくの愛車とコミュニケーションをとらなくてはと躍起になり、
猫も杓子も車に乗ってパリの街を闊歩する。
おかげでこの通り。
土日のパリは自動車だらけなのさ…
道という道を自動車で埋め尽くされたパリの中を運転しながら、
スティーブさんはそう言ってぼやいていた。
北駅のそばにある劇場の前を通ったときに、
タキさんがこの劇場は内装が素晴らしいので今度パリを訪れたら是非入ってみて、
と教えてくれた。
残念ながら劇場の名前を忘れてしまったのだが、
次回パリ来たら迷わずHotel Luisianeに滞在するだろうから
その時にタキさんかスティーブさんにもう一度聞いてみればいいだろう。
ようやく市街をぬけて、高速道路にのった。
私達を乗せた車は今までの欲求不満を一気に解消しようとするかのように
スピードを上げて走っていた。
標識にシャルルドゴールの文字が現れると、タキさんはほっとしたようだった。
彼女は当の私よりも飛行機に間に合うかをとても心配してくれていた。
空港の建物が見えて来た。
私の乗る飛行機はアエロガール2のターミナルCから出発する予定だった。
昼間スティーブさんが電話で問い合わせをしてくれていたので、
私達の車は迷う事なく大きな空港のターミナルCへと入って行った。
とうとう、ここまでやって来てしまった。
とうとう、私はここから日本に帰るのだ。
車を降りて、スティーブさんとタキさんにお礼を言った。
リュックの中から持っていた私の名刺を出して2人に渡した。
タキさんは空港のカウンターまで私を見送ってくれた。
“本当にお世話になりました。
今度は元気な姿でパリを訪れて、またHotel Luisianeに泊まらせて頂きます”
私は最後にもう一度タキさんにお礼を言って別れを告げた。
そして1人で出国手続きカウンターの大きなガラスの向こう、
フランスの外へと歩いて行った。



夕べ飲んだ薬が効いたのだろうか。
目が覚めると、体中汗をかいていた。
下着やTシャツがぐっしょりと濡れている。
ベットの上でゆっくり起き上がると、頭がふらついた。
まだ体には、熱が少し残っているようだった。
シャワーを浴びたいと思ったが、そこまでの元気はまだなかった。
油断をすればすぐにでも、
今は影を潜めている熱が再び私の体を侵略しようと狙っている。
とりあえず、濡れた下着やTシャツだけ着替えることにした。
鞄の中から最後の着替えを取り出し、着ていた物を脱いだ。
タオルで首や手足を拭いてから、洗濯してあったTシャツを着た。
さらりとした綿の感触が心地よかった。

時計を見ると、10:30を回ったところだった。
普段なら、このホテルでの朝食の時間は11:00までになっている。
せっかく昨日オーナーが私のために朝食を用意しておいてくれると言っていたので、
あまり食欲はなかったが、起き上がったついでにジュラバをはおり、
部屋を出て3階のカフェテリアへ行った。

カフェテリアには、当然の如く誰もいなかった。
廊下を挟んで向かい側にあるキッチンにも誰もいない。
このホテルのカフェテリアはセルフサービスで、
いつもなら機械の中にコーヒーとホットミルクとお湯が入っていて、
カウンターに並んでいるカップに自分でコーヒーや紅茶、ココアなどを入れて飲む。
冷たいオレンジの生ジュースもある。
その横にドイツ風の黒いパンがスライスされて置いてあり、
パンぱ勿論ジャムゃバター、蜂蜜も好きなだけ取って食べられる。
ここのパンはすごくしっとりとしていて、パン生地の密度も濃く、
味も程よく塩がきいていてコクもありとても美味しい。
部屋で物書きをする時は、
よくトレイにコーヒーを乗せて部屋に持って行って飲んでいた。
後から自分でキッチンに片付けにくれば部屋で朝食をとる事も出来る。
ここは貧乏でいつもひもじい思いをしながら旅をしている私にとって、
とてもありがたいカフェテリアだった。
人の姿は見られなかったが、
カウンターの上にはいつものようにあの黒いパンがスライスされて、
乾燥してしまわないように袋に入って置かれていた。
各テーブルの上には、ジャムゃ蜂蜜が小さなバスケットに入って置かれている。
見るとコーヒーメーカーにも電源が入っていた。
近くに伏せて並べてあったカップをとり、
試しにコーヒーの注ぎ口のレバーを引いた。
少し煮詰まってはいたが、
コーヒーは湯気をたてながらなみなみとカップの中に納まった。
ミルクを探したが、それは見当たらなかった。
仕方なくパンを数枚とブラックコーヒーのカップをトレイに乗せて、
中庭に面した窓際の席に座った。
カフェテリアの入口から、赤い制服を着たボーイさんが入ってきた。
このホテルには廊下やカフェテリアなどに小型カメラが設置されていて、
その映像をフロントのTV画面で見ることができる。
防犯上の設備でもあるが、従業員の数を最低限に押さえながら、
お客が必要な時にサービスができるようにもなっているのだ。
ボーイさんもおそらくフロントの画面に映った私の姿を見て
様子を伺いに来てくれたのだろう。
挨拶をして、私は彼にコーヒーに入れるミルクをお願いした。
彼はバターも必要かと訊ね、
私が肯くと冷凍庫の中からカチカチに凍ったバターを取り出してくれた。
ホテルが閉まっているため、腐りやすい乳製品は片づけられていたようだ。
私は温めてくれたミルクとカチカチのバターを貰って、朝食をとった。

ホテルの中には、私の他にもう一人滞在者がいるようだった。
裏のビュッシ通りに面した部屋に、長期滞在しているらしきイギリス人がいた。
ボーイさんはカフェテリアの側にある彼の部屋のドアに向かって声をかけた。
コーヒーが入ったけれど飲みますか…?
扉の向こうからYESという返事が聞こえた。
そして50代くらいの男性が部屋から出てきて、
ボーイさんが入れてくれたコーヒーを飲んでいた。

私が半分くらいパンを食べたところで、オーナーのスティーブさんが
奥さんのタキさんと一緒にカフェテリアに入ってきた。
私はタキさんに挨拶をして、2人にお礼を言った。
今まで旅の途中にたくさんの人達が私を助けてくれたけれど、
どんなに私が感謝しているかを言葉で相手に伝えることができず、
とても残念だった。
もちろんみんな私の表情や仕種で理解はしてくれたけれど、
言葉を巧みに使いこなせれば、
もっともっと上手に私の気持ちを伝えられるのにと思っていた。
だけどタキさんには日本語でお礼を言うことができて、
私の言葉をスティーブさんにも伝えてもらえたので、なんだか気分がすっきりした。

2人はこれから近所を歩いてくると言ってカフェテリアを出て行った。
私は残りのパンを平らげて、再び部屋に戻って薬を飲み、ベットに潜り込んだ。
私にはまだ絵日記の続きを書くという課題が残っていた。
Fezにいた時から、あまりにも次々といろんな出来事に出くわすので、
絵日記は旅の工程よりもかなり遅れをとっていた。
パリに着いたら、1人でカフェの椅子に座って何時間でも粘りながら、
続きを書き進めようと思っていた。
だけど、今回はパリのカフェには1度も足を踏み入れる事はなさそうだ。
せっかく初めてクリスマス前のパリを訪れたというのに、
美しいイルミネーションや華やかに賑わう街の喧騒も、
この部屋の窓から眺めるに留まりそうだった。
横になりながら、窓の外をぼんやりと見つめていた。
今夜までになんとか体調を整えなくては…。
空港までは仕方がないから、タクシーを使おう。
夜までここでたくさん眠って、空港に向かい、飛行機に乗ってまた再び眠ろう。
日本に着いて、次の日からは仕事が待っている…
私の頭の中は、熱にうなされながらも現実モードに切り替わりつつあった。

何時の間にか眠っていたようだ。また身体がとても熱くなっていた。
小さな子供の頃のことは忘れてしまったが、
大人になってから風邪をひくことはあっても
こんなに高い熱をだしたことはなかったような気がする。
健康だけが取柄のような私が、久しぶりに、
しかも旅先で病に伏してしまったので、とても心細かった。
本当に今夜空港に行けるだろうか。
明日の夜には、自分の家に帰り着いているのだろうか。
私が日本から持ってきた薬は、
さっき朝食をとった後に飲んだ1錠で終わってしまった。
もう、風邪薬もアスピリンも残っていない。
サハラで、あの面白い眼鏡をかけたホテルの主人に
いくつか薬を分けてあげてしまっていたことが、今となっては悔やまれる。
時間を見計らって日本の自宅に電話をかけようと思った。
我家は家族全員がそれぞれ仕事を持っているので、
夜8時過ぎないと誰も家にいない。
ホテルの部屋から国際電話をかけようとしたが、
回線はつながっていないようだった。
仕方なく、フロントに行って電話をかけたいとお願いした。
オーナーのスティーブさんはまだ外に出かけていて、
さっきのボーイさんしかいなかった。
彼は電話の回線をつなげる操作の仕方を知らないようだった。
もうすぐオーナーが戻って来るから、ここで待っていなさいと言ってくれた。
私はフロントの前に置いてあった椅子に腰掛け、スティーブさんの帰りを待った。

“いいジュラバを着ていますね。お嬢さんはイスラムが好きなんですか?”
ボーイさんはにこにこしながら私に訊ねた。
彼はスリランカ出身で、実は彼もイスラム教信者なのだそうだ。
私がモロッコに行って、その帰り道にこのホテルに立ち寄ったことや、
イスラム文化を初めて見てその美しさにとても感動したことなどを話すと、
とても嬉しそうだった。
スリランカにも数多くのムスリムがいて、
素晴らしいモスクがたくさんあるのだと教えてくれた。
それから、私が熱をだして部屋で寝込んでいることを知ると、
アスピリンと水を持って来て、これをお飲みなさいと言ってくれた。
コップに入っている水の中にアスピリンを一錠落として溶かし、
ごくごくと飲み込んだ。
しばらくそこでスティーブさんの帰りを待っていたが、
彼はなかなか戻ってこなかった。
「お部屋で待っていて下さい。
オーナーが帰って来て、電話を使えるようになったら私が教えてあげます。」
ボーイさんにそう言われ、私は部屋に戻った。

ベットに入ってうとうとしていると、枕元の電話のベルが鳴った。
回線をつなげたから、日本にも電話をかけられるようになったと言われ、
早速家の電話番号をまわした。
電話口には、パパがでた。
熱が高いので明日成田まで迎えに来て欲しいと頼むと、
パパはとても心配していたようだ。
ホテルの人にお願いして病院に連れていってもらいなさいと言われたが、
表にでて病院まで行き、
フランス語でいろいろと病状を説明することも億くうだったので、
そのままベットの中で休んでいた。


パリに着いたのは、もう辺りが薄暗くなりかけた頃だった。
予定時刻よりも、かなり遅れた到着だった。
入国手続きを済ませ、荷物を取り、まず私は日本の家族へと電話をかけた。
聞き覚えのある声。
久しぶりの日本語。
こっちはやっとパリまで辿り着いたと思っていたのに、
電話の向こうの能天気な家族はまだパリなんかでふらふらしているの?という返事。
話したい事は山程あったけれど、
あと2日間、直接顔を見るまでとっておく事にする。

“おめでとう!”電話口で祝福の言葉をもらい、
私は今年の大きな自分の目標であった試験に合格していた事を知った。
年明けに自分の部屋の大改造をして、試験勉強に備えた。
何事も形から入る私は、まず環境を整えた上で、勉強に没頭した。
職業柄、家具選びには足と時間とお金を割いた。
気に入った物をこれからずっと長く使っていこうと、
東京中を歩いて椅子とテーブルを探して買いもとめた。
定番物のセブンチェア1脚と北欧家具の4人用のダイニングテーブルが、
私の机と椅子になった。
憧れの大きな机と、大好きな椅子が私の部屋の一員となったのだ。
何時の日か私が結婚して家を出る時には、
その机がダイニングテーブルとなり、椅子はダイニングチェアとなるだろう。
定番物の椅子は何年たっても手に入れる事ができるから、
新しい家族が増えた時毎に1つずつ数を増やしていこうと思っている。
お気に入りの物に囲まれて、私の受験生生活が始まった。
仕事をしながらの試験勉強は、自分と睡魔との戦いの日々だった。
だけど、これが終われば、憧れのモロッコが待っている。
全て終え、自分に課せられた課題をこなした上で旅に出れば、
きっとすごくいい気分だろう。
それだけを心の励みに、私は必死で努力の日々を送った。
そして、課題を終え、私はこうして旅に出た。
この旅は、一種の私自身に対するご褒美のような物だった。
今年1年、頑張ったワタシへ…

旅は、私の想像を遥かに上回る素晴らしさだった。
そして今、私は自分の目標が見事に達成できた事を知ったのだ。
肝心の合格発表の日、私はまだ呑気にモロッコの中にいた。
終わってしまえばこっちのもの、てな具合で、
結果を見る前にちゃっかり日本を脱出してしまっていた。
だけど神様は、ちゃんと見守ってくれていた。
私は、コワイくらいに幸せだった。
今年欲しかったものは全て手に入れてしまった。
もう何も思い残す事はない。
何も悔いが残らない。
今、不慮の事故に巻き込まれて死んでしまっても、
なんだか後悔はないような気がした。
だけどもし、神様が私に、もっともっと頑張りなさいと言ってくれるのならば、
また次の年に向けて新しい目標を見つけ、
それを目指してひたむきに生きていこうと思った。
家族に無事を伝え、帰りの飛行機の時間を告げて、私は受話器を置いた。
そして、軽い心と重たい身体をパリの市街に向けて運んで行った。

メトロに乗って、サンジェルマン・デ・プレへと向かった。
私はパリに来ると、何時もこの界隈に宿をとる。
東京でいう青山のど真ん中に自分の部屋があるような気分に浸れて、
それはそれは楽しい。
窓の外では人々が行き交い、
八百屋のかけ声やアコーディオンの哀愁を帯びた音色が響き渡る。
並びのカフェは朝早くから夜遅くまで開いていて東京にあるコンビニみたいに、
なんとなく私は1人じゃないんだっていう気分にさせてくれる。
東京の街の真ん中で1人暮らしをするには随分と高い経済力を要求されるが、
パリの真ん中の安宿に幾日か滞在すれば、都会での生活疑似体験ができるのだ。
夜遅くまで女の子1人でライブを楽しんでも、
千鳥足で歩いて自分の部屋のベットに潜り込める。

夕方のメトロはラッシュの時間帯でとても混雑していた。
飛行機に乗る時に預けていた荷物は、
いつのまにか括ってあったロープが緩んでへろへろになっていた。
ベルベルカーペットを包んでいた紙は破け、中の生地が顔を覗かせている。
私の熱もかなり上昇して、立っていることもやっとだった。
今にも倒れそうになりながら、私は荷物を引き摺り、
重たいリュックを背負って歩いていた。
サン・ミッシエルの駅で、
サンジェルマン・デ・プレを通るメトロ4号線に乗り換えようとしたが、
この駅はいろんな電車が走っていて、乗り換えをするのに階段が多い。
私には自分の荷物を持ち上げて階段を登る元気もいつしか消え失せていた。
そして乗り換えを諦めて、地上へ上がり、
歩いて何時も宿をとるセーヌ通りへと向かった。
 “こんなにもたくさんの人々がいるのに、誰も私の事を助けてくれない。
モロッコではあんなにみんな親切だったのに、パリの人達はみんな冷たいよ!
やっぱり都会の人間の心は凍っているんだ!”
病魔が私に、大好きだったパリに対して、そんな思いを抱かせた。
パリにしてみれば、“いい気なもんだよ”とでも言いたいとこだろう。
あんなにも憧れのパリ!大好きなパリ!って騒いでおきながら、
ちょっと病気して弱気な時にたまたま誰も親切な人に出くわさなかっただけで、
こんな風に思われたんじゃ、パリとしてもたまったもんじゃない。

私は、何度か泊まった事のあるわりと良心的な値段のホテル目指して歩いていた。
あそこなら目の前にスーパーもあるし、パン屋やお惣菜屋もある。
荷物を置いて、食料を買い込んで、そしてベットに、一刻も早くベットに入りたい。
目の前には、クリスマス前のイルミネーションが通りを飾っていた。
いつもなら手招きして私を魅惑するショーウインドウ達も、
今夜の私を誘惑することはできなかった。
私の頭の中には、ふかふかのベットと毛布の事しかなかった。
あと少し、あともうちょっと行けばあのホテルが私を迎えてくれる…

そしてようやく、目指していたホテルのあるセーヌ通りにぶつかった。
八百屋の角を曲がり、見覚えのある看板が目に留まった。
HOTEL LOUISIANE.
着いた。
私の今夜のねぐら。
だけど、何かが変だった。
何かいつもと違っていた。
ガラス張りのフロントを覗くと1人の紳士が座って本を読んでいた。
だが、そのフロントは妙に暗かった。
恐る恐る私は入口のドアの前に立った。
フロントの紳士がオートロックのドアの鍵を開けてくれて、私は中に入った。
Bonsoir! 
挨拶をして紳士に、今夜泊まりたいのだが部屋が開いているかと訊ねた。
すると、思いがけない返事が帰って来た。
“申し訳ありませんがこのホテルは今、閉まっているんですよ”
私はしばらく、彼の言っている事が理解できなかった。
閉まっている。
閉まっているとはどういう事?
ホテルが閉まっているなんて、そんな事ってあるの???

紳士の説明によれば、このホテルは今改装工事中のため
2週間程クローズしているとのことだった。
私はそれを聞いて、その場に倒れそうになった。
旅立つ前から、パリではここに泊まろうと思っていた。
他にもこの近所にいくつか泊まった事のあるホテルはあったが、
私の心強い見方だったこの界隈一番の安ホテルは、
ここ最近無情にも3星ホテルへと赤丸急上昇の格上げをして、
それに伴い料金も私の方に背を向けてしまっていた。
他の幾つかのホテルまでは、また少し歩かなくてはならない。
最後の力を振り絞って、やっとの思いでここまで辿り着いたのに…
私は絶望の表情を隠し切れなかった。

そんな私を見て、紳士は私にどうしてこのホテルを知ったのかと訊ねた。
ガイドブックで知ったのか、それとも誰か知り合いに聞いてきたのか?
私は、ありのままに以前何度かここに滞在した事があると答えた。
だからまさか閉まっているなんて思わずに、
空港から迷わずここ目指してやって来たのだと。
すると、紳士はにっこりと笑って私に言った。
“そうですか。あなたはここに泊まった事があったんですか。
それなら、これも何かの縁でしょう。
どうぞお泊まりなさい。
ホテルは閉まっているけれど、部屋は全て空いています。
見たところ、あなたは病気のようだし、
今夜はここに泊まってゆっくりするといいですよ”
私は自分の耳を一瞬疑った。そして彼に聞き返した。
“本当に?本当に今夜、ここに泊まっていいんですか?”
彼は大きく肯いた。
それを聞いた時の私が、どれほど幸せだったことか… 
多分誰も想像がつかないだろう。
ああ、やっぱりパリにだって親切な人もいる。
私はここに来る道々自分が思っていた事を全て撤回した。
都会だろうが田舎だろうが、モロッコだろうがパリだろうが、
そんな事は何も関係ない。
優しい心を持った人は世界中にいるんだ!
私は紳士に全身全霊を込めてお礼を言った。
それから、部屋代は幾らになりますかと聞いた。
すると彼は両手を小さく横に広げながら
“Nothing!なぜならこのホテルは、閉まっているのだから…”と答えた。
そして私が居たいだけ、いつまででも部屋を使っていいと言ってくれた。
私はまるで夢の中にいるような気分だった。
またもや降りかかってきた自分の幸運が信じられなかった。
どうしてこんなにいいことばかり起こるんだろう。
どうしてこんなにいい人とばかり出会えるんだろう。
旅の始めから終わりまで、私はコワイくらいにラッキーだった。
こんな事があっていいのだろうか。
もしかして私はこの旅で、一生分のツキを使ってしまったのかもしれない。

とにもかくにも、私は今夜のねぐらを確保することができた。
紳士は、1室のルームキーを私に手渡してくれた。
私はそれを握り締めて、エレベーターに乗り、
2階(日本の3階にあたる)へと上がって行った。
渡されたキーの部屋は、以前中を見てから取り替えてもらった部屋だった。
部屋自体はとても奇麗なのだが、
中庭に面しているためにとても静かで私には寂しすぎるのだ。
窓の外の喧騒を眺めるのが好きな私は、
以前来た時も、通りに面した部屋がいいといってそっちに移らせてもらった。
今回もまたただで泊まらせてもらうくせにずうずうしくも再びフロントに降りていき、
紳士に部屋を替えてもいいかと訊ねた。
紳士は快くそれに応じてくれて、別の部屋の鍵を渡してくれた。
それは、前に泊まった時と同じ部屋だった。
セーヌ通りに面したその部屋は二重窓になっていて、
窓を閉めてしまえば外の音は何も聞こえずとても静かだ。
だけど眼下には賑やかな街の灯りが見えて、道行く人々の気配が感じられる。
前は夏にやってきたので、風呂上がりに窓辺に座って、
夕暮れ時のアコーディオンの響きに飽くることなく耳を傾けていた。
お気に入りの部屋を当てられ上機嫌で荷物を置いてから
フロントの紳士にお礼を言いにいった。
彼は実はこのホテルのオーナーだった。
いつもこのホテルのフロントには女性の従業員が交代で座っていたので、
オーナーである彼と接したのは初めてだった。
ただ階段ホールに大きなブルーがかった肖像画が飾られており、
そのちょっとピカソに似た風貌には見覚えがあった。
あの絵は、このオーナーを描いたものだったのだ。
オーナーの名はスティーブさん。
彼の奥さんは、なんと日本人女性なのだそうだ。
奥さんの名前がタキさんというので、
私の名字のOTAKIという文字を見て同じ名前だと言っていた。
ホテルが閉まっているので、
今夜はこの建物の中に従業員が誰もいなくなってしまう。
私が外に出て、1人でもホテルの中に入れるようにと
オートロックの暗証番号を教えてくれた。
それから明日の朝、3階にあるカフェテリアで私が朝食を取れるように
パンとコーヒーを準備しておいてくれると言ってくれた。
タダで泊まらせてもらう上に朝食の面倒まで見てもらって、
本当に何といってお礼を言えばいいのかわからないほど感謝していた。
モロッコに居た時に身についたクセで、右手を胸に当てながら、
何度も頭を下げてお礼を言う私を見て、
スティーブさんは、あなたはブッダなのかと誤解していた。

一度ホテルの外に出て、向かいのスーパーで食料と飲み物を買い込んだ。
熱のためかさっぱりしたものが欲しくて、ヨーグルトとオレンジジュースを買った。
それから近くのパン屋に行ってパゲットを半分だけもらい、ホテルに戻った。
部屋に入ると、まず着ていた服を着替え、買って来たヨーグルトを1つ食べた。
こっちのスーパーでは、ヨーグルトが4個もくっついて売られている。
冷蔵庫のない部屋なので、4個も持って帰っても片づけられないと思い、
2つだけ売ってもらっていた。
余った1つは窓の外に出しておく。
12月のパリの夜なら、冷蔵庫代りになるかもしれない。
胃の中に物が入ったところで薬を飲み、早々に毛布の中に潜り込んだ。
ああ、やっと眠れる。
横になれることが、これほど幸せに感じられたことは今までなかった。
私の長い1日が終わる。

外では街の灯りがまだこうこうと輝いていた。
クリスマス前のウィークエンド。
人々の気配を遠くに感じながら、私は1人暗闇の静寂の世界へと向かっていた。




パンとコーヒーの朝食も済み一息ついたところで、
朝のもよおしの気配が私をおそった。
モハメドさんにちょっと失礼と告げて地下のトイレに駆け下りて行った。
トイレには洋式と和式便器がそれぞれ1つずつあった。
洋式便座の方は蓋が閉まったままで床に水が溢れていたので、
大分慣れてきていた和式便所の個室に入って用を足した。
旅のはじめの頃にはここに足を踏み入れる事すら恐くて仕方がなかったのに、
この数週間の間にこんなにも私は逞しくなったのね…
などと1人ほくそ笑み、水を流していざ表に出ようとすると… 
  
開かない。
ドアが。
正確に言えばドアの鍵が。
びくともしないのだ。
“またまたご冗談を…”などと誰にともなく呟きながら、
右に左にガチャガチャと動かそうと試みたが、
閂と掛け金は永遠の愛を誓い合ったかの如くその間には紙切れ1枚入る余地もない。
私の顔から見る見るうちに血の気と薄ら笑いが消え失せた。
代りに体中の皮膚の汗腺から冷や汗が吹き出して来るのを感じた。
ドンドンとドアを叩き、”Help me!!!“と叫んでも、
誰1人として私の声を聞いてくれた者はいなかった。
列車の時間までにはまだあと20分くらいあったが、
それまでに何とかここを脱出しなければならない。
   
私1人の力で、閂達の深い関係を引き裂くことは不可能なようだった。
だけど、便所に閉じ込められて帰りの飛行機に乗れませんでしたなんて、
面白すぎてみんな作り話にしか思ってくれないだろう。
私はぐるりと他に脱出の糸口がないかと、狭い個室の周りを見渡した。
すると、隣の洋式便所に面した間仕切り壁と天井との間に
30cmくらい隙間が開いていた事に気がついた。
約1800程度の高さがある壁をよじ登って隣の便所に飛び移れば、
何とか外には出られそうだ。
こんなところでまさか、憧れのスパイの真似事をするとは夢にも思わなかった。
しかも閉じ込められたのが自分が用を足した後のトイレだなんて、
ちっとも絵にならない。
だが、贅沢は言っていられなかった。
脱出の道は見つかったが、高さ1800の壁をよじ登るのは、
普段特別な訓練をされていない者にとっては至難の技だ。
アクション映画のスターみたいに自分の腕の力だけでヒョイといとも簡単に、
敵が攻めて来る前に飛び超えて、姿を隠すようなわけにはいかない。
私はもう一度、脱出の道筋をじっくりと検討した。
何か足を掛ける物はないだろうか… 

あったのだ。
壁に這っている径25mm程度の水道管が。
日本なら水道管が表に出ているなんて事はまずないが、
ラッキーな事にそれはどうぞ私を踏み台にして下さいと言わんばかりに、
ちょうど良い高さに壁を這っていた。
後はこいつが私の体重を支えきってくれるかどうかだけが問題だ。
私は恐る恐る水道管と壁との接合具合を確かめるように
足でくいくいと軽く踏んでみた。
なんとか一瞬なら、それは持ちこたえてくれそうだった。
私は意を決して脱出を試みた。
水道管に足を掛け、勢い良く壁に飛び掛かって上によじ登った。
そして狭い隙間の間で足を隣の便所の方に移動させ、
両腕で自分の身体を支えながら片足で蓋が閉まった洋式便座の位置を探った。
爪先が便座を探り当て、そこに向かってそろりそろりと身体を降ろして行った。
そしてなんとか隣の個室のドアから、無事に脱出することができた。

ああ、よかったぁ…

洗面台で手を洗い、持っていたタオルで手と冷や汗をかいた顔を拭った。
そして何事もなかったかのように軽やかな足取りでトイレを出て、
地上への階段を登って行った。



カフェの席では、モハメドさんが他の客と世間話をしていた。
お待たせしましたと言って、私は再び椅子に座って、
少し残っていたコーヒーを啜った。
そろそろ行こうと促され、私達はカフェを出た。
荷物を引いて、向こう岸のプラットフォームへ渡り、ベンチに座って列車を待った。
何時の間にか空の色が少しずつ明るくなっていた。

遠くの方から列車が近付いて来た。
私はモハメドさんに深々と頭を下げて、お礼を言った。
彼は、私の荷物を列車のステップの上に持ち上げてくれてから、
気を付けて帰りなさいと言って、私に手を振った。
席を見つけて座ってから、もう一度モハメドさんに向かって小さく頭を下げた。
そして私は、再び孤独な旅人となった。



列車がカサブランカの市街をぬけると、広々とした田園風景が車窓を流れていた。
行きの飛行機の窓から眺めたカサブランカの街と、その周りのゆったりとした大地。
今、私はその中を走り抜け、この国を去るべく空港へと向かっている。
約20分程で、列車はカサブランカモハメド5世空港へと到着した。
モハメドとアリが言っていたとおり鉄道の駅は空港の中にあり、
改札を出ればダイレクトに見覚えのある空港のチェックインカウンターの前に
着くことができた。
飛行機は昼過ぎに離陸の予定だったので、まだかなり時間が余っている。
私は1軒のカフェに入り、親切なモハメドさんのお陰で浮いた朝食代を使って
カフェオレを注文した。
それから、余っていた1枚の葉書と切手を取り出して、
Fezのモハメド一家にお礼の手紙をしたためた。
手紙を書き終え、切手を貼ってから、空港の中にあるPost Officeに行った。
このPost Officeには、行きのFezまでの飛行機を待っていた時にも
一度立ち寄っていた。
モロッコに入国して早々に、
自宅や親しい友人に葉書をしたためて送るために寄ったのだ。
初めてのアラブの国の郵便局で恐る恐る木のカウンターに身を乗り出して、
日本までの切手を下さいとお願いしたら、カウンターの向こうのおじさんは
予想外に優しく親切だったので、随分ほっとしたものだ。
それはほんの数日前の出来事だった。期待に胸を膨らませていた旅の始まりの時。
そして今、再び私はそのPost Officeのガラスの扉を開いた。
今度は旅の思い出に別れの手紙を出すために…
カウンターの向こうには、この間と同じおじさんが座っていた。
彼は私の事など覚えていてはくれていないだろうが、
今日もまた私ににっこりと笑いかけて、私の葉書を大事そうに受け取ってくれた。

Post Officeを出てから、私は空港の中をぷらぷらと歩き回っていた。
荷物が煩わしかったが、まだチェックインまでには時間があった。
ふと、TELブティックの前で足が止った。
ポケットには、まだ少しだけ小銭が余っていた。
私はそれを取り出して、モハメドの家に電話をかけた。
プーップーッという呼び出し音の後、メリアンが電話に出た。
私からの電話だと解ると、彼女の周りで家族中が大騒ぎをしているのが聞こえた。
みんなが私に、大丈夫?元気にしている?
あなたが帰ってしまってみんなとても寂しがっているわ、と口々に言っていた。
私は無事にカサブランカまで到着して、
昼過ぎにはモロッコを発つという事を告げた。

本当にどうもありがとう。
あなた達に出会う事ができて、私はとっても幸せだった。
日本に帰ったら、必ず手紙や写真を贈ります。
みんなとお別れするのが、とても寂しい…

私がそう言うと、彼女達も同じ気持ちだと言っていた。
モハメドは、夕べ私をFezの駅まで送ってくれた後再び家に戻り、
また熱を出して寝込んでいた。
それでも電話口に出て、
気を付けて、また逢う日を楽しみにしていると言ってくれた。
そうしている間に私の持っていたコインは全て使い果たされた。
電話が切れた後も、しばらく私は受話器を耳にあてたまま、
ぼーっと立ち尽くしていた。
彼等の声が、まだ聞こえて来るような気がしていた。
ようやくチェックインできる時間になった。
私は引いていたカートを預け、日本人には殆ど必要ないと思える出国審査を受けて、
モロッコの国に別れを告げた。

飛行機に乗り込んだのは、チケットに書かれていた時間よりも1時間以上後だった。
機内ではフランス語が飛び交っていた。
これから私は大好きなパリに立ち寄って、
そして明日の夜中に日本へ向けて帰途に着く。
でも、私に第二の祖国とまで言わしめたフランスに向かうにも関わらず、
私の心は沈んでいた。
飛行機を待っている間に、再び高い熱が私の身体と精神を支配しようとしていた。
そしてこの溢れるほどの思い出がつまった国を後にして飛び立つ事に、
深い悲しみを覚えていた。

いよいよ離陸の瞬間が訪れた。
速度を上げて飛行機が滑走路の上を疾走し始めた。
いろんな人に出会った。
いろんな出来事に遭遇した。
いろんな物を見た。
いろんな事を学んだ。
そして、いろんな事を感じた。
私は、頭の先から爪先まで、自分の身体の全てを使ってこの旅を感じた。
その全ての物に対して、心の中で別れを告げた。
いつかきっと、必ず私はここに帰って来る。その時まで、また一生懸命生きよう!!

飛行機の車輪がアフリカの大地から離れたと同時に、私の目から涙が零れていた。
ありがとう、モロッコ。
ありがとう、私の友達。
ありがとう、私の家族達…
見る間に、アフリカの大地はどんどんと遠ざかって行った。
海が見えた。
ジブラルダル海峡を超え、
私を乗せた飛行機はヨーロッパ大陸上空へと、
時の流れと同じように着実に前に進んで行った。




さて、まだ少し残っていたモロッコの旅。

さくさくっと、最後までいっちゃおうと思います。

すっかり終わりに見えた別れの時間の後で少しブレイクしていましたが。

でも実は、その後の二日間もまた濃厚だったのでした。


+ + + + + + + + + + + + + + + 


「マドモワゼル…」

肩を揺すられて、私ははっと目を覚ました。
周りを見渡すと同じ個室の乗客がみんな各々の荷物を抱え、
列車を降りる準備をしていた。
恰幅の良い紳士が、私もここで降りなければならないのだと教えてくれた。
急いでリュックを背負い、荷台から荷物を降ろそうとした。
隣に座っていたトローチをくれた紳士が、私が荷物を降ろすのを手伝ってくれた。
荷物を持つと、他の乗客の後についてぞろぞろとコンパートメントを出た。
列車の出入口にみんなと一緒に並んで到着を待った。
窓の外は夜明け前でまだ薄暗かった。
列車はだんだんと速度を落とし、人気のない駅のホームにゆっくりと到着した。

列車を降りると、恰幅の良い紳士は気を付けて良い旅をと言い残し、
先に歩いて行ってしまった。
私がどのホームで何処行きの列車に乗り換えればいいのかも解らずに、
途方に暮れた顔をしていると、
側にいたトローチをくれた紳士が切符を見せてごらんと私に言った。
私はポケットに入れてあったスーパーのレシートみたいな紙切れの切符を取り出し、
彼に渡した。
彼が言うことには、まず私はホームを超えて切符売り場まで行き、
ここから先の切符を買わなければならないそうだ。
ガラガラと豪快な音をたてて鞄を括り付けてあったカートを引いて歩きだし、
階段のところでそれを担ごうとしたら、
紳士が私に自分の持っていたセカンドバックを預け、代りに私の荷物を持ち上げて、
切符売場まで運んでくれた。
そしてTV画面に表示された列車の出発時刻を確認し、
私が乗るべき列車のホームと時間を教えてくれた。

空港に向かう列車が来るまでには、まだあと1時間以上もあった。
とりあえず、先に窓口に行って切符を買うことにする。
紳士は親切にも窓口に付いてきてくれて、私が切符を買うのを手伝ってくれた。
金額を聞いたら、ここから空港までの運賃は30DHだった。
財布の中から最後の50DH札を取り出して、窓口のおじさんに渡した。
とうとう財布の中に残された私の所持金は、
じゃらじゃらと音をたてる幾ばくかの小銭だけとなってしまった。
切符を受け取り、紳士にお礼を言ってホームで列車を待とうとしたら、
彼は列車が到着するまでにはまだ随分と時間があるから、
それまで一緒に温かいコーヒーでも飲みながら時間を潰そう、
そして君がちゃんと次の列車に乗り込めるように僕が案内してあげよう
と言ってくれた。
どうやら右も左もわからずに風邪を引いていながらも
1人でこれから旅立たなくてはならない私の事が、
とても不憫に思えたらしい。
モハメドやアリとの涙の別れの後に、またもやこんな風に親切な人に出会えて、
私はしみじみと人間ってほんとに素敵な生き物だな…と感じていた。

カサブランカの駅には、切符売り場の丁度裏手にあたるところに、
わりと大きなカフェがあった。
ホームに面した窓際の席に2人で座った。
紳士がカフェオレとチョコレート入りのクロワッサンを2つずつ注文した。
彼は昨日の夜から夜行に乗ってずっと起きていたので、
とてもお腹が減ったと言って笑っていた。
私達はそこで初めて自己紹介をした。
紳士の名も、これまたモハメドさんといった。
かれはコマーシャルプロデューサーなどという、
随分とクリエイティブな響きのお仕事をしている人だった。
カサブランカには、やはり仕事でやって来たそうだ。
どうりでモロッコの人にしては、
随分と仕立ての良いカシミアのコートやスーツを着ていたわけだ。
この国の中では、比較的エリートと呼ばれる部類の人なのだろう。
彼は私に日本はどんな所かと聞いた。
私は、とても騒々しくて人もたくさんいて、雑然としたところだと答えた。
私がモロッコの方が日本よりずっと美しくて、いいところだと言うと、
彼は驚いたような顔をして大きく首を横に振った。
「とんでもない。この国は世界から大きく遅れをとっている。
貧しくて、仕事も少なくて。
この国はもっともっと発展しなくてはならないんだ。」

私達がお互いの国の無い物ねだりをしている間に、
カフェオレとパンが運ばれて来た。
モハメドさんは、カフェオレの表面に浮いている泡をスプーンですくって
灰皿の上に捨ててからコーヒーをちびりちびりと啜っていた。
それから私に1つ食べなさいと言って、
チョコレートパンが2つ乗っかった皿を差し出した。
ぎりぎりの小銭しか残っておらず、今日は朝食も抜きかと思っていた私には、
彼の厚意はとても有り難かった。
思いがけず恵んでもらったパンの味をかみしめながら、
私はアリの言葉を思い出していた。

“Good people meets good people.”(いい人はいい人に出会うもの…)
私は自分がそんな風に言ってもらえる程のよい人間かどうかはわからない。
ただ、とてもラッキーな娘だということは強く感じていた。
そしてそんな星の下に生まれて来た自分の幸運に深く感謝した。
この気持ちをいつまでも大切に持ち続けていたいと思った。
世界中に温かい心を持った人々はたくさんいる。
だけどそういう人々と出会えるか否かは、その人の日頃の心がけ次第なのだろう。
自分の運命を切り開くのは、
自分の力、自分の努力が大きく物をいうかもしれないが、
幸運への道標となる偶然に出くわすのは、
何か別の力が作用しての事なのではないかと感じた。
窮地に陥った時、ぎりぎりの選択を迫られた時、自分の進むべく道に迷った時、
自分を導いてくれる人やツキ、流れにめぐり逢う事ができるかどうか、
それに値するだけの人物であるかどうか…
その判定を下すのは、幸運の女神の手に委ねられているのかもしれない。



名前を呼ばれ目を覚ますと、12時を回っていた。
モハメドがカスカドホテルで待機していたアリを呼びに行き、
私は自分のリュックを背負った。
ほんの少し眠っただけだったが、さっきより随分と気分が楽になっていた。
薬が効いて来たのかもしれない。
モハメドが戻って来て、私の残りの荷物を持って下に降りて行った。

とうとう私は家族達と別れなくてはならない時を迎えた。
小さな子供達やパパはみんな隣の部屋で眠っていたので、さよならは言えなかった。
ママもファティマもメリアンも、そして私も、
それぞれが目に涙をいっぱいためてさよならを言った。
きっと、必ず、またみんなに会いに来るからと約束し、抱き合い、キスをして、
そして彼等の家を後にした。
外でモハメドとアリが待っていた。
3人でpetit TAXIに乗り込み、Fezの駅へと向かった。
私は、これから本当に彼等と別れて1人で日本へ帰っていくという実感が
あまりわかなかった。
明日も明後日もそれから先もずっと、彼等と一緒に時を過ごすような気がしていた。

TAXIが駅に到着し、私が財布を出そうとしたら、
モハメドが君は支払わなくてもいいと言った。
そして彼は自分の財布の中から、
出会った日に私が彼に渡した50DH札を取り出して、運転手に手渡した。
私は朦朧とした意識の中で、心から彼にありがとうと言った。

駅に入ると、モハメドとアリが窓口に行き、切符を買ってきてくれた。
そして、ここからはCASA VOYAGEURまでの切符しか買えないので、
乗り換えをする時に切符を買わなくてはならないと教えてくれた。
売店でCOCAを買ってリュックに詰め込み、しばらくホームで列車の到着を待った。
ホームには深夜にも関わらずかなりたくさんの人達がいた。
私のようにジーンズ姿で大きなリュックを背負っている若者もいれば、
仕立ての良いコートに身を包んだビジネスマン風の人もいる。
もちろんジュラバをすっぽりと被ったいかにもアラブ人という風体の人達の姿もあった。

ゆったりと列車がホームに入って来た。
私達は3人で列車の中に乗り込み、コンパートメント車輌の中の空いた席を探した。
身なりの良さそうな人が乗っているコンパートメントの1席を見つけて、
モハメドとアリが私の荷物を荷台に上げてくれた。
それから私の前の席に座っていたとても恰幅の良い紳士に、
この娘はカサブランカの空港に向かいます、
フランス語ならだいたいの事は理解できます、
もしも乗り換えの仕方がわからないようだったらどうか教えてやって下さいと、
私のことをあれこれとお願いしてくれた。
まるで小学生の子供が、
夏休みに新幹線に乗って初めておばあちゃんの家に向かう時みたいだった。
大きな荷物だけ置いてから、私達はコンパートメントの外に出た。

モハメドとアリが列車を降りて行こうとすると、
私があまりにも心細そうな顔をしていたので、
列車が発車するまでの間一緒に君の側に居るよと言ってくれた。
モハメドは、私に大事な荷物からは目を放さないように、
列車の中では執筆を続けてあまりやたらと周りの人と話をしないように、
そしてくれぐれも気を付けるようにと重ねて注意してくれた。
私は彼の言葉一つ一つに肯きながら、だんだんと寂しさや心細さとともに、
涙が込み上げて来るのを感じていた。
“とうとうお別れなんだ。もうみんなと当分会えないんだ。
みんなみんな、とってもいい人達だったのに、
なのに私はまた、遠い日本に帰らなくちゃならないんだ。
この素晴らしい旅も、もう終わっちゃうんだ!!”
涙で曇った私の瞳を見て、アリが言った。
「お願いだから、泣かないで! 僕らはみーんな、君と同じ気持ちなんだよ。
君が帰ってしまう事が、寂しくて仕方がない。別れるのが辛い。
…だけど君は言ったろう? いい時は、早く過ぎるって… 
だからお互い、どんなに遠くにいても、いい時間を過ごすように心がけよう!
そしてどうか君も、いつの日か再びこの国を訪れる事ができるよう、
努力してみてくれ。
その時は、僕らはみんなで、君の事を大歓迎するよ。
君は、僕の本当の妹だからね。…愛する妹…!!」
私はアリの右手を強く握り締め、彼の頬にキスをした。
それからモハメドの、熱で火照った熱い体を抱きしめた。

とうとう本当に別れの瞬間が訪れた。
モハメドとアリが、私を1人残して列車を降りていった。
改札口の傍で、私の方を振り返り、2人で手を振っている。
私はコンパートメント車輌の通路の窓にへばりつき、
置き去りにされた子供のような顔をして、彼らに手を振り返した。
ぽろぽろと涙が流れ落ちた。
彼らの顔が見えないくらいに、
私の瞳とガラス窓が見る見るうちに真っ白に曇っていった。
そして列車が動き出す前に、
彼らは私に最後に大きく手を振って、背を向けて立ち去っていった。
私は彼らが、改札を出て、その先の駅の出口を通り抜け、
姿が見えなくなるまでずっと見送った。
そこには、何の音も言葉もなかった。
そしてまた、私を乗せた列車も、音もなく走り出した。



別れの瞬間は、とても静かに過ぎていった。



本当に悲しい別れの瞬間は、こんな風にとてもとても静かなものなのかもしれない。
よくある映画のクライマックスのように、
ムードを盛り上げるような音楽ももちろんなく、きのきいたセリフなんかもない。
走りゆく汽車にすがって涙を流して手を振るような、大きな動きもない。
淡々と時は流れ、静寂のなかでそれは過ぎていった。


どのくらい、そこに居たのだろう。
気が付くと、物売りがワゴンを引いて、私の傍に立っていた。
私は慌ててコンパートメントの中に入り、開いていた自分の席に座った。
モハメドやアリが私の面倒をお願いしていた恰幅の良い紳士が、
にっこりと微笑みかけた。
私も恥ずかしそうに小さくこくりと会釈をした。
フランス語が話せるそうだねと言われたので、首を振ってほんの少しだけですと答えた。
この個室の中には、
仕事でカサブランカに向かっているらしきビジネスマンばかりが乗っていた。
私の右斜め向かいに座っていた男性がみんなに持っていたガムを配ったのをきっかけに、
またアラビア語の世間話が始まった。
私は1人窓の外を眺めながら、
意味の解らない彼等の会話をなんとなくうつろに聞いていた。
頭が重かった。
それにひどく咳込むようになっていた。
思い起こせばモロッコに来る前から、私はかなりハードな日々を送っていた。
仕事で徹夜が続いていて、幾日も家に帰らなかった日々を思い出した。
ほんの何週間か前の事なのに、それは遥か昔の事のように思えた。
仕事が忙しくなる前は、私は試験勉強に励んでいた。
そうやって一つ一つ私の生活の糸を辿っていくと、
今年のはじめから随分とがむしゃらに走り続けていたのだという事に気が付いた。
この1年殆ど休む間もなく、
普通の人の半分以下ぐらいしか睡眠時間もとっていなかった。
ただただ全力疾走し続けて、そのままの勢いに乗って、
こんなに遠くまで飛んで来てしまったのだ。
ここら辺でどっと疲れが出ない方がおかしいかもしれない。

マドモワゼル。
隣に座っていた紳士が私に声を掛けた。
コートの内ポケットからトローチみたいなものを取り出して、一つ私にくれた。
ひどい咳をしているから、これを飲むといいと彼は言っていた。
知らない異国の人から薬をもらう事は少々ためらわれたが、
前に座っている紳士は恰幅もよくて強そうだし、
薬をくれた紳士も身なりが良かったし、
彼等みんながグルになって人を騙して金品を盗むには、
私はあまりにも貧弱でみすぼらしいカモであり、
カモを安心させるためにみんなが良い身なりをしていたとしたら、
経費がかかりすぎて多分元がとれないだろう、
などと瞬時にあれこれ考えを巡らせて、
有り難くそのトローチをもらって口に入れた。
当然の如く、それは眠り薬でもなんでもなく、普通のトローチだった。
喉がすっとして、気安めでも少し楽になった。
私は彼にお礼を言った。

それから私は鞄の中からスケッチブックを取り出して、
今までに綴って来た物を読み返し始めた。
たった今までそれは現在進行形で進んでいた絵日記だったはずなのに、
家族と別れ、友達と別れ、そして列車がFezの街を離れた瞬間に、
大きな旅の思い出の産物へと姿を変えてしまっていた。
そこに描かれたもの、記された出来事全てが、私の心の中に深く深く刻まれていた。
だけどそれはすでに現在ではなく、過去になってしまっていた。
私の旅は、もう終わってしまったのだ。
そう思うと、無性に切なくなった。
そして私は、何時しか眠っていた…



冷え切った部屋の中で、
私の身体の奥深くから震えが沸き上がって来るような感覚を覚えた。
だんだんと頭が重くなり、
自分で自分の身体を自由に動かすことすら疎ましいようなだるさを感じていた。
とうとう私にも、疲れの魔力が獲りついてしまった。
あまりにも急激な体調の変化には、
本当に何物かが私の身体の中に獲りついてしまったような感覚が宿っていた。
すぐに戻ると言っていたアリは、なかなか戻ってこなかった。
私の異変に気付いたモハメドは、
私をベンチに横たわらせて、自分の上着をかけてくれた。

どのくらいたっただろう。
震えながらうとうとと眠りかけていたときに、ようやくアリが戻って来た。
これからアリの家で、彼のママが作ってくれる夕食を摂ろうと言われた。
以前、カスカドホテルでアリのママのタジンを私にご馳走すると言っていた約束を、
彼は何とか果たそうと今まで奔走してくれていたようだった。
せっかくの彼の厚意を無にするのは心苦しく思えて、
フラフラになりながらも3人でアリの家に向かった。
アリは私が急に体調を崩していたので、驚きながらも心配していた。
モハメドとアリに両腕を抱えられて、
ベルベル絨毯屋の裏手に位置するアリ邸に入って行った。
彼の家は真ん中に大きな広間があって、
その左右にそれぞれ12帖程の居室があった。
どの部屋もとても天井が高く、その面積以上に随分と広く感じられる。
モハメドの家と同じように壁沿いにぐるりとソファが置かれ、
共布のクッションがその上に乗っていた。
ソファの隅にクッションを集めて鳥の巣みたいに取り囲み、
私はその中に埋もれるように潜り込んだ。
アリが毛布を運んでくれて、
食事の支度ができるまでの間、私はそのバリケードで寒さを凌いでいた。

私はモハメドの家族達が私達の帰りを待っているのではないかと心配だった。
ママやメリアンにハリラの作り方を教えてもらう約束もしていた。
すぐに戻ると言って出て来たのに、もう時計を見ると9時近かった。
アリにその事を伝えると、
例の如く彼はちゃんとモハメドのママに話をしてあるから何も心配いらないと言った。
メディナのネットワークに絶大なる信頼を寄せていた私は、それを聞いて安心した。

アリが自分の家族や友達の写真を持って来て、私に見せてくれた。
1枚1枚写真に移っている人や場所を説明してくれた。
5年くらい前のアリの写真が見つかったが、
何とそこに移っていたアリは
かのディカプリオにも退けをとらないくらいに美青年だった。
今は口髭をはやしているので実際よりかなり年が上に見えるが、
その髭がなくなると、こんなにも印象が違う物かと驚いた。
私がびっくりしながら、この頃のアリはとってもハンサムだったねと言うと、
彼は少し照れたように笑っていた。
私達が写真を見ている間、
モハメドは毛布にくるまってソファの上で横になっていた。
まだ風邪が治っていないのに外を歩き回ったので、
熱がさっきよりも上がってしまっていたようだ。
それでも彼は自分の身体の事よりも、私の身体の事をとても気遣ってくれていた。
自分の風邪が移ったために私の体調が悪くなってしまったと思い、
とても申し分けないと言っていた。
そして、私が今夜1人で発つ事を心配し、
自分も一緒にカサブランカに私を送りに行くと再び言い出した。
正直言って、私も彼等と別れてから
1人でこの重たい身体と荷物を引き摺って空港に向かう事に不安を感じていた。
元気なら、どんなハプニングに出くわしても
自分でなんでも対処できそうな気もするが、
今は自分の身体を前に進める事さえ億くうだった。
でも、これ以上彼に甘える事はできなかった。
私の旅に振り回されて熱をだした彼に、
これからまたカサブランカまで付き合ってもらって
1人でFezに帰ってこさせる訳にもいかないし、
それに何より、私にはもうそんなに甘えていられる程のお金が残っていなかった。
彼から以前聞いていただけのFezからカサブランカまでの列車賃だけは
なんとか取っておいたが、後は向こうに着いてから飛行機に乗るまでの時間、
朝食どころかコーヒーすら飲めるか飲めないかぐらいの小銭しか残っていなかった。
モハメドの厚意はとても有り難かったが、私は自分の懐具合を説明し、
残念ながら彼の申し出を受ける事ができないと伝えた。

彼はとても心配そうにしていたが、
代りにカサブランカ空港までの行き方を丁寧に説明してくれた。
FezからカサブランカのCASA VOYAGEUR駅まで行き、
そこで列車を乗り換えるとモハメド5世空港の中まで列車が通っている。
乗り換えさえできれば、空港までは簡単にいけるから大丈夫だと言っていた。
また、夜行の2等車にはいろんな人達が乗っていて女の子1人の私には危険なので
1等車輌に乗る方が良いと教えてくれた。
1等車はコンパートメント車輌になっていて、
乗客もモロッコの中では裕福な人が多いので、比較的安心なのだそうだ。
私の有り金で果たして1等車に乗れるものなのか心配だったので聞いてみると、
彼はアリと一緒に私が明日飛行機に乗るまでの間に必要な金額を全て拾い出し、
計算して、私の残金と照らし合わせてみてくれた。
列車賃、乗り換えてからの運賃、それから朝食代…
なんとかぎりぎりで間に合いそうだった。

私はいつも旅に出て、
最初の内は気が大きくなっていて後先の事を考えずに旅費を使い込んでしまう。
そして帰る頃になると必ず、空港までたどり着けるかどうかの瀬戸際に立たされる。
そして出発のときよりも重たくなった荷物と疲れた体を抱えて、
その土地で一番安い方法を使って空港に向かうのだ。
今回も例に洩れず、同じ道を辿りそうだ。
それでも能天気に、モハメドとアリに強がって見せた。
「ここのお金を持っていても私には使い道がないから残していたって仕方がないよね。
空港までなんとか辿り着ければそれで充分!」
それを聞いて彼等はすっかり呆れたような表情をして笑っていた。

夕食の支度ができた。
アリのママと妹、弟、そして私達3人で食事をとった。
アリは8人も兄弟がいるらしいが、
上の方の姉妹達はもうすでに結婚してみんな別々に暮らしていた。
今日は何故か小さい子供達がいなかったので、
とても静かで落ち着いた中で食事をとった。
アリにはお父さんがいないので、
彼が下の妹や弟達のお父さんがわりになっているようだった。
アリのママは、モハメドのママよりもかなり年が上のように見えた。
女手一つで数多い子供達を育てて来た苦労が顔や手の皺に刻まれていたが、
それでも苦悩の陰はなく、とても静かな温かさを持った人だった。
私もモハメドもあまり食欲がなかったが、
せっかくのもてなしを無駄にしては申し訳ないと、一生懸命に残さず食べた。
食事が済んで一息ついてから、私達はアリの家族に別れを告げた。
今日は急に具合が悪くなってしまったために、
彼等とはあまりいろいろと話をすることができなかった事を私が残念がっていると、
アリのママは優しく今度モロッコにやって来た時に、
ゆっくりと家に泊まって私達と過ごせばいいと言ってくれた。

表に出ると、石畳の道からしんしんと寒さが伝わって来た。
アリが私の額に手を当てた。
彼の表情で、かなり高い熱がでていることが読み取れた。
立っている事もやっとの私を2人で抱えるようにして
車の通っている道まで運んでくれた。
TAXIに乗り込んで、ブージュールド門に向かった。

モハメドの家に辿り着いたのは、もう11時近かった。
家族はみんな眠りについていた。
夕べは随分と遅くまでみんなで話をしていたので、
今夜は早くからベットに入っていたようだ。
私がほんの数時間の間にすっかり元気を失って、
熱でフラフラになって帰って来たので、ママもメリアンも驚いていた。
そしてすぐに起き上がって私の事を心配し、
薬を出してくれたり、毛布をかけてくれたりした。

夜行列車は夜中の1時にFezを出発する。
駅は寒いので、そんなところで列車を待っていたらきっと益々具合が悪くなる。
家を出るのは12:30頃で充分間に合うだろう。
それまでにはまだ時間があるから、1時間でも少し眠った方がいい。
そう言ってママやモハメドが私をソファに寝かせてくれた。
ママは自分がちゃんと起こしてあげるから安心して眠りなさいと、
私の側に座ってずっと優しく頭をなでてくれていた。
そのぬくもりは、決して忘れることができないだろう。
おおらかで温かい掌の優しさが、私を眠りへと導いていった。



別れの日、なんとまだまだ続いています。

どれだけ長い1日だったのか・・・

今思い返してもびっくりします。

でも、本当にどれも忘れたくない大切な出来事がつまっていた日なのでした。


+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + +



荷物の整理を始めた。
まだまだ真夜中の出発までには時間があったが、
後で慌しい思いをしなくてよい様に今の内に全て片づけておくことにした。
古い使用済みの下着やTシャツをまとめ、小さく丸めてビニール袋に詰め込み、
まだ半分以上残っていたシャンプーやリンスはメリアンにあげる事にした。
彼女はとても喜んで、大切そうにシャンプーとリンスをしまっていた。
もともとなるべく小さな荷物にしてきたつもりだったが、
モロッコ人の商魂逞しさに打ち勝つ程の修行が足りず、
ベルベルカーペットやラグなんていうがさばる物ばかり買ってしまった物だから、
結局日本を発った時よりも荷物は重く大きくなってしまった。

ママが片付けをしている私のところに来て、
昨日の夜話していたとおり銀のポットを持たせてくれた。
私はそれを自分のセーターでくるくるとくるんで、鞄の奥の方に大切にしまった。
憧れの銀食器を自分で買う事はできなかったが、
モハメド家のこのポットが、
いつの日か私が結婚したときに大切な嫁入り道具になることだろう。
そして子供ができたら、
このポットとの出会いや由来を物語り、
毎晩お茶を入れ、今度は私の家族の歴史を刻んでいきたいと思った。

ママがケーキを焼いてくれる事になった。
私に作り方を教えてくれると言うので、
早速スケッチブックを取り出して鉛筆を握り締め、
テーブルの上に並べられた材料を書き込んだ。
ヨーグルトとレモンの風味のさっぱりした焼ケーキ。
テーブルを囲んでママ調理長と助手のメリアンが
ボールの中に次々と材料を入れていった。
ママは小麦粉や卵の生地を何と手でかき混ぜる。
メリアンが私にケーキを作る時手を使うかと聞くので私は首を横に振った。
そしてスケッチブックの隅に泡立て器の絵を描いて
こんな道具を使ってかき混ぜると説明したら、彼女達も肯いて言った。
“普通はモロッコでもそれを使うの。
でも家のママは何故かいつも手でかき混ぜてケーキをつくるの”
とメリアンは複雑な表情をしながら私に説明した。
多分ママのケーキには、ママの掌を伝わってたくさんの愛情が注がれるんだね。
そんな愛情いっぱいのケーキを食べて優しく育ってきたメリアン達を見て、
ママの魔法の威力を知ったような気がした。

日が暮れかけて来た頃に、ケーキが焼きあがった。
何処から噂を聞きつけてきたのか、
何時の間にかモハメド家の食卓の周りには大勢の子供達が集まってきていた。
近所に住む奥さんも混じってみんなでケーキを切り分ける。
アリも仕事の合間を縫って私とモハメドの様子を伺いにやって来ていた。
アツアツの焼き立てケーキとコーヒーを取り囲んで
賑やかなコーヒータイムが始まった。
本当にモロッコの人達はよく食べ、よく飲み、そしてよく話す。
同じ部屋の中のベットで眠っていたモハメドも、
ようやく長い眠りから目を覚ました。
ケーキこそ口にしなかったものの少し朝よりも元気がでてきたみたいだった。

彼は私が今夜の夜行列車でFezを発つ事を気にかけていた。
そして自分も一緒にカサブランカまで送っていくと言い張った。
私は1人でも大丈夫だからと言ってなんとか彼を説得し、
もしも夜中までにモハメドの熱が下がらなければ、
アリにFezの駅まで送ってもらうようにお願いした。
 
ママのケーキの味はハリラ同様絶品だった。
甘すぎず、ヨーグルトとレモンの風味が香るさっぱりとした味で
中までふっくらと焼きあがっていてとても美味しかった。
私達がケーキを食べ、コーヒー飲んでいる間、
モハメドはホットミルクを飲んでいた。
ミルクの中には何か香ばしいスパイスが入つていた。
モロッコの人々は、
風邪をひいた時にこうやってスパイスを薬代わりに飲むのだそうだ。
日本で葱と味噌が喉にいいと言ったり、
中国で漢方医療が発達していたりと
世界各国でそれぞれの病気の治し方があるものなんだ。

ホットミルクとスパイスの薬が効いたのか、
しばらくするとモハメドは起き上がり、少し外を歩きたいと言いだした。
まだ熱が下がっていないから寝ていなくちゃと止めたものの、
1日中眠っていたから外に出て気分を晴らしたいと言って聞かない。
仕方なく私とアリと3人連れだって、すぐに戻るからと家族達に言い残し表に出た。

何処へ行くというあてもなく、ただぶらぶらと3人でメディナの中を歩いた。
あと数時間で私達3人共バラバラになってしまう。
私が旅立ってから幾日かすれば、
モハメドも長年暮らしたFezの街を離れてシェフシャウエンに仕事を探しに行く。
そうしたら、アリもモハメドもそして私もみーんなそれぞれ離れ離れだ。
私達は今までで一番沈んだ顔をして、肩を並べて歩いていた。
歩いている間に、いつのまにかベルベル絨毯屋さんの前にいた。
そこで久しぶりにミシミシの顔を見た。
絨毯屋さんの1階で、一人前の顔をして大人達に混じって世間話に聞き入っていた。
勝手知ったる何とかでずんずんと上の階にあがって行き、
店の少年にミントティーを頼んだ。
モハメドは、表に煙草を買いに行き、
私とアリが灯りの消えた2階でぽつんと彼の帰りを待っていた。

「屋上に上がってみる?」と聞かれ、
2人でメディナのど真ん中に位置する絨毯屋の屋根に登った。
下界では橙色の裸電球に照らされたメディナが賑わいを見せていた。
アリの家はこのすぐ近くにあるそうだ。
彼の家にもこんなルーフがあって、
よく上に登ってメディナを眺めたり、星空を眺めたりするそうだ。
モロッコの住居はたいていが陸屋根なので、
屋上を物干場や日向ぼっこに利用している。
パラペットにベルベル絨毯を干している光景もよく見られる。
今回の旅ではいろんなところでルーフに登ったが、
その何れもとても居心地が良かった。
ルーフに登るまでの間にある狭く急な階段が、妙に気分を高揚させる。
頭をぶつけてしまいそうな背の低い扉を抜けると、
そこには何処までも広がる真っ青な空が両手を広げて私達を待ち受けていた。
その体験は、なんとなく日本の茶室のにじり口を連想させる。
身体を屈めて人が潜り抜けるのに必要最小限の扉を通過する事によって、
無限に広がる空間(宇宙)へと導かれる…
俗世や地位や権力全てを、狭い入口を通過するという行為によって削ぎ落とし、
万人が平等に同じ1人の人間として迎え入れられる。
形こそ全く違うが、
モロッコと日本では、そんな風に似た空間利用の手法がたくさんあった。
だから私はこんなにもこの国でリラックスして、
妙に馴染んでいってしまったのかもしれない。
心の奥底に懐かしさや郷愁を覚えるのは、
日本民族である私の血が、体験した事のない古き良き時代の日本の生活を、
この国で見出したからなのかもしれない…

ミントティーが入ったと言われ、私達は2階に降りて行った。
ベルベル絨毯が掛けられたベンチに座って、ベルベルウィスキーで暖まる。
すきま風が通り抜けていく薄暗い部屋の真ん中で私達は丸くなり、
熱いグラスを握り締め、そこから伝わってくる温かさが、
掌を通して体中の血液に行き渡るよう、ただじっと動かずにいた。
ぽつりぽつり、アリと言葉を交わした。
旅の始めの頃は、15日間がとても長く感じられた。
だけどこうやって過ぎていくと、それはとても短いものだった。
私がそう言うと、アリはゆっくりと肯いて静かに答えた。
「良い時は、早く過ぎるものだね…」
私が次に彼等と会えるまで、多分2年はかかるだろう。
それは、とてもとても長い時間で、果てしなく遠い先の事のように思えた。
「だけど私もアリもモハメドも、次に私達が再会する日まで、そ
れぞれにいい時間を過ごせばいいんだね。
だってそうすれば、いい時間は早く過ぎるから、
きっとすぐに3人で再会する日が訪れるよ…」
私がそう言うと、アリは優しく笑って肯いた。

モハメドが煙草を買って戻って来た。
彼はまだ熱が下がらず少しふらふらしていた。
モハメドと入れ替わりで、今度はアリがすぐに戻るからと告げて下に降りて行った。
私はモハメドの額に手を当てた。
心配そうな表情をしている私に、彼は大丈夫だと言って微笑んだ。
私は、今アリと一緒に話していた事をモハメドにも伝えた。
もうすぐ3人ともばらばらに歩いていかなくてはならなくなるけれど、
次に再会する日が少しでも早く訪れるように、
それぞれに一生懸命に生きて、働いて、いい時間を過ごそうと。
そしてまた、一緒に素晴らしい旅をしようと…

それから私は、
彼がお父さんと早く仲直りしてくれる事を心から願っていると言った。
昼間彼が眠っている時にパパが電話をかけてきて、
私にただ一言だけ「モハメドを頼む」と告げた事を話した。
私はその言葉で、パパがどれほどあなたの事を愛しているかがよく解った。
あなただってそれに気付いているはずだ。
熱にうなされて眠っている間も、パパはとてもあなたの事を心配していた。
あなたのパパは、本当に優しい素敵な人だ。 
「彼はあなたを愛している…」
モハメドは、私の言葉を聞きながら、優しくも悲哀の満ちた瞳で私を見つめていた。
「君は、本当にいい人だよ…」
そう言って、彼は私の肩を抱いた。



家に戻ると昼食の用意ができていた。
午前中からのんびり風呂に入って帰ってすぐに食事にありつくなんて、
本当に贅沢な身分だ。
だけどこうやって家族みんなと一緒に食事ができるのも、後少し。
だから美味しいはずの食事にも、ちょっぴり寂しさが混じっていた。
みんなに優しく親切にされればされる程、
その先に待ち受けている別れが辛く悲しくなる。
家族達は私のそんな気持ちを知ってか知らずか、明るくいろいろと話しかけてきた。

食事が済むと、小学生2人は学校へ、そしてパパもまた仕事に戻った。
残された女達はまた部屋を片づけて、
おしゃべりをしながら午後のひとときを過ごす。
ハンマムに入ってほっぺたも身体もつるつるになった私とメリアンが、
写真を撮ろうと提案し、みんなで記念撮影をすることになった。
私が鞄の中からカメラを取り出すと、
メリアンとファティマがちょっとだけ時間をちょうだいと言って、
たんすの上からえんやこらと、積んであったスーツケースを降ろしてきた。
何が入っているのかと思えば、
その中には彼女達の一張羅であるよそ行きのスーツが奇麗にたたんでしまってあった。
せっかく写真を撮るのだから、思いっきり御目化しして撮ろう!というわけで、
急遽私達のメークアップタイムが始まった。
メリアンとファティマがよそ行きの服に御召しかえしていたので、
私も着ていたパジャマを脱いで、
メリアン達が奇麗に洗濯してくれていたジーンズとセーターに着替えることにした。
一応日本から持ち歩いていた化粧道具を取り出して、
ハンマムの蒸気ですっかり消え失せてしまっていた貧弱な眉毛を念入りに描き直す。
メリアン達は手鏡に向かって口紅を塗り始めた。
私が持っていた口紅を見せて、試してみる?と尋ねると嬉しそうに肯いた。
紅筆を取り出して、メリアンとファティマとにそれぞれ違った色の口紅を塗ってあげた。
私には女姉妹がいないから、
なんだかこうやって一緒に無邪気にはしゃぎながらお化粧をすることが
とても楽しかった。
もしも妹やお姉ちゃんがいたら、
時々こんな風に自分の化粧品を貸し合ったりメイクし合ったりするのだろうか…
なんだか楽しそうだなぁ
3人娘はすっかりご機嫌で其々の顔を見合わせて、誉めあった。
「すごーい!」「奇麗!」「まるでモデルみたいだよ!!」
私達のメークアップ姿を見て、ママも負けてはいられないと久しぶりに鏡に向かい、
髪を梳かして身繕いを整えた。
記念撮影の準備が整い、おばあちゃんも仲間に入って、
まずは大きな居間のソファに座ってみんなでポーズをとる。
肩を抱き合い、にっこり笑ってレンズに向かった。
下の階にいたミーナのだんなさんに何枚も何枚もシャッターをきってもらった。
今度はここで、次は娘達3人で、それから今度はママと一緒に…

隣の部屋で寝込んでいるはずのモハメドの事などすっかり忘れて、
女達の賑やかな記念撮影は続いた。

ひととおりの撮影が済むと、娘達はお化粧を落とし、元のパジャマ姿に戻った。
ママも再び髪を上げていつものママになっていた。
みんなまるで、ひととき華麗に咲いたシンデレラの魔法が解けたかのように、
またたく間に変身から立ち戻っていた。
彼女達は普段、派手なお化粧や服装をすることはできないそうだ。
家の中で過ごす事も多いので、質素な姿で生活している。
だからあんな風に何か特別な口実がある時は、着飾る事を楽しむのだろう。
若い女の子なら尚更だ。
この国では、まだまだ男社会が息巻いている。
街のカフェの椅子で座っている女性はだいたいが観光客だったりする。
男達が昼間外でミントティーをふるまい合いながら世間話に精を出す間、
女達は自宅に人を招いて井戸端会議に花を咲かせる。
女達がつましくも素朴な話題で豪快に笑い、
そして男達はビジネスや社会の話題を肴に悲しく唄う。

電話のベルが鳴った。
パパからの電話だった。
わざわざ仕事場から掛けてきたのだろうか。
私と話したがっているというので電話口にでた。
雑音が受話器の中を占領している間に
一言だけ私が聞き取り、理解できた言葉があった。
“MOHAMED, POR FABOR!(モハメドを、頼みます)…”
今夜日本に向かって旅発つ私に、
パパはどうしてもその一言が言いたかったのだろうか…
その一言でどれほどパパが彼の事を思い、愛しているかが
私には解ったような気がした。

パパは1人息子のモハメドをとても誇りに思っている。
彼が何カ国語も話す事ができて、とても賢く優しい青年に育っている事を、
嬉しそうに夕べ私に話してくれていた。
モロッコにはなかなかいい仕事も少なく、
せっかくの有望な彼の未来を何か花開かせる事ができないかと案じ、
気にかけている風だった。

世界中に自分の子供を愛さず、誇りに思わない親なんていないのかもしれない。



メリアンが戻ってきたので、
2人で着替えや下着類、シャンプー等をビニールの袋に入れて鞄に詰め込んだ。
大きな洗濯物を入れるバケツや桶を持って、いよいよ初めてのハンマムに潜入する。
階段を降りるとママの妹のミーナがメリアンに何か話をしていた。
後から彼女が娘のサーラを連れて来るので、
私達と一緒にハンマムに入れてあげる事になった。

ハンマムにはたくさんの女達が集まり、おしゃべりに花をさかせ、
子供達が走り回り、それはそれは賑やかな光景が見られるという。
メリアンと連れ立ってカスカドホテルのすぐ隣のハンマムへと向かった。
入口を入ると冷たい大理石張りの床と壁の広間になっていた。
傍の方にいわゆる番台らしきカウンターがあり、
そこでメリアンがお金を支払っていた。
暖房のきいていない寒い広間で服を脱ぎ(パンツだけははいたままで)、
震えながら急いで奥にある大きな扉の中に駆け込む。
扉の中はサウナのようになっていてとても暖かい。
長椅子にたくさんの女達や子供達が座って暖をとっていた。
その奥に湯気に煙った洗い場がある。
水汲み場とお湯汲み場があり、そこに行って桶で水とお湯を汲む。
持参した大きな洗濯物を入れるバケツに何度も水とお湯を注いで、
いっぱいにしてからそれを使って体や髪を洗う。
番台で貰ってきたヌルっとしたジェル状の石鹸でまず体を軽く洗い流す。
メリアンと2人で背中のながしっこをして、
今度は私が日本から持って来たシャンプーで髪を洗った。
メリアンは日本製のシャンプーとリンスを喜んで使っていた。
このシャンプーは使った後髪がサラサラになるんだよと言うと、嬉しそうに笑った。
彼女は黒いちょっとくせのある髪をしているが、
本当はさらさらの日本人のような髪に憧れているのだそうだ。
若い女の子が思い、願う事は何処に行ってもだいたい同じなんだね…
それから私は自分が持っていた身体洗い用のタオルで石鹸を付けて
身体を洗い出した。
メリアンの方はさっきルーフの上で一生懸命縫い合わせていた小さな布で
身体を擦り始めた。
見るとぼろぼろと垢がでていた。
あれは垢すりに使うための物だったのかと初めて知り、びっくりした。
ちょっと目の荒い布だけど、それほど肌にちくちくするような物ではないのに、
その効果は抜群だ。軽く擦るだけで驚くほど垢がでてくる。
若い女の子であるメリアンの名誉を汚さないように
くれぐれも言っておかなくてはならないが、
それは決して彼女の身体が特別に汚れているのではなく、
本当にその小さな布切れの威力が絶大なのだ。

彼女が身体を洗い終わってからその布を使ってみるかと聞かれたが、
私はもう石鹸を付けて自分の身体を洗い終り、
少しハンマムの高い温度に上せ気味だったので、
もうそろそろ外にでるからと言って一度は断った。
ところが一度大理石の広間にでたら、
そこでママが昼休みで帰ってきていたハスナとハサニヤ、
そしてサーラを連れて来ていて私達の事を待ち受けていた。
しっかり身体を洗ったかと尋ねられ私が肯くと、
どれどれ…と私の腕をぐいと掴んでメリアンが持っていたさっきの布で
軽くひと擦りした。
すると、黒く大きなひとかたまりの垢が、
それこそボローリと音をたてるように私の身体から捲れて床へ落ちた。
私はびっくりして、ママと顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
メリアンも横であらあらという顔をして笑っている。
裸のまま引っ張られて広間の隅っこに連れて行かれ、
そこで腰をすえてママに身を任せる覚悟を決めた。
右腕、左腕、背中…
サハラに行く前からざっとシャワーを浴びていただけだから、
普通に考えてもかなり汚れは溜まっていたはずだ。
…それにしても、こんなに沢山私の身体には余分な垢がこびりついていたの???
その量たるや、後から思い出してもすごかった。
あの垢の分だけ体重から差し引くと何kgになったのだろう。
あのハンマムに体重計がなかった事が悔やまれてならない。

体中をぴかぴかに磨いてもらって、私はすっかり身も心も軽くなった。
私の身体を洗ってくれた後に、ママはメリアンの身体もきれいに洗ってあげていた。
私は本当に自分がママの娘であり、メリアンの姉妹であるような気がしていた。

年頃の若い娘2人?がぴかぴかになったところで、
ママはサーラを私達に預け、家に戻って行った。
なにしろ寒い大理石張りの広間で垢擦りをされて
1皮どころか3皮くらい剥かれた後だったので体中冷えきってしまっていた。
再びハンマムの中に入り、お湯をかぶって身体を温める。
そしてメリアンと2人でさっきママが私達にしてくれたように
サーラの事をぴかぴかに磨いてあげた。
くりくりの柔らかい茶色の髪の毛も洗ってあげて、
サーラもとても気持ちよさそうだった。
メリアンの言っていた通りの、
賑やかな女達のおしゃべりと子供達のはしゃぐ声が響き渡るハンマムは、
想像以上に私を奇麗に、そして身軽にしてくれた。




いよいよ「その日」が訪れました。

長い長い1日が、はじまります。


+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +


朝モハメドの呻き声でみんなが目を覚ました。
彼は昨日から具合が悪そうにしていたがとうとうここにきて高い熱を出し、
本格的に寝込んでしまった。
メリアンやママがレモンを薄く輪切りにして、彼の額にあてていた。
薬を飲ませようとしても、すぐに戻してしまってぜんぜん効果がない。
私につきあってサハラからシャウエンまで、
一緒に強行スケジュールをこなしてくれたから、とても疲れてしまったのだろう。
ママがバケツとポットに入れた水を持ってきたので、
私はその水で自分の手を濡らし、彼の顔をまんべんなく冷やしてあげた。
みんなが心配そうに彼の周りで様子を窺っていた。
家出中とはいえ、こんなにも家族みんなに愛され、
心配されているモハメドがなんだか少し羨ましく思えた。
しばらくすると彼が眠りについたので、
周りの家族達の日常が何事もなかったかのように始まった。
小学生のハスナとハサニヤは学校へ行き、パパは仕事に出かけた。
メリアンとファティマは各々のホームワークをこなし、
ママとおばあちゃんは時々眠っているモハメドを気遣いながらも、
家事に精をだしていた。

ママがルーフで洗濯を始めた。
メリアンがその前で小さな木の椅子に座って何やら縫い物をしている。
私もメリアンと並んで座りながら彼女達とおしゃべりをした。
メリアンが日本では洗濯をマシンでやるのかと聞くので、私は肯いた。
私はここで初めて洗濯板を使って洗濯をした。
私にとってはそれは初めての体験で、
とても新鮮な目新しいひとつのイベントのようなものだった。
だからある意味で面白く、
また彼女達とのコミュニケーションの手段として良い方法だったのかもしれない。
でもあくまでもそれは日常ではなく、旅先での1つの出来事であり、
日本に帰ればまた機械が洗濯をしてくれる生活が待っていてくれる。
正直に言えばその機械を使って洗濯をして、洗濯物を干してたたんでくれるのは、
私のママなのだ。この年で本当に恥ずかしながら…

だけど彼女達にとって洗濯はかなり大変な労働なのだ。
子供達の数も多いから、次から次へとやってもやっても
洗濯物が毎日容赦なくでてくる。
その家族全員分の洗濯物を全て手でやらなければならない。
裕福な家庭には洗濯機もあるようだが、
まだモロッコの一般家庭に洗濯機はそれほど浸透してはいないらしい。
何故かサテライトTVはわりと普及していて、
そこから世界中の映像が目に入って来るから多分洗濯機の存在自体は知っていても、
経済的にそれを手に入れるまでには至らない。
モロッコの人々にとっては、自動車や洗濯機はまだまだとても高価な品物なのだ。
おばあちゃんやママの世代にとって手で行う洗濯は当たり前であっても、
メリアン達若い女の子達にしてみると、それがとても歯痒い事の様だ。
「私達にお金さえあれば、洗濯物なんて全て機械にやってもらう事ができるのに…」
彼女は溜め息まじりで肩をすくめて私にそう言った。
世界中に情報のみが先走りして、
物質が後手に回ってしまったときの歪みがそこに感じられた。
何時でも何処でも便利な物、新しいものを先に手に入れるのは経済力のある人間で、
そうでない人々の手に行き渡るまでにはとても長い時間がかかる。
昔のように情報も遮断された生活であれば、
その存在自体を知らないから不便な事も当たり前のように受け止めて、
現状に不満を覚える事も少ないだろう。
でも今は、皮肉な事に情報だけはどんな細かい網の目をも潜り抜け、
世界中の人々の目に飛び込んで来る。
特に若者は万国共通でそんな新しい情報には敏感だ。
世の中は目まぐるしい勢いで変化していて、
次々と新しく便利なマシンが造られ、利用され、消耗され、そして捨てられていく。
それらを当然のように手に入れられる環境にいる者もいれば、
目の前に眺めながら、手に入れられない者もいる。
果たしてそうやって消耗型の生活を送る事が良い事なのか、
私はこの旅でもう一度その事について考え直す必要性を感じたりしたが、
逆に彼女達にしてみれば、
便利な機械を手に入れたい、
そうすればもっと自分達の生活も楽になり良くなるはずだと感じるのかもしれない。
何十年か前の日本人達がそうであったように…

メリアンの縫い物が終わり、彼女がハンマムに行く為に石鹸を買いに行ったので、
私は家の中に入り、モハメドの様子を窺った。
彼は相変わらず、ぐっすりと眠っていた。
額に手を当てると、まだとても熱かった。
おばあちゃんがソファに座って私とモハメドの姿を眺めながら、微笑んでいた。
「大丈夫、すぐに元気になるから心配しなさんな。」
おばあちゃんの優しい瞳はそう言っているみたいだった。



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プロフィール
HN:
masu
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/09/27
職業:
一級建築士
趣味:
しばらくおあづけ状態ですが、スケッチブック片手にふらふらする一人旅
自己紹介:
世田谷で、夫婦二人の一級建築士事務所をやっています。新築マンションからデザインリフォーム等をはじめ、様々な用途の建築物の設計に携わっています。基本呑気な夫婦で更新ペースもぬるーく、更新内容も仕事に限らずゆるーく、でもていねいに、綴っています。
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