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ノイファイミリーの日常、息子の成長など・・・
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随分朝寝坊してしまった。
こっちに来て毎日8時間は寝ている。
目覚しなしで好きなだけ眠れるのは、本当に幸せ。
モハメドが朝食を部屋に運んでくれた。
チョコレートのパンとカフェオレのPetit Dejuner。

腹ごしらえをして、しばらく絵日記を描いていたが、
とうとう私もトイレに行きたくなった。
とってもとっても勇気がいったが、こればっかりはどうにも仕方のない事なので、
やむを得ず、アラビア式和風便所の洗礼を、私も受けてしまった。
この形の便器は、以前最初に1人でパリに行った時、
わけも分からず入ったカフェにあった物と同じ。
床に刳り貫かれた便器の真ん中に2個所楕円形の持ち上がりがある。
その少し後ろ側に丸く穴が空いていて、水がたまっている。
持ちあがった部分に足を乗せて、丸い穴めがけて用を足すしくみだ。
自分の足やズボンに粗相をしないように随分と気を使ったが、
何とか無事に用を足す事ができた。
日本のボットン便所よりも2まわりは小さい穴に命中させるのは難しいのではないかと思ったが、意外にも上手い具合に私の分身は穴の中に消えて行った。この穴の位置と大きさは長年の経験値で決められているのだろうか…
さすがに紙だけは使わずにいられなかったが、それでも大きな難関を突破して、
これでもう大抵の事はクリアできるだろうと、自信がついた。
それはそれは日常的な、些細な事1つクリアするだけで、
これ程までに自信がついてしまうのだから、
今、自分に自信を失いかけている若者達よ!旅に出て、用を足せ!!
と声を大にして言いたいと思ったが、こんな事で一喜一憂している単純馬鹿は、
はたして私だけなのだろうか…



いざ、メディナに繰り出す事にする。
モハメドがFezの街を眺められる、中庭風の公園に連れて行ってくれた。
壊れかけた古い木の扉をくぐり、秘密の通路を抜けると、
そこにその公園はひっそりと佇んでいた。真ん中のベンチに腰掛け、街を眺める。
Fezの街には、傾斜した土地に家々が密集し、
互いに支え合い、交錯しながら建っていて、ところどころの不規則な隙間に、
こんな見晴らしの良い公園が隠れている。
でもこの景色を見ていると、この空間が果たして偶然に出来上がった物なのか、
それとも計算されて造られたものなのか、判らなくなってくる。
偶然に出来上がった物だとすれば、
ここで生きる人々が生活の中で、自分達にとって心地良い空間を、
既存の物から創り出す術を見事に心得ているという事になるだろう。

Fezの街はつぎはぎだらけだ。
次から次へと古いものの上に重なり合い、交わり合いながら物が建てられている。
決して街は清潔とは言えないし、気を付けていないと泥濘に足を踏み入れたり、
ロバの糞を踏んづけてしまう。
道は入り組んでいて、夜は暗い。
でも、それでもそこには人々の生活がある。
彼らはこの街を美しいと思い、この街を愛している。
古い街で暮らすには、不便な事も多い。
これだけ情報が発達した社会の中で、それでもなお、彼等は変わらぬ生活を送る。
変わってきた部分も確かにあるのかもしれないが、街の風景は変わらない。
今目の前にある物の中から、幸せや快適さを創り出し、利用して暮らしている。
自然と共に。
それに逆らうことなく共存し、恩恵を授かり、
同化しながら何年も何百年も何千年も…そこに存在し続ける。

色々な風景を色々な国で眺めたが、
どう頑張っても、建築物は自然にはかなわないという事が見えてきた。
人間が自然の中でちっぽけな存在である様に、人間が造った建築物も、
自然の美しさの前にあってはどうにも太刀打ちできない陳腐なものだ。
著名な建築家達がこぞって、光や風、水や緑を己の作品のコンセプトとして、
もっともらしくうんちくを唱えて利用しているが、
彼等の造ったものが一瞬美しく見えるのも、
決して人間がかなう事のできない自然の偉大さの一部を拝借しているお陰であって、
建物そのものが発する美しさではないのではないかと疑問を感じた。

ただ、こうして何千年もの時を経て、変わらぬ姿で存在し続ける街を眺めると、
やはりそれは美しく、魅力的だ。
おそらく、自然と共に長い年月そこに存在し続ける間に、
いつしかその建物達は自然と混ざり合い、同化していってしまったのだろう。
夫婦が長年連れ添う間に、だんだんと顔が似てくるように、
建物が月日とともに自然の一部と化していて、
それでこの街がこのように美しい姿を
現在の私達に見せてくれているのではないかと…
赤ん坊の肌はきめ細かく、その目は汚れを知らず美しい。
成長していくと共に、善も悪も吸収し、いつしか少しずつくすんでゆく。
だけどその人の生き様によって、
年老いて刻まれた皺が美しくも見え、醜くもみえる。
たくさんの愛を受けた人の笑顔は、
まわりの人間を幸福にし、ぬくもりは癒しを与える。

建築も同じではないかと思った。
竣工して間もない建物が美しいのは当たり前。
赤ん坊と同じで、汚れを知らないから。
大切なのは、建物の生き様なのではないかと。
どんなに一生懸命考えあぐねた末の難産であっても、
愛されなければひとたまりもない。
粗末に扱われ、必要なくなれば壊してしまえと当たり前のように思われたら、
思春期の子供がぐれてしまうのと同じように、建物だってぐれちまう。
健康でいい子が生まれますようにと母が祈るように建築を生み、
いい子に育ちますようにと母が願うように
建築を扱ってやらなければいけないんじゃないかと。
今の日本の建築に、
建物が風化していくという事を前提とした上で構築されたものが、
果たしてどれだけあるのだろう。
そしてまた、日本で生活する人々の間に、
自分がそこに存在している空間の魅力を自分自身で模索し、引き出し、
発展させていこうと試みる人がどれほどいるのだろう。



そこで、私はこの旅に出る前の本来の目的、自分自身のもくろみを思い出していた。
建築の世界のほんの入口に足を踏み入れて間もない私のようなひよこが、
まず最初にぶち当たった壁は、自分の国が、
周囲の環境があまりにも低俗であるという現実だった。
街には、志が見られない。
一体何を目指し、何処に向かって歩いているのかがわからない街。
そんな街で暮らしている自分自身を、私は非常に可哀相に思う。
日本には、そして東京には適当な形容詞が見つからない。
海外に来て、いつも聞かれて困るのが、東京はどんなところ?
という質問に対する答えだ。
ヨーロッパ的でも、アメリカ的でもアジア的でもなく、ましてや日本的でもない。
何の特徴もないところが、東京の特徴のようになっている。
全てにおいて、目先の結果しか目算にいれず、手に届く未来の行く末しか案じない。今生き、存在している事を重んじることもなく、
遥かに先の展望を覗く試みも見られず、
政治家も物を造る業に携わる者も己の存命中の名声を得、
私欲を満たす事しか頭にない。

旅先で、自分の仕事に対して、少しだけそんな思いを巡らせてせてみた。




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気がつくともう2:30になっていた。
お腹も減っていたので、ホテルの側でモロッコ風サンドイッチを買ってもらい、
モハメドと一緒に部屋で食べた。
窓の外を見やると、いつしか雨が降り出していた。
今日は1日この鉄格子の中かな… 小さな窓には鉄の錆付いた面格子がついている。
室内から外を見ると、なんとなく自分が籠の中の小鳥になったような気分になる。
シャバを夢見る囚人ともいえそうだけど。
お腹いっぱいになって、再びスケッチブックを広げて色付けを始めた。
私が夢中になって色塗りをしていると、
モハメドは時々部屋を覗いてカフェオレやミントティーを運んでくれた。
モロッコといえば、ミントティーが必ずといってよい程話題にのぼるが、
本当にこれは美味しい。
何故、こんなに熱い飲み物を彼等が硝子のグラスで飲むのかはよくわからないが、
グラスの縁と底を挟むように持って、
「こいつはベルベルウイスキーさ」などと冗談を言いながら、
ズーズーとミントティーをそこいら中で啜っている。
みんなは砂糖を山盛り入れて飲んでいるが、私はいつも砂糖ぬきでもらう。
甘いミントティーはミントガムと同じような味。
これもまた美味しいが、何杯ものむとさすがにクドく感じる。
砂糖ぬきだとすごくさっぱりしていて、何杯でもOKなのだ。

このカスカドホテルで働いているモハメドの友達アリも、
モハメドと一緒にちょくちょく私の部屋に遊びに来た。
彼の事をモハメドはお兄ちゃんの様にしたっている。
「僕らはモハメド・アリ ブラザースだ。モハメド・アリって人、知ってる?」
2人は私に冗談めかしてそう言っていた。
私1人を部屋に残して外に出る時は、必ずモハメドは私に鍵をかけさせる。
誰かが部屋を覗いて話し掛けてきても、やたらと話さない方がいいと注意してくれた。
「アリは本当にいい奴で、僕も信用しているから大丈夫だ。だけどそれ以外の連中にはわけのわからない奴もいる。だから僕とアリ以外には用心した方がいい。」
そう言って彼らは私が絵を描いている間、いたれりつくせり細やかに私の為に働いてくれた。
モロッコの男の子は、本当に女の子によくつくしてくれる。サービス精神旺盛だ。

モハメドと話しているうちに、彼に「サハラには行かないのか?」と聞かれた。
私の予定表には今のところサハラは入っていない。
この間のタクシーの運転手とオフィシャルガイドのラムラニさんにも
「サハラはいいところだ。是非行った方がいい」と言われていた。 
だけどこれから先、マラケッシュ・エッサウィラ・サフィ…という予定を組んでいた私としては、今回の旅でサハラを見る事はできないだろうと諦めていた。
旅立つ前は私の中で大西洋岸の白い壁、青い窓枠を持つ家々が立ち並ぶ、
数多くの芸術家達が愛して止まなかった美しい街並みとサハラの雄大な自然とが
天秤にかけられて、前者の方がはるかに優勢だったのだ。

モハメドに私の予定表を見せて説明した。
「マラケッシュまでの飛行機もとっちゃってるし、
サハラに行く時間はないみたいだよ。」
私の説明を聞いて彼は言った。
「君はマラケッシュまで飛行機で行くのかい? 
全く、貧乏なのに何でそんなもったいない事するんだ。
僕らは旅をする時、たいていバスを使うんだ。夜行バスに乗れば安いし、
次の日には目的地まで着いているし、とても便利なんだよ。
それに、マラケッシュに行きたいって君は言うけど、
1人であの街に行くのはとっても危険だよ。
メディナだって何だって全て観光化されていて、
それでいてヘビみたいな奴等が観光客というとまとわりついてくる。
女の子1人で行くのは勧められないよ。
エッサウィラはたしかに、すごーく美しい街だ。僕もあそこは大好きさ。
だけどあの街のベストシーズンは夏だよ。
夏なら、街もきらきらと輝いていて、美しい海で泳げて最高だよ。
でも今は真冬だ。とーっても寒い。
今行っても人は少ないし、とても寂しいと思うよ。
その点、サハラは暖かい。あそこには本当のモロッコの姿が在る。美しい風景も。
だからきっといい絵がたくさん描けると思うよ。
僕は君に本当のモロッコの姿を、本当のモロッコの良さを教えてあげたい。
そして君が日本に帰った時、君の家族や友人に、
君が見たモロッコの本当の姿を伝えてほしいんだ。君の絵や文章で。
それが僕の望みなんだ。」

そして彼は続けた。
「もしも君が望むなら、僕がサハラを案内してあげるよ。
僕は子供の頃、あそこで暮らしていたし、何度も旅をしているから良く知っている。
もちろん君は友達だから、ガイド料なんて必要ないよ。
友達として、僕は君を案内したいんだ。
それに僕が一緒なら、君に悪いガイド達を寄せ付けないし、
何よりもモロキャンプライスでチープな旅ができる。
君はモロッコの中での妥当な値段を知らない。
だからどこへ行っても観光客だといっては高いお金を要求されるだろう。
だけど僕はモロッコ人だから全て要領はわきまえている。
彼らも僕にはそんな要求はしない。
…無理にとはいわないけど、もしも君がそうしたいと思うなら、
僕が一緒にいってあげるよ。」



私はしばらく考えていた。
“本当のモロッコの姿。本当のモロッコの良さ… かぁ”
私は何の為にこんなに遠くまでやって来たの?
何を見に来たの? 何をしに…?
街の肌を優しく撫でるだけなら、誰にでもできる。
通り過ぎ、見た気になって写真をパチパチ撮っていながら、
帰ってから自分が何処で何を見たのか思い出せないような観光客である事を
望んで来たわけじゃあないはずだ。
そして決めた。
サハラに行こう!!
本物が見られるなら、飛行機のキャンセル料なんて惜しくない。
私はモハメドに言った。

「一緒に行こう! サハラ!!」





普通に考えると、私の行動はやや(いや、かなり?)軽率に見られるかも知れない。
出会ってたった2日目の青年に、自分の旅の予定を全て委ねてしまうのだから。
しかも出会ったばかりの若い青年と、一緒に旅にでようっていうんだから…
それでも何故か、私はすっかりモハメドを信頼してしまっていた。
私もだてに28年も生きてやしない。
日本人だろうがモロッコ人だろうが良い人と悪い人の区別くらいはつく。
それに彼は、昨日私が渡したガイド料の50DHを大切に、
財布の隅によけてとっておいてくれていた。
「僕は、このお金は使えないんだ。友達である君が、僕にくれたものだから…」
空っぽの財布の隅に折りたたんである50DHを見せながら、彼は私にそう言った。

“そんな事で、出会って間もない人間を信用しちゃうの?!”
っていう人もいるかもしれない。
でも、疑りだせばきりがない。
全てを恐れていたら、何も見れない、前にも進めない。
“決断は、思い切り良く、潔く!!”が私の信条。
何かあったらそんときゃそんときだ!
だけど私には何故か確信があった。
自分の幸運(強運)と、人を見抜く目に。
日本にだって外国にだって良い人も悪い人もいる。
私は決して彼の事を疑った事はなかったが、
たとえ、仮に、多少彼に利用された部分があったとしても、
それもまた一興だと思っている。
どの道たいした金額は持ち合わせていないし、それに何より、
お金には代えられないものを彼が私に与えてくれたから。
楽しい時間…  それは何物にも代えられない。 



日が暮れて、さっきまで降っていた雨も止み、
またモハメドが屋根に登ろうと私を誘った。
部屋のあまった毛布を抱えて階段を登る。
眼下に広がる夜のFezの街。
遠くにライトアップされた建物もみえる。
昼間とはまた違った、幻想的な風景と相変わらず賑やかに行き過ぎる人々の声。
ここは、異国。そして私は、エトランジエ。

アリにお願いして、赤ワインを1本手に入れた。
毛布に包まり、夜の星空の下、モハメドと2人でカンパーイ。
仕事が終わってから、アリがオムレツを作ってくれて、屋上まで運んでくれた。
3人で仲良くオムレツをつつき、グラスを酌み交わす。
アリはワインを飲んで家に帰るとママに怒られて大変な事になるからと、
1人ミントティーで私達3人の兄弟杯に参加した。



朝えらい早くに目が覚めた。
まだ外は暗い。
時計を見ると朝6:00前だった。
夕べホテルに戻ってからバーに行って軽く飲み、
部屋に戻ったらあっという間に眠ってしまった。
シャワーを浴びようと思ったが、またまた蛇口からはお湯がでてこない。
多分朝早すぎて今はお湯が出ないのだろうと諦め、
今度はコーヒーが飲みたくなってルームサービスにコールした。
ホテルの案内には朝6:00から頼めるとかいてあったのに、
返事はまだ朝早すぎるので7:00まで待てとのことだった。
仕方なく時間が過ぎるのを待ちながら、また絵日記を綴る。 
トントンとドアをノックする音が聞こえ、
扉を開けるとコーヒーをトレイにのせてボーイさんが立っていた。
まだ7:00前だけど、私の我侭をきいて運んできてくれたらしい。
起き抜けの頭と身体にコーヒーがしみわたる。
はぁ、シアワセ…
日が登り、そろそろお湯も出る頃だろうかと、 試しに再びシャワーの蛇口をひねる。
…でたでた、お湯が。
この旅で最後のバリにたどり着くまで、もうしばらくバスタブには浸かれないだろう。
なみなみにお湯をはり、身体を伸ばしてゆったりとバスタイムを満喫する。
さあ、このホテルを出たら、本格的に貧乏モード。
たった1日2日で旅の予算の1/3以上も散財してしまったアホな私。
でもこれで心置きなく貧乏をエンジョイできるだろう。
何もなければないなりの生活を送ればいい。
あったらあるだけ使えばいい。
その時その時臨機応変に自分の身体を順応させればすむことだ。
昨日モハメドに出会った事が私に勇気を与えてくれた。
よし。覚悟はできた。
すっきりさっぱり日常を洗い流し、荷物をまとめ、
私はモロッコに持ち込んだ日本の生活を後にした。
Hotel de la PAIX での支払いは占めて600DH。
自分で自分の無鉄砲さに、思わずニンマリしてしまった。



Petit TAXIをつかまえて、荷物をルーフにのせ、ブージュールド門へと向かう。
昨日、屋根に登ったカスカドホテルでモハメドが待っていた。
早速部屋に案内してもらう。
ブージュールド門を横目に、メディナの喧騒を覗ける09号室が私のねぐらになった。
60DHで、ホットシャワー・トイレは共同。
でも同じ60DHとはいえ、1日目のホテルよりずーっと私は気に入った。
窓の外では賑やかに人々が行き来し、その向こうにミナレットも見える。
どこの街でも、私は通りに面した、外の喧騒を感じられる部屋が好きだ。
どこにも出かけずに、
1日中ホテルの部屋の窓から道ゆく人々を眺めているのも結構楽しい。

チェックインを済ませ、メディナの中を観る前に、ちょろっと王宮を覗いた。
王宮といっても一般には開放されていないので、
庶民はその黄金の豪華な門構えを眺めるだけ。
1.2枚写真を撮って、すぐに王宮を後にした。

メディナに入り、ブー・イナニヤ・メデルサとその後ろに垣間見えるミナレットを
スケッチし始めた。
ここは、モクスとしても使われているらしい。
中庭の真ん中の水盤で祈りの前に身体を清めている人達もいた。
床は白い大理石で、腰壁部分はゼッリージュと呼ばれる色とりどりのモザイクタイル、
その上部は色褪せたプラスターに一面に装飾が施されている。
屋根には緑色の施釉瓦がのっている。
かなり風化しているとはいえ、その装飾の緻密さと美しさには目を見張るものがある。
私は冷たい大理石の床に腰掛け、スケッチを始めた。
モハメドは、また私の邪魔にならない様、そっと表に出ていった。

どこからともなく小猫がやってきた。
私のまわりに擦り寄ってきて離れない。
最初は様子を窺うように用心深くまとわりついていたが、
そのうちちゃっかり私の膝の上によじ登り、
そのまま居心地よさそうに目を瞑ったたまま動かなくなった。
私は左手で小猫の首を撫でながら、右手で鉛筆を走らせた。
おとなしくてかわいいミシミシは、
冷たい石の上でずっとスケッチしていた私の湯たんぽになった。
モハメドが戻ってきて、その光景をみると、彼はおやおやという顔をして笑った。
「こいつは君の事が、すっかり気に入ったみたいだね。」
私は言った。
「あったかくって、丁度いいよ!」


気が付くと、2時近くになっていた。
モハメドが、今度は一緒に昼食を作ろうと言いだした。
「クッキング?ここで?」
「そうさ。旅の間、ずーっとレストランの食事じゃ胃がもたれるし、何より高くつくよ。
だから食事は自分で作る方がいいのさ。
大丈夫。このホテルには僕の友達がいるし、みんな親切な人達だから、
僕らがここで料理をしていたって何も言われやしないんだよ。」
彼は私の懐具合を随分とよく把握してくれている様だ。

どこから持ってきたのか、トマトやスパイスが混じった挽肉、
ビニール袋に入れられたオリーブオイルや紙に包まれたスパイス達が、
次から次へと屋上に運ばれてきた。
ガスボンベや鍋までが登場して、
“Let’s 青空クッキング!!”
屋根の上で、Fezの街を眺めながら、自分達の食事を作るなんて…
おもしろ過ぎる!!!

「さあ Travaiyer!!」
モハメドが鍋の中でオリーブオイルと一緒にグツグツ煮えているトマトの上に、
挽肉をくるくると器用に団子にしてほうり込む。
私も見様見真似で一緒になって団子を作ったが、
何故かどれもお世辞にも品が良いとは言えないくらいにでっかくなってしまい、
2人でケラケラ笑いながら、次々と鍋にミートボールをほうり込んだ。
日本には“働かざる者食うべからず”という諺がある。だから…
「Travaiyer pour manger(食べる為に働け)!!」
私がおどけてそう言うと、モハメドは笑っていた。

トマトとミートボールの煮込み、パン、そして万国共通のCOCAが2人の昼食。
煮込みはとっても美味しくて、
しかもすごーくお腹が減っていたので物も言わずにモリモリ食べてしまった。
私にはスプーンを貸してくれたけれど、
モハメドは右手とパンを上手に使って器用にこぼさず食べていた。



食事も済んで、後片付けをして。
食後の運動がてらもうひとまわりメディナの中を歩くことにした。
話で聞いていた、パンの焼き屋さんを覗いた。
各家庭でパンの生地をつくり、ここに来て、おじさんにでっかい釜で焼いてもらう。
うすっぺらい長方形の鉄板の上に直径30cmくらいの丸いパンがたくさん焼けていた。

それから、フンドゥークの中へ入る。
ここはその昔美しい宿屋として使われていたらしい。
私が入ったフンドゥークは、今はバブーシュの工房になっていた。
ここでも大人達から子供達までが、せっせと働いていた。
子供達は学校にも行かずに、小さな頃から大人に混じって働きだし、
Fezの伝統工芸の技術を身につけていくという。
中庭を囲み、小さな部屋に仕切られた工房で、朝から晩まで働いている。
いくらメディナの中に潜む中庭が砂漠の中のオアシスのような空間であっても、
そこは決して恵まれた環境とは言えない。
それでも人々は少しでも楽しく、快適に働こうと、
薄暗い工房でモロッコ音楽を響き渡らせ、リズムに乗りながら各々の仕事をしていた。

その後、太鼓や木彫りの置物をおいてある店やベルベル絨毯屋さん、
スパイスや香水を売っている店などを覗いたが、
もう何も買うまいと思っていたのでミントティーだけご馳走になり、
モハメドとそれぞれの店の店員さんとの世間話を聞いただけで、
シーズンオフの店の売上には協力しなかった。



夜になり、かなり歩き疲れたので、
モハメドに今日はそろそろホテルに戻って休むと告げた。
そして、もしもよかったら明日もまた街を案内してほしいと頼んだ。
2日歩いてみて、
この街を1人で歩く事がどれ程エネルギーを必要とするかが少し把握できた。
それに彼とこのままもう会えなくなってしまうのが寂しかった。
せっかく出会えたのに、たった1日一緒に過ごしただけで、
これからもう永遠に逢えないかもしれないと思うと残念でならなかった。
彼は私が絵を描いたり文章を書いたりしている間、
私の邪魔にならない様、とても気を使ってくれていた。
私に、好きなところで好きなだけ立ち止まらせてくれた。
時として頼もしいガイドであり、必要なときにその存在感を表に出し、
そうでないときは空気のようにその存在感を消してくれた。
モハメドは喜んで私の申し出を受け入れてくれた。
そして明日から、さっき昼食を摂ったカスカドホテルに泊まるよう、
手配してくれると言った。
私は明日から再び、60DHの安宿生活者となる事にした。
明日の朝10時にカスカドホテルで待ち合わせをして、
タクシー乗り場まで送ってもらった。

別れ際、約束の50DHを彼に渡そうとしたら、思いがけない返事が返ってきた。
「君はもう僕の友達だからガイド料はもらえないよ。」
「だって、これは約束だもの。あなたには今日とても親切にしてもらったし、
私の気持ちだから…」
私には、他に彼に対する感謝の表し方が思い付かなかった。
そして50DH札を彼のシャツのポケットに押し込み、
タクシーに乗ってホテルに戻った。


たった一晩で、安宿に根をあげて逃げ出した軟弱モノのワタクシ。

でも、この3日目からがらり!と展開が変わって、

いよいよディープなモロッコの世界へと足を踏み入れて行きます。


+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +


8時起床。約11時間も眠ってしまった。
今日はいよいよFezの街を1人で歩く。
果たしてガイド攻撃やボったくり達に太刀打ちできるだろうか?
例の如く、まぁ何とかなるかなぁ〜と呑気な面持ちで部屋を出る。
ホテルの外に出てみると、
ここはParisなんかと違ってカフェはあんまりこの時間では開いていない。
夕べはフランスパンを少しかじっただけでお腹が減っていたので、
ホテルの地下にあるレストランへ行き、31DHもする朝食を摂る事にした。



Petit TAXIに乗ってメディナに向かう。
メディナの正面玄関、ブージュールド門まで約10DHで到着。
一歩門の中に足を踏み入れると…
“あぁーこれが本格的ガイド攻撃かぁ?!” 
まだ小学生や中学生くらいの子供から大人まで、
牛にまとわりつく蝿のようにたかってきて離れない。
最初に声をかけてきた少年は、私が昨日すでにガイドと一緒にメディナの中を歩いたので今日は1人でこの迷宮を制覇してみたいのだと説明すると、すぐに“OK!Good Luck!!”と言ってくれたのに、その他の悪ガキガイド達は、外国人から教わった汚い言葉を吐きながら、しつこくまとわりついてくる。
いい加減こっちも頭にきて、
“Everybody Go Away!!”と怒鳴っても全く聞きゃあしない。

仕方なく、最初に声をかけてきた一番聞き分けの良い親切そうな少年に
夕方5時まで50DHでガイドを頼む事にした。
全く本当にここは1人にしてはもらえない土地だ。  
全く予想していなくはなかったものの、想像以上に他人の時間や空間にズカズカと割り込んで来るこの土地の人々に、少々腹立たしさや苛立ちをも感じ始めていた。
「私はそんなにたくさんお金を持っていない。土産物にも興味はない。買い物もしない。
ただ、好きなときに立ち止まって考え事をしたり、物を書いたりしたいだけなの!」
ガイドを申し出た少年に半分八つ当たり気味に強い口調で言いたい事をまくしたてると、
それでも彼はにっこりと笑って肯き、私の言葉に理解を示してくれた。

少年の名前はモハメド。
将来は先生か医者になりたいという大学生。
もうすぐ20歳になるらしいが、この国の人にしてはもっとずっと若く見える。
うっすらと口髭を生やしてはいるが、
最初私は中学生か高校生くらいかと思ってしまった。
私も例にもれず随分年若く見られたが、
こっちはそれをいいことについつい3つも年をさばよんでしまった。
こんな遠くに来てまで見栄はることもないのに… 

モハメドはまず、今は音楽学校になっている古い建物の中庭へと私を案内してくれた。
石の壁で囲まれた細い路地にある、古い木の扉の奥に一歩足を踏み入れると… 
そこにはモザイクタイルに囲まれた、美しいパティオが隠れていた。
あぁ、これが私がず—っと覗いてみたかった、隠れたパティオだ!!
庭の真ん中には水盤が置かれ、青々とした樹が庭に彩りと安らぎを添える。
馬蹄型アーチの奥に半屋外の廊下がぐるりと四方を囲み、その奥に室内がおくゆかしく顔を覗かせていた。なんて気持ちがよくて、清々しい中庭なんだろう!!
ざっと7、8m四方程の中庭は全体的に日当たりが良いとはいえないが、
白い壁や青、黄、緑の爽やかな色合いのモザイクタイルの計らいで随分明るく、
そしてとても暖かく感じられた。
いつまでも、其処にたたずんでいたくなるような、本当に素敵な中庭だった。

白いベンチが置かれていたので2人で其処に腰掛け、私は早速スケッチブックを広げた。
モハメドは時々ちらちらとそれを覗き込み、「いいね!」と誉めてくれた。
しばらくして私が、絵を描いている間はそこら辺を歩き回って自由にしていていいよと言うと、彼は10分くらいで戻るからと告げてから、表に出ていった。
私がざっとスケッチを終える頃、モハメドが戻ってきた。
「この庭が気に入った?」と聞かれ、私は大きく肯いた。
「うん。とっても!!」



音楽学校を後にして、私達は一度メディナの外に出た。
今度はきれいな公園を見せてくれると言うので城壁沿いに少し歩くと、
ブージュールド公園の入口があった。
公園の奥の方に、緑と色とりどりのモザイクタイルに囲まれたカフェがある。
「コーヒー飲みたい?」と聞かれ、私はyesと答えた。
歩こうといいつつ、結局は立ち止まってばかりいる。
でも、こんなゆったりとした時間を過ごせる事が、とても嬉しかった。
時計の存在を忘れてしまうような、そんな時間の使い方があってもいい。
何をするでもなく、ただ、そこに存在しているだけ。
何もしていないのではなく、ただ“そこに居る”という行為を行っている。
異国の地で。

コーヒーとミントティーが運ばれてきた。
さっき公園に入る前にモハメドが声をかけていた少年が顔を覗かせた。
彼はミシミシという愛称で呼ばれている、8歳か9歳くらいの男の子。
ミシミシとはアラビア語で猫っていう意味らしい。
モハメドは彼を弟の様に可愛がっている。
一緒にテーブルについて、ミントティーを半分ずつにして飲んでいた。
彼ら2人をモデルに似顔絵を描くと、それを覗き込んでは2人でケラケラと笑っていた。
私は人間を描くのが下手なんだと言うと、
「そんな事ない。いい絵だよ!」と慰めてくれた。
3人で笑いながらそんな事を話していると、
カフェのオーナーまでもが私の下手くそな絵を覗き込んできた。
上手い上手いと持ち上げられ、後で僕の顔も書いてくれと言われて困ってしまった。
それからオーナーはミシミシの頭をくしゃくしゃと撫でながら、
「この子はとってもおとなしくて、賢いいい子なんだよ」と私に言った。



楽しいコーヒータイムを過ごし、私達は再び歩き出した。
公園の外に出たところでミシミシとは別れた。
ブージユールド門を潜り、メディナの中に入る。
メディナの絵が描きたいのなら屋根の上に登るといい、とモハメドに連れられて、
門のすぐ側にあるカスカドホテルの屋根に登った。

そこから眺めたFezのメディナの眺め…

山々の裾野に広がる日干し煉瓦の家々、ところどころに聳えるミナレット。
屋上に干された色とりどりの洗濯物。
そして何故か目に付くパラボラアンテナ達。
太陽の下で、何千年も前から変わらぬ姿でそこにたたずむ街に抱かれながら、
スケッチブックを広げ、私は無心になっていた。
カリコリと下手な絵を楽しんで描いていると、突然耳にヘッドホンを当てられた。
モハメドがお気に入りのモロッコ音楽のテープをウォークマンで聴かせてくれた。
「いい音楽を聴いて、いい絵が描けるよ!」
彼は笑って言った。
あーーー!!! 何て、何てHappyな気分。
これは絵でも言葉でも、何にも表現し尽くす事のできない至福の悦び。
音楽にのって、私の眼前の風景は神と化し、私を包み込んでいた。
土色の街並み。
その上にはサーカスのテントのロープがぴんと張り詰めたような、
緊張感みなぎる青い空が私達を見下ろしている。
この街の空は、東京のそれとは尽くかけ離れていた。
ぼんやりとして覇気のない、
やる気があるのかないのか解らないような東京の空とは大違いだ。
大地と空とが、互いに引張力で均衡を保っているように感じられた。
そこから生じる無数の見えないエネルギーが、
この街で暮らす人々に活力を与えているようだった。
私も、この大地と空から溢れ出るエネルギーの恩恵を幾らか授かったのだろうか。
気分が揚々と高まっていくのを感じていた。

たった1人でこんなに遠くまで来てしまったけど、
でも、たった1人でここまで来て、本当に良かった。
またこんな、めくるめくような時を過ごしてしまった。



だから 旅は やめられない!!



ラムラニさんが乗ってきた小っちゃいフィアットに乗り込み、旧市街の方へ向かう。
隣車線を同じような赤いフィアットがたくさん追い越していく。
ルーフに黄色いPetit TAXIと書かれた看板をくっつけて。
まずは高台からFezの街を見下ろそうと、私達の乗った車は丘を登って行った。
丘の上から見下ろすFezの街並。
あちこちにミナレット(尖塔)が見える。
その周りにひしめく日干し煉瓦の家々。
メディナには道が見えない。
丘なりに広げられた絨毯の柄の様に、家々が不思議な模様を描いていた。

そこからまず、陶工区に向かった。
モザイクタイルの工房に入ると、そこでは5,6歳の子供も大人に混じって働いていた。
見事な手捌きでタイルにモザイクの柄を下書きして、それを別の子供が器用に削っていく。
ここではこんなに小さな子供も、1つの立派な戦力として使われている。
子供とはいえ、彼等が自分の仕事に対してとても誇りをもっているということが、
側で見ているだけで伝わって来る。
納得がいかない線を引けば、自分が肯ける線を引くまでやり直し、
リズムに乗って手を動かしながら、その動きに酔いしれているようでもあった。
私が感心しながら見ていると、彼らはちょっと緊張しながらも、
得意気に自分達の技を披露してくれた。
この小さな手から、
あの素晴らしいモザイクタイルの1片1片が作られているのかと驚かされた。

陶工区を出て、車でエルルシフ広場まで行く。
いよいよメディナの中へ入るのだ。世界一の迷路の中へ。
まずは一番奥にある皮なめし職人区に足を踏み入れる。
独特の匂いが鼻を突く。
道は狭く入り組み、気をつけて歩かないとロバの糞を踏んづけるハメになる。
しばらくは、下水の匂いとロバの糞の匂い、皮の匂いとが入り交じって、
また少しブルーな気分に入ってしまった。
モロッコは決して美しいところではない。
写真やガイドブックで紹介されている、楽園の様な迷宮が待っているわけではない。
もっともっと、ずーっと泥臭く、生臭いところだ。
物乞いも沢山いるし、汚れた水で身体を洗う人もいる。
着ている物も粗末だし、
今まで見てきたヨーロッパの古い街の路地などとは随分とかけ離れている。
本で紹介されているような、星がいくつも並んだホテルなど、
ここで暮らす人々は多分一生かかっても泊まる事はできないだろう。
そんな彼等から、日本人も含めて、外国の観光客が金持ちに見られ、
いくらか儲けてやろうと思われても、仕方のない事なのかもしれない。
革製品の土産物屋のルーフから皮職人が皮をなめし、
色をつけているところを眺めた。
いくつも並んだ水槽の中に、長年入れ替える事なく付け足しを重ねた、
うなぎ屋の秘伝のタレみたいな色をした液が入っている。
よく見るとその水槽の内側にもタイルが貼られていた。
数人の男達が、太陽の下で話しをしながらその液につかり、仕事をしていた。
私はラムラニさんにお願いして少し時間をもらい、
サラサラと数分間、そこで鉛筆を走らせた。

革製品のメディナを出てから、
銀細工のメディナ、真鍮のメディナ、絨毯のメディナ… と次々に案内された。
ぐるぐると訳も分からず歩き回り土産物屋の商魂逞しさに圧倒され、
とうとう私も小さなベルベル模様のラグを買わされてしまった。
60DHのホテルを目安にしていた私がなんと1800DHもするラグを買ってしまうなんて…
(もちろん支払いはカードだ) 
どう考えてもこれはボったくられたとしか言いようがない。
だけど、「2階の商談室へどうぞ…」なんて少し目つきがおかしいアラブ人に導かれ、
薄暗い四方を絨毯に囲まれた部屋の中で
「これはいい買い物ですよ、お客さん。ふぉっふぉっふぉっ…」
と不気味ににんまりされたら、誰しもびびって多少財布に損害があろうとも
早くここから脱出せねばと思うに違いない。
痛い出費ではあったものの、肝心のラグはなかなか気に入ったデザインだったことだし、
まあこれも一つの授業料さと諦めた。

歩き疲れて時計を見ると、もう2時近かった。
ラムラニさんにお腹が減ったから昼食を摂りたいとお願いしたら、
メディナの中の豪華なレストランに案内された。
天井が高く、モザイクタイルで飾られた壁や高価そうな絨毯のひかれた室内は、
まるで宮殿のようだった。
店の名前を聞かなかったのでよくは解らないが、
多分ガイドブックに紹介されるような、高級レストランなのだろう。
私1人店の中に通されて、
ラムラニさんは私の食事が済むまで外で友人と話しをしながら待っていた。
私としてはそこら辺で売っているサンドイッチでもかぶりつければいいやと思っていたのだが、連れてこられた以上注文しないわけにはいかないように思えて、モロッコ風サラダとクスクスを注文した。
モロッコ風サラダには生野菜が何種類か山盛りに盛られていた。
お腹が弱い私は、生野菜を食べる事に不安を感じ
(なのに何故この時サラダなんかを注文してしまったのかよくわからない)
結局茹でてあるジャガイモだけ食べた。
クスクスには、私の嫌いなニンジンとオリーブの実が、これまた山盛りになっていて、
これも奥の方に埋もれていたお肉だけ食べて残してしまった。
ほんとうにもったいないオバケが出てきそうで申し訳なかった。
お店のお兄さん、そして貧しい人達、ごめんなさい。

喉か渇いていたのでレモネードを飲み、
絵日記を綴ってしばらくそのレストランでねばっていた。
勘定書が仰々しく銀の盆に乗せられてきて目を通すと、びっくり仰天。
130DHもの昼食なんて私には身分不相応。
日本でだって、
ずっとランチは買い置きのカップラーメンが続いていたっていうのに…

それでももう、今日は出費の日と諦めて、流れに身を任せる事にした。
ひととおりメディナの中をぐるりと歩きまわり、3:00頃車でホテルに戻った。
ラムラニさんは、少し休んでから夜どこか案内しようかといってくれたが、
まだまだ旅は始まったばかりだし、
仕事と長いフライトの疲れも残っていたので今日はもう休みますと伝え、お別れをいった。
私にはこの後まだ執筆活動も残っている。
どうしても人と一緒に歩いていると、
なかなか思うように立ち止まったり書いたりができない。
そんな状況にも、少し疲れていたのかもしれない。

別れ際、ラムラニさんは自分の名刺を差し出して私に言った。
「Fezにいる間に何かトラブルが起きたり、困ったことがあったら、
ここに書いてある携帯NO.にコールすれば飛んでくるよ。
君はもう僕の友人だからね。」
ありがとう ラムラニさん!!!

昼間あんなに豪勢な食事を摂ってしまったので、
夜は質素にフランスパンを一口二口かじる。
夕方少しホテルの周りをふらついて、フランスパン半分と、COCAを買っていた。
部屋でぼそぼそとそれらを口にしながらカリコリと今日の出来事を綴る。
それにしてもこの国ではアルコールがなかなか手に入らないのが辛い。
飛行機から持ってきた赤ワインもすでに空っぽになってしまっていた。
何気なくパラパラとホテルの案内に目を通していると、
なんとこのホテルにはバーがあると書かれていた。

なんだ。こんな近くに、アルコールがあるではないか!

早速スケッチブックとルームキー、小銭入れを持って部屋を出た。
フロントにバーが開いているか聞くと、「もちろん!どうぞ!」と2階に通された。
7.8人座れる小さなカウンターと、その後ろに2テーブルくらいが並んだ、
こじんまりしたバーだった。
お客は私1人。
バーテンダーにジントニックを注文した。

お金がないない言いながら、
こんなところでちゃっかり一杯やってる私は一体何を考えているのやら…
自分で自分に呆れたが、
追いつめられるまで私には計画性や経済観念というものが生まれない。
とりあえず旅は始まったばっかりで、財布にはまだ何枚かお札が入っている。
先のことは後で考えればいいや… 
と昨日のホテル代の半分くらいの高価なジントニックをちびりちびりと飲み干した。

バーを出て、部屋に戻ってバスタブにお湯を張る。
ここにいる数日間は、とりあえずバスタブのある生活だ。
昨日の冷たいシャワーとは違って、ここはバンバンお湯がでる。温かいお湯が。
ゆっくりとお湯に浸かって疲れを癒す。

軟弱者で贅沢者。

もう一人の私が私自身を非難する。
私は、軟弱者。
私は贅沢者。

それでも、いろいろとカルチャーショックを受けながら、
自分なりにこの目の前の現実を受け止めながら、
そしていろんな事に感謝しながら、
昨日とは打って変わってぬくぬくと暖房のきいたへやで、
フカフカの毛布に包まって、眠りに就いた。
何故、今なのか?



この旅日記は、旅から戻ってすぐに集中して一週間くらいで書き上げた原稿が、

元になっています。

以前から友人達には少しずつ公表していたりしましたが、10年以上の月日を経て、

今回思い切ってこちらのブログでアップすることにしました。

最近の本当に深刻な不況のお陰で、

仕事の流れのスピードが少々ゆったりしてきたこともあり、

しばらくは物件写真の掲載などもまだできなそうだったことも一つありますが、

こういう時期だからこそ、あのときのあの旅で感じた思いなどを、

もう一度じっくりと思い出してみたいなと感じたりもしました。

ワタシの中での原点とも言えるべきあのモロッコでの数日間を再びなぞることで、

今に活かせるいろんなヒントがあるかもしれないと思った次第です。

時々ブレイクを入れますが、1日分ずつゆっくりアップしてゆきますので、

一緒に旅に出かけた気持ちになって、お楽しみいただけたらと思います。



+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + 


明け方、5:30頃 あまりにも寒くて目が覚めた。
昨日この部屋に入ったのが夕方5時頃で、そのまますぐに眠ってしまったから、
約12時間は眠れた。
寒さで縮こまっていたので、相変わらず身体を大の字にはできなかったけれど、
それでも横になって眠ったので少し元気が戻った。
窓際の脚の長さが違うガタガタ机に向かって絵日記を広げた。
机の上には、昨日飛行機からせしめてきた赤ワインが2本並んでいる。
結局最初の意気込みとは裏腹に飛行機から着服できたワインはこの2本だけだった。
喉が渇いていたので、明け方にも関わらずボトルの蓋をあけ、
赤ワインをラッパ飲みした。そしてカリコリと昨日の出来事を綴った。

朝8:30頃、1晩分の支払いを済ませ、荷物を持ってホテルを出た。
やはり私には、60DHの安ホテルは辛抱しきれなかったのだ。
とりあえず何か腹に収めようとホテルの側のカフェに腰掛ける。
朝食を頼み、しばしボーッと朝の街を眺める。
カフェには、本で見ていたとおり男の姿しか見えない。
今は東京でも少なくなった靴磨きの少年やおじさんが、
私に靴を磨かないかと言って寄ってきた。
首を横に振って断ると、彼等はとなりの席の男性に、
また断られてそのまたとなりの男性に、と声をかけて歩いていた。
なにか空しい光景だった。
陽光が舞い踊るイスラムの朝の中に、一条の影が落ちていた。
持てる者と持たざる者。

貧乏旅行には慣れていると思ったけれど、
仕事で何週間も事務所に泊まり込んで、惨めな生活送っているって思ったけれど、
それでもやっぱり私は、
豊かな国で豊かな時代に育った子供なんだなぁとしみじみ思った。
夕べの寝床は寒かった。
一応シャワーが付いていた部屋だったけど、お湯が出なくて泣きたくなった。
共同トイレは汚くて、恐くて、結局1度も行かずに我慢してしまった。
日本という国で生まれ、育った事が、
果たして私にとって本当に幸せな事なのかは判らない。
でも確かに、恵まれた環境にいるんだって事が少し理解できたような気がする。
あんなに日本で不況、不況って騒いでいても、
あれだけの生活水準を保っているのだから別にいいじゃないか…と思ってしまった。
今の自分の生活がとても有難く感じられた。

朝食を摂り、昨日お願いしていたガイドのラムラニさんと会った。
彼はジュラバを着て現れたので、最初誰だか分らなかった。
このジュラバは公認ガイドのユニフォームみたいな物らしい。
後から出会ったたくさんの彼の友達も、同じような色違いのジュラバを着て観光客と思しき人々と歩いていた。
早速私はラムラニさんに
「申し訳ないけどホテルを移りたい」と話し、
夕べのうちにガイドブックで目をつけていた新市街のホテルに車で連れていってもらった。
“Hotel de la Paix”
244DHでバス、トイレ付きのハッサン2世通りに面した部屋。
ちょっと(いや、かなり)高いが、どうしてもトイレだけは得体の知れないところだと、
恐くて便秘になりそうだったのでこの部屋に滞在することに決めた。
ここはツインルームになっていた。
きれいにベットメークされたベットが2台。
ゆったりとした距離を保って置かれている。
床はテラコッタ風のタイル貼りでベットの脇にカーペットがさり気なく敷かれている。
壁と天井は白い漆喰塗り。
天井が高く、もともと1人には広すぎる部屋が余計に広く感じられる。
足元には造り付けの木机が壁に沿って置いてあった。

チェックインした後に気が付いたのだが、
このホテルは昨日飛行機の中で会った旅行会社に勤める青年が
紹介してくれると言っていたホテルだった。
彼は194DHできれいな部屋だからここがいいよと教えてくれていた。
でもその時は、私の中でのホテルの予算は50~100DHくらいだったので、
194DHの部屋なんてとても高く感じられた。
だから彼の申し出を受けるか受けまいか悩んでいるうちに、
いつの間にか流れがすっかり変わって別の安宿に泊まることになってしまった。
なのにたったの1晩予算通りの安宿に泊まってみただけで、
恐れをなして結局はこのホテルに泊まる事になってしまった。
しかも昨日の青年が云っていた値段よりも随分と高い値段で…
バーゲンで買った商品が、
別の店でもっと安く売られていたのを見つけてしまったときのような悔しい気もしたが、
いつまでもそんな事でクヨクヨしていても仕方がないと潔く諦め、
荷物を置いて早速Fezの観光へと出かけた。


とりあえず、
成田〜パリ、パリ〜カサブランカへのフライトを終えたあたりから。
**************************************

14:10 カサブランカから、最後のフライトでFezに向かう。
今度はほんとに飛べんのかなぁ?!って思っちゃうような小っちゃいプロペラ機。
さすがに3度の乗り継ぎはタフな私も疲れが出てきて、
“早くどっかの宿で寝たいよー”と気が萎えてきた。

隣の席の青年と少し話をした。
彼はFezの新市街にある旅行会社に勤めているそうだ。
仕事でカサブランカに行った帰りだと言っていた。
「君は今夜泊まるホテルを決めているの?」
「いいえ。何も決めずに来たから。これから探すつもりです。」
「それなら、僕が知っているホテルを紹介してあげるよ。
そのホテルは新市街の僕が勤めてるオフィスのすぐ側にあるんだ。
部屋もきれいだし、それ程高くないし、お薦めだよ」

どうしたものかと思っていた。
モロッコで初の、親切そうでフレンドリーな人との出会いだった。
だけど彼が紹介してくれるホテルの料金は私の予算よりかなりオーバーしていた。
それに本当に彼を信用していいものやら判断しかねていた。
私が半信半疑でどうしようかなぁーと思っている間に、
飛行機はFez空港に到着してしまった。
飛行機を降りて、荷物を待っている間も彼はずっと私の側にいた。
いろんな人が彼と挨拶を交わしていた。
「ここには僕の友達がたくさんいるんだ」
彼はそう言っていた。
もしかしたら、本当に親切で私にホテルを紹介してくれると
言ってくれているのかもしれない。
少しずつ私の気持ちは動いていた。
それでも、空港からFezの街まで彼の車で乗せていってくれると言われた時、
やっぱり“うーむ 困った…”と二の足を踏んでいた。

丁度その時、タクシーの運転手が客引きにやって来た。
青年がこの女性は僕の友達だから、僕がFezの市街まで乗せて行くのだと掛合っても
運転手の方は全く耳をかさず。
私に向かって「君は本当に彼と知り合いなのか?だから彼の車に乗るのか?」
としつこく聞いてきた。
本当は飛行機の中で知り合っただけだと分かると、
「じゃあ乗りなさい」と強引にタクシーに荷物もろとも詰め込まれ、
結局Fezの市街まで120DHで運ばれる事になってしまった。

私は少しほっとしたような、親切そうだった青年に申し訳ないような
複雑な気持ちで車に乗っていた。
タクシーの運転手は道々、運転しながら私を歓迎し、私が1人でこの国を旅しようとしている事に驚き、この国での注意事項を列挙し、それでも僕みたいな親切な奴もいるのさと母国と己のフォローを怠らず、私を安心させようと日本人の友達のアドレスや写真をみせ、わずかな時間を120%は優に超えるくらい有効に使ってくれた。
それから私がガイドブックを見て選んだホテルについて、
「そのホテルはメディナの中にあって、君の様な1人旅の女の子には危ないから」
と注意を促し、私のホテルの予算と希望を聞き、部屋探しを手伝ってくれた。
新市街に入る頃、
「明日は僕の友達のオフィシャルガイドに君を案内する様頼んであげよう」
と運転手に云われた。
“ああ、これがガイドブックに書いてあった、モロッコ人のガイド攻撃かぁ。”
そう思っているうちに何ともタイミングよく、
そのオフィシャルガイドの友人に街の中で偶然?出会った。
運転手は私に
「彼が丁度今話していた友達のオフィシャルガイドだよ。」
とその友人を紹介してくれた。
ガイドの名前はラムラニさん。
ちょっと太っちょの、それでもとってもやさしそうな顔をしたおじさんだった。
私に信用させようと、オフィシャルガイドの写真入証明書を見せ、
公認の1日のガイド料の値段表を見せてくれた。

モロッコに入った途端、私の1人旅には桃太郎のサルやキジのように、
次々と道連れができてしまった。
別に大したきび団子を持っているわけでもない私にも、人並みに人が集まってくる。
果たしてこの先どうなるのやら… 
 
モロッコ人がとてもフレンドリーな国民だということは、
本で読んで知っていたつもりだった。
でも、今まで気の向くまま、思いのままの旅をモットーにしてきた私が、
今回はどうも最初から勝手が違って戸惑ってしまった。
私の意志とは別の、見えない力が私を次から次へとベルトコンベアーの上に乗せ、
ポイントポイントへと運んでいってしまうような気がした。

私はとっても疲れていた。
仕事に追われっぱなしで、そのまま休む間もなく飛行機に乗り、
乗り継ぎに乗り継ぎを重ねてこんな遠くまでやって来た。
ここ1ヶ月ろくに眠ってもいない。
だからとにかく、一刻も早く、今は休みたかった。
この人達が本当にいい人なのか、そうでないのか、
判断し見極める元気も私には残っていなかった。
でもそう悪い人達には見えなかったので、とりあえず今日の私のねぐらを探してもらい、60DHでシャワー付のボロ宿に決め、ラムラニさんには明日の朝10時にホテルまで迎えに来てもらって、メディナを案内してもらう約束をして、早々に今夜のねぐら… 手足を伸ばして眠れるうすら冷たいダブルベットになだれ込んだ。



どのくらい眠ったのだろう。
時計を見ると夜中の1時を回ったところだった。
シャワーを浴びたかったので、服を脱ぎ、錆付いた蛇口をひねった。
ホテルの人の話だと、ここはホットシャワーになっているとのことだった。
ただし、時間が決まっていてその間だけしか温かいお湯はでないといわれていた。
ただ、私は肝心な時間を聞き取ることができなかった。
疲れていて、何度も聞き返すことも面倒くさく思えて、
まあいいやとやり過ごしてしまった。
どうも今はその時間外らしい。
待てども待てどもシャワーからは温かいお湯は出てこなかった。
仕方なく、殆ど水に近いぬるま湯で髪を洗った。
モロッコはもっと気候も暖かいと思っていたが、
さすがに真冬の今はぬるま湯を浴びても平気な程暖かくはなかった。
全て私の勉強不足がいけなかったのだが、
それでもなんとなくブルーな気分に陥ってしまった。
なんでまた、こんな国にたった1人で来てしまったのだろう。
これからあと2週間も、一体どうすればいいんだろう…???

震えながら身体を拭き、着替えて再びベットの冷たい毛布に潜り込んだ。
シャワーで余計に身体が冷えてしまったので、
着て来たコートとストールも毛布の上に重ね、
旅行鞄に納まるくらいに小さく身体を丸めて、また私は眠りについた。




突然ではございますが、ちょいとしばらくの間、

こちらに昔旅したモロッコの旅日記を連載しようと思います。

ワタシがモロッコを訪れたのが、確か’97年の冬。

もうかれこれ10年以上も前のことになります。

まだ、パソコンもなく、携帯電話もモロッコでは普及しておらず、

洗濯機もない家庭も多かった頃。

今とは大分変わっている事と思いますが、

ワタシの人生観をがらり!と変えるに至った旅の記録に

しばしおつきあい願えればと思います。

入院中のここ数日も、予約更新でお届けする予定です。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + +


また新たな旅日記のページがめくられた。
最初の予定から仕事の都合で少々遅れはしたものの、
私の魂はめげることなく旅立ちの準備を進めている。

今回の旅は、初めての地、モロッコ
何故、モロッコになったのか…?
自分の記憶を遡れば、
たしか“都市と地中海”っていう本がこの国に触れたきっかけだったような気がする。
私の心をくすぐるキーワード、迷宮(ラビリンス)、異国の香り、
外に閉ざされて内に開くパティオを持つ家々…
それらがこの国に凝縮され、つまっている… らしい

ムズムズと旅の虫が疼いて来た。
まだ見ぬ地への期待と不安とが交錯する。
初めてのアフリカ大陸、イスラム世界。
ヨーロッパと違って、コワイ思いもするかもしれない。
久しぶりの1人旅。カンが鈍っているかもしれない。
文章も絵もしばらくまともに描いていない。
果たしてこの絵日記は、どんな風に彩られ、描かれていくのだろうか…
いいものが、描けるだろうか…
また素晴らしい物に巡り合えるだろうか…?!

旅日記の最初のページをめくる度に、
日常の中では感じる事のない緊張感に包まれる。
冒険の前の儀式のようなものかな。
大丈夫。飛行機が飛び立てば、カンも戻るだろう。
あの離陸の瞬間を味わえば、何も恐くはなくなるだろう。

さあ、大きな瞳を見開いて、また色—んな物、見てこよう!!
いつまでたっても、いくつになっても、私は旅人。冒険はやめられない。
歩く事、見る事、描く事、それが私の生きた証。
その時、その瞬間、何を見て何を感じたか、
私のこの目で私の物差しで、見て、計って、判断すればいい。
ささやかな野心と、旅日記のコンセプトと、そして大切な旅の道連れを鞄に詰めて…



いざ、西の果てへ…!!!


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プロフィール
HN:
masu
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/09/27
職業:
一級建築士
趣味:
しばらくおあづけ状態ですが、スケッチブック片手にふらふらする一人旅
自己紹介:
世田谷で、夫婦二人の一級建築士事務所をやっています。新築マンションからデザインリフォーム等をはじめ、様々な用途の建築物の設計に携わっています。基本呑気な夫婦で更新ペースもぬるーく、更新内容も仕事に限らずゆるーく、でもていねいに、綴っています。
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