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ノイファイミリーの日常、息子の成長など・・・
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いよいよ別れの時が少しずつ近づいて来たモロッコの旅。

でも、この頃になると1日に色んなことが凝縮されていて、

まだまだこの日は終わらずに続いていたのです。

そしてこの日のこの日記にこそ、この旅で私が学んだ一番伝えたいことが、

つまっていたんですね。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +


ベルベル絨毯屋さんに別れを告げて、夜の街に出た。
メディナの喧燥に埋もれながら私達は並んで歩いていた。
モハメド家で私の事をみんなが心待ちにしているというので、家に戻ることにした。
モハメドは私を玄関まで送り届けて、
またアリと一緒にカスカドホテルに行ってしまった。
彼の家出は一体いつまでつづくのだろう…

私が家に帰るとみんなが次々と顔を見せ、キスのシャワーを浴びせかけた。
ファティマだけは風邪をひいたらしく、辛そうにベットに横になっていた。
それでも私の顔を見るために
ベットから起き上がっておかえりなさいと言ってくれた。
大きな居間のソファにやっと腰を落ち着けたと思ったら、
子供達に絶大な人気を得てしまっていた私は、
彼女達に記念の似顔絵を描く事になってしまった。
私の目の前で壮絶なジャンケン合戦が繰り広げられ、
勝った順番に並んでニコニコしながらポーズをとっている。
メリアンが疲れているのにごめんなさいと言って気を遣ってくれたが、
こんなにかわいい笑顔達が私の下手くそな絵を楽しみにしていてくれるというだけで、
疲れなんて吹き飛んでしまった。
モデルが子供だからと言って侮れない。
かえって正直な批評が飛び出すかもしれないと内心びくびくしながらも、
下手は下手なりに一生懸命描いてあげなくちゃと姿勢を正す。
プティ・モデル達もみんなそれぞれおすまし顔でポーズを取っている。

ハスナ、サーラ、ワディア、そしてハサニヤ…
なんとなく、どことなく特徴をつかんだなかなかの絵が出来上がって、
かわいいモデル達も喜んでくれた。
メリアンにそれぞれの似顔絵の下にアルファベットとアラビア文字で
名前をかいてもらった。
子供達が私のスケッチブックを持ってママやパパに見せてまわっていた。
それから後も子供達は私を独占していた。
私に伝えたい事があるとメリアンに恥ずかしそうに耳打ちして、
英語に訳してもらいながら私のまわりを取り囲んでいた。
パパがそっちの部屋は寒いからこっちに来てテレビでも見てゆっくりしなさいと
何度も顔をみせたが、
その度に子供達に“今MASUMIは私達と一緒にあそんでいるの!”
と一斉に攻撃を浴びせられ、しぶしぶと退散していた。
ああ、なんだか本当に我が家のパパを彷彿させる。
どこの国でも、パパは弱し。 
     
そして終いにはパパも大きくて寒い居間のソファに座って私達の仲間に入っていた。
そんな中で一番大変だったのはメリアンだ。
子供達はもちろんアラビア語しか話せない。
そしてパパはスペイン系移民だったのでスペイン語で私に話し掛けてくる。
私が理解できずに困った顔をすると、「メリアン!今言った事を訳してくれ!」
と今度はアラビア語でメリアンにまくしたてる。
私とメリアンが英語やフランス語で話しが出来ると言っても、
2人揃ってそんなに出来がいいわけではなく、
ほんの些細な事でもいろんな言い回しや例えを使って
やっとお互い理解しあえる程度なのに、
その上みんながメリアン、メリアンと次々に彼女に通訳を依頼してくる。

「ほんとにもう!みんなは私に給料を支払っていいくらいよ!子供達からパパまで、
私に次々と矢継ぎ早にいろんな言葉であなたに伝えてくれってまくしたてて…
これはもう、れっきとしたビジネスだと思わない?
パパは後で私に御小遣いをくれるべきだわ!!」
多分私が日本でこういう状況に立ったら、全く同じ事を言ったに違いない。
我侭娘シスターズは2人で顔を見合わせて笑っていた。

食事の用意ができて、食卓についた。
待ちに待っていたママの特製ハリラ。
「たくさん食べて私みたいに強く逞しくなりなさい!」
とママが両腕をぐいと持ち上げるポーズをとって言った。
干した木の実をメリアンが種をとって私の口に運んでくれた。
そしてハリラ!!
ぐつぐつとじっくり煮込まれたそのスープで身体の芯から温まる気がした。
ママのハリラは評判通り、世界一美味しかった。
私があまりにも感激しているので、
ママは明日ハリラの作り方を教えてくれると言っていた。
日本で手に入らない食材はないから多分調理法さえわかれば、
家でも作って食べられるだろう。
明日は始めてのハンマム体験も待っているし、
最後まで楽しみが盛り沢山だ。

食事が済んでから、ママがみんなにミントティーを入れてくれた。
モハメド家にも、大切に使われている銀のポットがあった。
パパはそのポットを、サハラで働いていた時に見つけたと言っていた。
職人がいい仕事をしていてとてもよくできていた物なので、
気に入って早速家族のために買ってきたそうだ。
それ以来、モハメド家では毎晩このポットでミントティーが入れられてきた。
家族でそれを囲み、温かいミントティーを飲みながら、語らってきた。
そんな大切な銀のポットを、パパとママが私にプレゼントしてくれると言った。
それだけは、頂いて帰る事はできないと私は必死で断った。
ママやメリアンはどうしてかと不思議そうな顔をした。
「だってこれは、あなた達の大切な宝物だもの。
このポットにはあなた方家族の歴史が刻まれている。
たくさんの家族の思い出が詰まっている。
そんな大切な物を私が貰うわけにはいかないの」
私がそう言うと、ママは笑って言った。
「だから私達は、これをMASUにプレゼントしたいのよ。
だってあなたは私の可愛い娘だもの。
遠くに行ってしまうあなたがこれを見る度に私達家族の事を思い出してくれるのが、
私達にとっても幸せなことなのよ…」
丁寧に端正込めて作り上げられ、そして愛されながら使われてきた銀のポットを、
私は大切に日本に持ち帰る事にした。

夜も更けて、それぞれが寝床に着く頃になった。
モハメド家にはいつも食事をとったり家族で集っている茶の間的役割を果たす
8畳程の部屋と、その横にある15畳程の居間の2つの居室がある。
小さい方の部屋には、タンス、テレビ、木でできたセミダブルサイズのベット、
丸いテーブル、そしてソファが壁に沿ってくの字型に置かれている。
大きい方の居間にはぐるりとソファが壁沿いに置かれ、
真ん中にゆったりと大きなアラビア絨毯が敷かれている。
それぞれの部屋のソファの上には、
共布でフカフカのクッションが背もたれ用に置かれている。
夜眠る時は、そのソファがベットになり、クッションは枕となる。
ソファの上にシーツを敷き、
クッションにカバーをかぶせてみんながそれぞれ横になり、
毛布を掛けて眠りにつく。

こうやって文章で各居室の説明をしようとしてもちゃんと当てはまる室名がないので
逆に困ってしまうが、考えてみれば昔の日本の住居もこんな風だったのだ。
2間続きの和室などで、家族みんなで川の字になって眠っていた。
昼間には布団を上げて、寝床が茶の間になり、
そこでみんなで食事をとったり、
子供達が喧嘩をしたりお父さんが本を読んだりしていたのだ。
椅子式の生活と座布団の生活、ベットの生活と布団の生活。
使用する道具が違うだけで、生活のスタイル自体は殆ど同じだった。
そしてそれはとてもオールマイティーな空間だった。
日本ではいつしか西洋から入ってきた食寝分離という新しいスタイルが
もてはやされるようになり、
子供達にはそれぞれ個室が与えられ、各居室には居間とか食堂とか子供部屋とかいう
もっともらしい名前がつけられるようになった。
私も例にもれず、個室を与えられて育ってきた世代だ。
そうやってみんなが3LDK,4LDKという言葉に捕われていき、
数多くの普通の人々がそれを所有する事が可能になってきた事が、
日本の豊かさの象徴のように言われていた。
果たしてそれは、正しい選択だったのだろうか… 
今、急に私が個室の無い生活に身を置かなければならなくなったとしたら、
どう感じるだろう?

この旅に出る前の私なら、多分そんな生活はイヤだと答えただろう。
ゆっくり静かに本を読みたいと思っていても横で子供達が騒いでいたり、
見たくも無いテレビ番組の音が煩かったりして、苛々していたかもしれない。
でも今は、少し考えが変わってきた。
全て受け入れられるという訳ではないが、
みんなでこうやって同じ空間で長い時間を過ごす事も、とても魅力的に思えてきた。
それにここでは小さなスペースでもとても合理的に使われている。
しかも子供の頃から使うものを取り出し、
使わないものは片づけるようにきちんと躾られているから、
日本の私の部屋を思い出すと、なんだか恥ずかしくなってしまう。
ドアで仕切ってしまえば見えないから、
と臭いものには蓋をしろの考えで散らかりっぱなしの個室は、
私の部屋以外にも沢山存在していることだろう。
でも彼等にとっては、
家の中全てが家族全員の共用スペースであり、公共の場でもある。
食事をしたり、小さな子供がはしゃぎまわれば、散らかる事は当然だ。
だけど家族みんなが、
1人1人が他の人が気持ちいいように共有の空間を使おうと心がけているから、
彼等の家はとても気持ちがいい。

要するに一番大切なものは、空間を仕切る壁やドアではなく、
相手の空気を感じ取ってあげられる優しさなのではないかと思った。
静かに本を読みたいと思う人の周りで、
邪魔にならないように気遣ってあげる思いやりや、
子供達の悪戯や大騒ぎを笑って遣り過せる寛大な心。
そんな気持ちを家族みんなが持っていれば、
もしかしたら個室なんてものは
さほど躍起になって手に入れる程の物ではないのかもしれない。

ひょんな事から、私は全く他人の家にホームステイすることになった。
だけどそれはものすごく貴重な体験だった。
それぞれの家庭でそれぞれの暮らし方がある。
私が育ってきた環境とは全く違った中で育つ子供達もいる。
それを垣間見る事ができたのは、ものすごく大きな体験だった。
私が自分で持っていた物差し以外にも、いろんな物差しがあることを知った。
体験してみて初めて知る良さや、気がつく不便さもある。
これから先人の住宅を造る機会に恵まれた時に、
そこで暮らす人がどんな生活を送るのか、
それを様々な角度から観察することができるような気がする。
大人になって旅に出ても、ホテルに滞在して昼間は街を歩きまわって、
他人の家にお世話になるという経験をすることは非常に希になってくるだろう。
だけど他人の生活を覗くことは、面白いし、驚くような発見がたくさんある。
共に眠り、共に食し、共に家事をこなす事によってようやく見えてくる事も多い。
これからも、機会があればいろんな国のいろんな家庭にホームステイしてみたい。
それは宿代が浮くという単純なメリット以上に大きな意義を私に与えてくれる。



アリと一緒にカスカドホテルに行っていたモハメドが家に帰ってきた。
ホテルの部屋が満室で、今夜は泊めてもらう事が出来なかったそうだ。
今夜は私がみんなと一緒に過ごせる最後の夜だから、
この家にいてほしいと頼んだら、わかったと言ってくれた。
ママやメリアン達と一緒に話をした。
モハメドがいない間、
メリアンが私とみんなの通訳を1人で引き受けなくてはならなくて、
とっても大変そうだったと言うと、彼は笑っていた。




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次に、ベルベル絨毯屋さんに行った。
ここの絨毯屋のおじさんは、本当に味がある人だ。
ベルベル絨毯は、その家族に幸運をもたらすという。
だから君も日本に幸運を持って帰りなさい。
そんな売り口上も、このおじさんに言われると何となく本当のように思えてくる。
それはそれはあちこちで絨毯も見たし、
どこに行っても同じようなことをいわれて来た。
それでも、私は最後にこの店で、その幸運とやらを日本に持って帰る事にした。
「オールハンドメイド。ローングタイム…」
そう、この国ではそうやって今も物を作り続けているんだ。
このマティリアルワールドの中で、自然の素材を使い、人の手を使い、
たくさんの時間を使って、この国では物が作られる。
そうやって作られた絨毯や銀の食器をこの国の人達は吟味しながら
一つずつ買いそろえていく。
そしてそれを一生使い続ける。
大切に、愛着を感じながら。
そしていつしかそれぞれの物に、思い出や家族の歴史が刻まれていく。
親から子供に大切に受け継がれる宝となる。
誠意をこめて物を作り、愛情をこめてそれを使う。
これが本来の需要と供給の姿なのではないかと思った。
物が溢れ、次々に新しい物が出現し、
その中での選択という行為に明け暮れる生活を送っていた私。
古くなれば新しい物に取り替えればいい。
壊れたら捨てればいい。
いつもどこかにそんな気持ちがあった。
まだまだひよことはいえ、物を造る仕事にたずさわっていながら、
そんな大切な事を忘れていたんだね。

音楽に合わせて、私達は踊っていた。
ベルベル絨毯の上で、空を飛ぶように。
いつしか本当に鮮やかなフェズブルーの絨毯が、
私達を乗せてFezの街の夜空に飛び出していくような気がした。
夢心地だった。
ベルベルウィスキーで、少し酔っていたのだろうか。
今なら、どんな願い事も、全てかなえられそうな気さえした。

私の目から、涙が溢れていた。
私は、踊りながら泣いていた。
誰にどうやって感謝すればいいのかわからない。
こんな、絵に描いたようないい時間を過ごす事ができて… 
こんな最高のご褒美を私にくれたのは誰? 
私の旅に、こんな素敵な彩りを添えてくれたのは誰なんだろう。
私一人じゃない。
そう、私の周りの人みんなが、私をここに、この時間に導いてくれたんだ。
私を産んで、育ててくれた両親。
気をつけて行ってらっしゃいと送り出してくれた恋人。
普通じゃ貰えないような休暇をくれた仕事場の仲間達。
そしてこの国で出会った、友達とファミリー。
遥かなる天空から見守ってくれていた幸運の女神… 

私の涙を宝石にかえてその全ての人達に送り届けに、
この絨毯に乗って飛び立ちたい!!私はそんな衝動に駈られていた。
「どうしたんだ、なぜ君は泣いているんだ?!」
モハメドが私の涙を見て、驚いた顔をして聞いた。
「なんでもないよ。ただ、あんまりにも幸せで、涙が止まらないんだよ。
わかるでしょう? 人は悲しい時や寂しいときに涙を流すものだけど、
でも本当に幸福で仕方がないときにもこうやって泣くものなんだよ。
だけどそんな涙なら、いくら流したっていいでしょう?」
「本当だね? 本当にそれで君は泣いているんだね? 
幸福だから、だから泣いているだけなんだね?」
それでもなお、心配そうな顔をしている彼に向かって、私は言った。
“Look at me!!”

伝言ゲームの伝言は滞りなく伝わったらしく、
アリが私達を絨毯屋さんまで迎えに来た。
3人で床に広げられたカーペットの上にしばらく寝そべっていた。
このまま空に飛んでいきたいね。
何処か遠くに… 
空を飛んでこんなに遠くに来ていたはずなのに、
何故か私はそんな事を思っていた。
一体、何処に行きたかったのだろう。
もうすぐ、この旅も終わってしまう。
また日本に戻れば日常が待っている。
彼等とも、明日の夜でお別れしなければいけない。
急に怖れていたものが私の前に姿を現した。
水平線の向こうの方から、微かに近づいてくる姿が確認できる波。
また、この時が来てしまった。
旅の終わりが近づくといつも襲われるこの空虚な気持ち。
どんなに遠くまで逃げ出しても、
それは何処までも何処までもついてきて私を探し出し、
そして私は捕らえられる。



それでもなお、私はまた脱走を企てる。
決して逃れる事はできないと、わかっていながら…




今朝の朝食も、同じカフェでとった。
荷物をまとめて宿の仲間に別れを告げ、帰りのバスに乗り込む。

途中のバスターミナルでバスが止まった。
私達は一度表に出て、
大きな肉の塊が無造作にぶら下がっているサンドイッチ屋のカウンターで
サンドイッチを注文した。
サンドイッチにはいつもの通り丸いパンを半分に切ったものの間に
さっきまでぶら下がっていた肉が焼かれて入っていた。
その上にフライドポテトが乗っかっている。
朝食をとってから何も食べていなかったからとってもお腹が減っていたけど、
私は半分だけ食べて後はモハメドとアリにあげてしまった。
モハメドが、もっとたくさん食べる様私に勧めたが、
私は首を横に振って言った。
「いいの。だって今夜はあなたのママが私のために
特製ハリラを作って待っていてくれるんだもの。
私はそれをお腹いっぱい食べるのが楽しみなの。
だからうーんとお腹を空かせて帰るんだよ!」
軽い腹ごしらえも済んで、再びバスに乗り込んだ。
夕方の田園風景が車窓を流れる。
逆光を浴びて、古びたモスクが建っている。
ゆったりと河が流れ、点々と人や羊達の姿が見える。
もうすぐ、私達はFezに帰る。
そこでモハメドの家族達が私の帰りを待っていてくれるだろう。
なんだかほんの数日の間で、すっかりFezの街が私の故郷のようになってしまった。
自分の家に帰るように、私はモハメド家に向かっていた。

「君は日本にお土産を買っていかなくていいのかい?」
とモハメドが聞いてきた。
確かに。
私は今まで何一つ家族や友達に土産を買っていなかった。
海外に来たからといっていつもたいした買物はしないが、
せめて本当に親しい人達と仕事場の仲間達くらいには
何か買って帰らなくてはならない。
モハメドにお願いして、Fezに着いたら少しだけまたメディナの中を歩いて、
さっと土産物を探す事にした。
明日は朝からメリアンが私をハンマムに連れていってくれる約束をしていた。
最初はFezから50km程行ったところに温泉があるので、
そこまで2人で行っておいでと言われていたが、さすがに私も疲れてきていたので、
メディナの中にある近所のハンマムに入ってのんびりと疲れを癒し、
午後はモハメドの家で家族達とおしゃべりをしながら休息の時を過ごすことにした。
明日の夜中には、夜行列車に乗ってカサブランカに向かわなくてはならない。
残された僅かな時間。
私は私の友人や家族達みんなと一緒にのんびりと過ごしたかった。

ようやく外の風景に建物の姿が増えてきた。
見慣れた風景が近づいてきた。
新市街のバスターミナルで、私達はバスを降りた。
アリがpetit TAXIをつかまえてくれて、3人で乗り込んだ。
ブージュールド門の前でアリだけが私とモハメドのリュックを担いで
先に降りていった。
私とモハメド2人はそのままタクシーでメディナの奥の方まで乗って行き、
土産物を探す事になった。
アリは私達の荷物をモハメドの家に置いて、
無事に3人そろって帰って来た事を彼の家族に報告してから
私達を追っかけてくるそうだ。

追っかけてくると言っても私達が何処の店で土産物を探しているかなんて、
どうやって解るんだろうと不思議でならなかった。
だけど、モハメドの様子を見ているうちにだんだんとその謎がとけてきた。
モロッコの電話事情はあまりよくない。
なかなかつながらない事も多いし、
相手の声も雑音が入って聞き取りにくかったりする。
でもこのメディナのなかでは、電話なんて必要ない。
だってみんな顔見知りで、そのうちの誰かに“ここで待っている”と言づてれば、
ちゃんとそれが伝わっている。
犬の小便みたいにポイントポイントにマーキングしていけば、
相手はそれを頼りに私達を見つけ出してくれる。
とても便利そうでいてなかなかつながらない携帯電話やPHSなんかより、
よっぽど確実だ。
今までも急に予定を変更して、
それをアリやモハメドの家族に伝えなくてはならない状況が何度かあった。
私が心配そうにモハメドに“電話しなくちゃ、みんな心配するよ”というと、
彼はその度に大丈夫だ、彼らにはもうちゃんと伝わっていると言っていた。
そして確かにそのとおりだった。
不思議なことに、いつも彼らはちゃんと私の予定外の行動を把握してくれていた。
どんな最新式のネットワークシステムよりも、
このメディナの中のネットワークの方が、確実で安心感があった。

スパイスと香水を売っている店に行った。
タムタム屋さんのお兄さんが何故か店番をしていた。
お土産用の香水何本かと、スパイスを少し買うことにした。
日本ではとっても高いサフランと、
4種類のスパイスがミックスされたものを
ポケットティッシュくらいのビニール製の袋に入れてもらった。
家に帰ってからこのスパイス達で、
モハメドやアリに教えてもらったモロッコ料理に挑戦してみる事にする。
さて、いよいよ値段の交渉に入る。
タムタム屋さんのお兄さんもすっかり顔見知りとはいえ、
ビジネスになると話しは別だという感じで随分結構な値段を吹っかけてくる。
そこで、大根役者モハメド登場。
大袈裟な身振り手振りで一芝居打ってくれた。
「見てみろよ、彼女のこのみすぼらしい身なりを!
日本人とはいえ、彼女は学生だ。しかもとっても貧しい。
そんな彼女に君はそんな心無い値段を請求するのか?僕の大切な友達に…?」
そして私も調子にのって、眉毛をハの字にして追い討ちをかける。
「そう。私はとーっても貧乏なんです。
だからそんなに高価なものなら、買ってかえれない。
ああ、ママへのプレゼントにと思ってせっかく選んだけど…
ごめんねママ!私は貧しくて、
ママの為にプレゼントの一つも買ってあげる事ができないの!」
タムタム屋のお兄さんはすっかり呆れた顔をして、私達に尋ねた。
「わかった、わかった。それで君は、一体幾らなら支払えるんだい?」
思わずニンマリしながら、私はモハメドと顔を見合わせた。
「君は何も言うな。それで幾らなら払える?」
と小声で聞かれ、自分が支払えそうな金額を答えた。
それから後はモハメドにすっかりまかせて様子をうかがっていると、
どうも軍配は私たちに上がったらしかった。
タムタム屋のお兄さんは
「全く、君たちは2人揃ってグルになってそんなサル芝居をして
この店をつぶす気かい?」
と嘆いていた。
モハメドは自分のお手柄で私にいい買物をさせる事ができた事を
とっても喜んでいた。
今はシーズンオフで旅行者も少ないので、
メディナの観光客相手の店はどこも閑古鳥が鳴いているらしい。
だから多少値切られても全く売上げがないよりはマシなので、
私達の要求を飲んでくれたそうだ。



その後、私は一人で街に出た。
いつもの広場まで、多少迷いながらもたどり着いた。
どこかのカフェで絵葉書でも書こうと思い、適当なところを探した。
少しフラフラして、結局、さっきも来た同じカフェの椅子に腰掛けた。
もしもアリ達が、私がいないと心配して探しに来ても、
ここならすぐに見つけてくれるだろう。
例の如くcafé with milkを頼み、
さっき買ったシェフシャウエンの絵葉書を何枚かしたためた。
どのくらい経っただろう。聞き覚えのある声で、
“Hi! Ca va?”
と声を掛けられ顔をあげると、アリとアブラヘムとジャパン君が、
ポップコーンをぶら下げて立っていた。
「モハメドは?」とアリに聞かれ、疲れて眠っているとだけ答えた。
みんなが私と同じテーブルにつき、それぞれミントティーやコーヒーを注文した。
アリが私にポップコーンを1袋くれた。
「これは君の。そしてこれはモハメドの。」
2つのポップコーンの袋がテーブルの上に置かれた。
「アリの分がないよ」
「僕はもう、さっきたくさん食べちゃったから…」
本とにアリは、優しいんだ。
モハメドとちょっぴり気まずい思いをして、
沈んでいた私に、アリは笑顔を取り戻してくれた。
「じゃあこれを2人で食べよう!そしてこっちはモハメドにあげるの。
だって彼が目覚めたとき、なーんにも食べ物がなかったら… 
彼はきっと、私を食べちゃうよ!!」
私がそう言うと、アリは少し安心したように笑った。
しばらくして、モハメドかやって来た。
彼はみんなと話しながら、しばらく私とは目を合わせなかった。
でもその内に、つんつんと私の靴を蹴飛ばしてちょっかいを出してきた。
私が彼の顔を覗き込むと、そこにはいつもの悪戯っ子のような表情が戻っていた。

アブラヘムやジャパン君が歌を唄いだした。
テーブルや身体を太鼓にして、
いつしか夕闇のシェフシャウエンのオープンカフェは、天然歌声喫茶と化していた。
モハメドやアリも身体を揺らし、声を合わせる。
次から次へと彼等の知っている歌が溢れ出る。
歌詞のわからないところはハミングで。
私も知っている曲がでてくると、ここぞとばかりにはりきって参加する。
知らない曲は、身体で参加。
星空の下、陽気なアラブ人達と唄う、楽しいひととき…
時々英語でアラブ風の歌を唄っているので私が不思議そうにしていると、
「僕らはよくアラビア語の曲を英語にして、替え歌を作って遊ぶのさ」
と教えてくれた。
私達の歌声に、お腹の虫の声が参加してくるまで、歌合戦は続いた。

私とモハメドとアリの3人だけ、先に席を立った。
少し歩こうとアリが言うので、着いて行った。
途中、1番お腹が減っていたモハメドだけサンドイッチを買って、
歩きながらかぶりついた。
人通りの多い坂道を下り、旧市街の外まで来た。
この先に公園があるらしい。のらりくらりと3人並んで夜道を歩く。
歩いている内に、再びモハメドの口数が減っていった。
私は努めて明るく鼻歌を歌っていた。
アリも私やモハメドの心中を察してか、無邪気なフリをしてジョークを飛ばし、
私達の気を和ませようとしてくれていた。
街の外れまで来ると、突き当たりに公園があった。
中に入り、3人並んでベンチに腰掛ける。
しばらく、無言の時が流れた。
「…静かだね。ここは…」
アリが囁くような声で言った。
「うん」
私は小さく肯いた。

3人で星空を見上げながら、それぞれに各々の思いを巡らせていた。
私は、幸せをかみしめていた。
この旅で出会った出来事や人々を1つ1つ丁寧に思い返しながら。
この国で私が学んだ事、感じ取った事は
この星の数よりもたくさんあったような気がした。
そして私はきれいさっぱりと、自分の心の洗濯をした。
なんだか、自分の中でくすぶっていた歪んだ気持ちや醜い部分が、
全て根こそぎ洗い落とされ、取り除かれたような感じだった。

しばらくして、公園を出た。
再び旧市街の方へと歩いていく。
右にステップを踏みながら陽気におどけてみせるアリがいて、
左に私との別れの時が近付いている事に苦悩するモハメドがいた。
そんな2人のはざ間で、私はただ、自分の心の赴くままに振る舞っていた。
屈託なく笑い、踊るように歩いていた。
私は大好きな映画、“冒険者達”を思いだしていた。
自由を求めて旅に出る3人の若者達。
何物からも解き放たれて、思うが侭の生活を送る彼等。
私はまるで自分がその中のレティシアになったような気がしていた。
舞台や背景は違っていても、
今の私の境遇は、レティシアそのもののように感じられた。
そして、あんなにも素敵な映画の中の出来事が、
今形を変えて現実として、自分の身に降りかかっている事が、
とても不思議であり、そして幸福だった。

ホテルに戻る途中で、3人分のサンドイッチを買った。
そこでようやく、モハメドに再び笑顔が戻った。
残り少ない時間をHappyに過ごせるように、彼は一生懸命努力してくれていた。
3人で腕を組んで、夜道を歌いながら歩いた。
“If you cry,I cry too!! If you fly I fly too!!”
私達のテーマソング。
いつもおどけてそう歌い、彼らは私を笑わせた。
私の旅の時間が、限りある時間が、幸せであるように…
喜びも悲しみも僕らはみんなで共有すればいい。 
彼らの望みはたったひとつ。ただそれだけ。


 私がベットの中で絵日記を綴っていると、アリが部屋に入ってきた。
私の枕元に座り、旅のノートを覗き込んだ。
小さな文字でびっしりと書き込まれたノートを見て彼は言った。
「思い出を書いているんだね。
これを見て、君は日本で、僕たちの事を思い出すんだね。」
アリもまた、私やモハメドと同じように、私達3人の別れを悲しんでいた。
いつもいつも陽気に振る舞って、
たった1つ知っていた日本語で「ダイジョウブ?」と私を気遣ってくれていたアリ。
“Ca vas?”
「ダイジョウブ…」何気なくよく使われるこの言葉は、
私の日本の親友寛子ちゃんが大好きだった言葉だ。
彼女は友達や職場の仲間、そして自分自身にも、よくそう言い聞かせていた。
「大丈夫、大丈夫」そう言ってると、本当にどんなに追いつめられた時でも、
なんとなく大丈夫な気がしてくるの。だから大丈夫! 
彼女の“大丈夫”に励まされた人は数多い。
私と同じで、根っからの能天気。
カラカラでパリパリの、揚げたての川海老みたいな性格をしている。
ここモロッコにもそう言って、私を元気付けてくれる人がいた。
大丈夫。Ca vas. 
日本語で聞いても、フランス語で聞いても、
その言葉の持つおおらかさと温かさは変わらなかった。
そしてその言葉を使う人も、同じように心優しい人だった。
悲しみも、寂しさも、涙も、全て自分の胸に押し込んで、
いつも変わらぬ朗らかさで、周りの人間に癒しを与える事を惜しまない。
そんな人だった。



シェフシャウエンの朝は冷え込む。
咳込んで、少し風邪気味だったので、早速広場のカフェで朝食をとり、薬を飲む。
日差しが眩しい。
シェフシャウエンは、本当に魅力的な場所だ。
石畳の細い坂道、白壁に青い窓、子供達の声、小鳥のさえずり。
そして、太陽と山。
モハメドが私に、日差しが眩しくないかと聞くので、
「大丈夫。だって太陽は私のママだもの!」
と言ったら笑っていた。
ここで暮らすのも、いいかもしれない。
とってもとっても居心地がいい。
Fezやサハラとは、全然違った魅力だ。
フランスもそうだったけど、モロッコも地方によって人々の生活は全く違う。
同じ国の中なのに全く違った要素がたくさん詰まっている。
面白さが盛り沢山だ。
朝食をとってから、大パノラマを眺める為に歩き出す。
途中で小さなバンに拾ってもらって、山の途中まで登る。
シェフシャウエンで一番豪華なホテルの傍で、街を見下ろし、山と太陽に抱かれる。
モハメドやアリと日向ぼっこ。
ああー! 気持ちいーい!!

そこでモハメドが、いろんな話をしてくれた。
人生を思いきり楽しむ方法を彼等はよく知っている。
私の人生で大切な物は、愛情と、そして仕事。あと、忘れちゃならない旅!
だけど彼等は全然違う人生観を持っている。
モロッコの人々は、たとえどんなに学校へ行って一生懸命勉強しても、
仕事につけない人も多い。
貧富の差も大きい。
でも、彼等は自分の人生を幸せだと思っている。
もしも彼等に立派な仕事があって、たくさんお金があって、大きな家に住み、
高級な車に乗っていても、彼等は決して幸せではない。
モハメドは言った。
“僕らは貧しい。でも、心は誰よりも豊かだ。だから僕らはとっても幸せなんだ…”

山の上の方に、家が点々と建っている。
彼等はあんなに不便なところで生活して、クレイジーだと思うかい?
とモハメドは私に聞いた。そして言った。
「NO.彼等は決してクレイジーなんかじゃない。
彼等は山の上に暮らし、羊を飼い、野菜を作り、それを食べて暮らしている。
自給自足で。
下界から隔絶されたあの土地には、悪い事は何もない。
争いごとも、妬みや憎しみも。
その代わりきれいな空気、太陽の恵み、美しい風景、豊かな心を彼等は持っている。
彼等は、お金は持っていない。だけど、とっても豊かな人々なんだよ…」
それからモハメドはカスカドホテルで会ったジョンの事を話してくれた。
ジョンはアメリカに大—きな大きな家を持つ、大金持なのだそうだ。
モロッコでも、星がいくつも並んだホテルに滞在し、
1日に計り知れないお金を使う事だってできる。
だけど彼は決してそうはしない。
カスカドホテルの様な安宿に幾日も滞在し、土地の人々と触れ合い、話しながら、
本当のこの国の姿を味わっている。
モハメド達は最初、彼の事を理解できなかったという。
でも、ジョンと何時間も何時間もいろいろな事を話しながら、
ようやくうちとけ合い、理解できるようになったそうだ。
私は、いつも同じ服を着て、
彼の身体には小さすぎるカーディガンの裾や袖を引っ張りながら、
弾丸の如く話をするジョンの姿を思い浮かべた。

モロッコは観光国だ。
多くの外国人がこの地に憧れ、旅情を掻き立てられ、訪れる。
だけどモロッコの人々が外国に行く事はとても難しい。
ビザの申請も大変で、なかなか許可が降りないという。
外国に行けるモロッコ人は限られた、経済的にもゆとりのある人達だけだそうだ。
だからモハメドやアリのような若者達は、
ガイドをやったりホテルで働きながら外国の観光客といろいろな話をする。
世界中の人達からその国の話をきき、様々な事を学ぶのだという。
そして彼等は、自分の国の中を旅してまわる。
モロッコにはたくさんの要素が詰め込まれているので、
外の街や大自然の中を旅する事が、彼等にとってはとても楽しい事なのだそうだ。

いろんな生き方があるのだと思った。
ほんの何十年か前には、日本にも同じような生活があったのだろう。
戦争に負け、何もないところから、私のパパやママ達の年代の人達は生まれ育ち、
働き、がむしゃらに時を過ごし、
そして手に入れたものは、世界に誇る富であり、財産だった。
そのお陰で私達はあふれる物に囲まれ、世界中を行き来できる自由を手にしている。
でも、何かを手に入れようとすれば、何かが犠牲になる。
せっかく自由にいろんな世界を見る切符を持っているのに、
それを有効に使う術を知らない人も多い。
経済的にゆとりがあっても自分自身の時間すら支配する自由はない。
人間は一体何のために、何を手に入れるために生きてきたのか…
世界一豊かになった日本は、今闇の中にいる。
太陽に一番近くまで上り詰めようとしていながら、
日本の空には太陽が見えない。
限りなく貪欲に、全てを手に入れようとしたのに、
本当に大切な物を失ってしまった。
そうやって人間は、愚かな行動を繰り返す。
過去に、遥か昔から、私達の先輩達が繰り返してきた事と同じ過ちを、
絶えず繰り返す。
それが、人間という生き物なのだろうか。
だからこそ、愛すべき生態なのだろうか。
人は欲しいものを手に入るために生き、働き、そして全てを手に入れた瞬間が、
全てを失う瞬間だということを、そのとき初めて知るのかもしれない。
変わらずにいようとすることが豊かな事なのか、
絶えず変わろうと努める事が豊かさへの道なのか… 
その答えは誰も知らない。


薪を担いだおばあちゃん2人が、山の上の方から下って来て、
私達の傍を通り過ぎ、眼下に広がる街へと降りて行った。
のんびりとした時間。目の前の大自然。
こんな生活も、いいかもしれない。
私はこの土地に、すっかり取りつかれてしまった。
至極の時を過ごしていた。
こんな時間が、いつまでもいつまでも続いて欲しいと願った。

ホテルに戻り、モハメドがルーフに行こうというので、毛布を持ってあがった。
夕暮れ時のシャウエンの街にぽつぽつと明かりが灯りはじめていた。
その向こうで、
だんだんと空の闇の中へと姿を隠してゆく山が私達を見下ろしていた。
空の色と街の喧騒がゆっくりとフェードアウトしていった。
静かな時間が流れていく。世界中に私達2人しかいないような感じがした。
いつになくモハメドは口数が少なくなっていた。
時はゆったりと流れているようで、
それでも着々と、私達に残された時間は消費されていた。
始めのうち、まだまだ先の事と思っていた別れと言う言葉が、
時とともにちらちらと私達の脳裏をかすめるようになり、
それはだんだん侵略の範囲を増していった。
何千kmも先から少しずつ、
じわじわと波が近付いてくるように少しずつそれは気配を強めていった。
私との別れの時が近づくにつれ、
だんだんとモハメドの気持ちが沈んでいくのがわかる。
彼はまだ姿を見せぬその気配に怯え、
そしてそれに立ち向かうために彼自身の中で葛藤を繰り返していた。
2人の間に重たい空気が流れていった。


洗濯が終わりかけた頃、モハメドが私を呼びにきた。
「MASU!行くぞ!バスは12:00に出るんだ!」
ほんの少し残った洗濯物をファティマに頼み、出発の準備をした。
シミがついた白いジーンズに履き替えていたらファティマとメリアンが
「それも汚れているから洗っておいてあげる。私達のジーンズを貸してあげるから、
それを履いて行って!」
とジーンズを貸してくれた。
リュックをかつぎ、ママやメリアン達にまたまた行ってきますを言う。
明日か明後日また帰って来るからねとみんなにキスをして、
いざ、シェフシャウエンに向かう。

表に出ると、アリが待っていた。
「Hey!アリ、会いたかったよ!」
いよいよ今度は3人で、シェフシャウエンを旅する。
朝、帰り着いた民営バスターミナルへ再び向かう。
バスの一番後ろの席に3人並んで座る。
私が何か飲み物が欲しいと頼むと、アリが買いに行ってくれた。

しばらくして、いよいよバスは走り出した。
モハメドがアリにサハラでの出来事をいろいろと話している間、
私はずーっと窓の外を眺めていた。
シェフシャウエンに向かう道はサハラへの道とは全然違って、
青々とした牧草地帯や畑が広がっている。
広大な大地に点々と家が建ち、洗濯物が干され、羊が群をなし、
人が川辺でくつろぐ姿が見える。
時々モハメドがちょっかいを出してきた。
「何を考えてるの?こっちを向いて僕らの仲間に入りなよ!」
「NO! 私は窓の外が見たいの。だってすごいんだもん。
モロッコは広—い!アフリカ大陸はでかーい!!
日本はとっても小っちゃい国。土地も、人々の生活も。
だから私はこの風景を思いっきり飲み込むの!!」

羊飼いの姿が見えた。
アリはああやって田舎暮らしをする事が夢なのだそうだ。
アリはとっても穏やかで心優しい青年だから、
あんなのんびりした暮らしがあっているのかもしれない。
バスはもくもくとでこぼこ道を走り続けた。
ガッタンガッタン、ジェットコースター並に揺れる。
途中、少し眠った。
えらいヒドい揺れで目を覚ました。
「ここはもうシェフシャウエン?」
「まだだよ。でももうすぐだよ。」

一度バスが止り、休憩だったので、さっと食べ物を買って頬張る。
とにかくバスはいつ発車してしまうかわからないので気がきじゃない。
とりあえず水で全てを流し込み、再びバスに戻る。
「シェフシャーウエン」
私はこの響きが気に入って、
サハラにいた時からずーっと子供のように何度も何度も繰り返していた。
「シェフシャーウエン」もうすぐそこ。
行きたかったシェフシャウエンが、見えてきた。
大きな山の裾野に広がる白い街、シェフシャウエン。
一目見た瞬間、私はすっかりこの街が気に入った。

バスがターミナルに着き、アリの後について旧市街に入っていく。
モハメドはサハラに詳しかったけど、ここシェフシャウエンはアリの田舎なので、
彼がとても詳しい。
急な石の坂道をヘエヘエいいながら登っていく。
アリがしきりに“Ca vas? ダイジョウブ?”と聞いてきて、
“Oui! Ca vas bien!”と答えるものの、息は荒い。
この坂は、人間の限界に挑戦ってな具合でえらい急勾配だ。
こんな中で生活している人々を見ると、
“おいおい、日本の建築基準法ってばいったいなんだよ?! 
日本はなーんで変なところで過保護なくせに、変なところでルーズなんだろ”
って思ってしまう。

やっとこさアリの友達のアブドゥールが働いている
HOTEL ANDARUSにたどり着いた。
ここはカスカドホテルと同じくらいの値段で泊まれるが、
もっと小奇麗なかわいいホテルだ。
建物の真ん中が1階からルーフまで吹き抜けになっていて、
その周りを取り囲むように客室がある。
通りに面していない部屋には外部に面する窓はなく、
真ん中のサロンに向いて明かり取りの窓がついている。
アブドゥールがFezに来たときはカスカドホテルを使い、
アリがシャウエンに来た時はこのホテルを使う。
そしてお互いの客に、
あそこの土地に行くならこのホテルがいいよと紹介しあっているのだそうだ。
アブドゥールはアリに負けないくらいタジンを作るのが上手いそうなので、
後でみんなで彼のタジンをご馳走になる事にする。

荷物を置き、まずはシャワーを浴びる。
サハラに向かう前に浴びて以来だから、3日ぶりのシャワーだ!!
サハラの埃を洗い流して生き返ったような気分だ。
ここのシャワーは結構広くて、洗面台も中についている。
清潔だし、お湯もたくさん出るし、
何より嬉しいのがシャワーの先っぽが動かせる事だ。
ちょろちょろしか出ないホットシャワーで固定式のものだと、
下半身や足の裏なんかが充分に洗い流せない。
1日中靴をはいて埃の中、泥道なんかを歩き回っているのだから、
真夏なら、たとえ自分の足だとしてもその臭いを嗅ぐ勇気はないだろう。
だからこういうホース式のシャワーは本当に有り難い。
それからもう一つこのホテルで感激したのが洋式水洗トイレ。
バケツの水を流さなくても、鎖をひっぱれば水が流れる。
紙は相変わらず持参だが、それでもこのトイレには感動した。

久しぶりのシャワータイムを満喫してすっきりさっぱりしてから、
3人で街に出かけた。
モスクの前に広場にはカフェが並んでいる。
そこでまたお茶を飲み、雑談する。

一度ホテルに戻ると、
カスカドホテルに滞在していたカナダ人の女の子2人が隣の部屋に到着していた。
やっぱりカスカドホテルで紹介されてこのホテルにやって来たそうだ。
今夜は彼女達も含めて、みんなそろってアブドゥールのタジンを食べる事になった。
モハメドとアリと私、それにターラとポーラ(カナディアン達)で
夕食の材料を市場に買い出しに行く。
名コックアリが材料を吟味しながら
トマトやジャガイモ、玉ねぎなどを次々と買っていた。

ホテルで買って来た材料をアブドゥールに渡し、1階のサロンでみんなで雑談する。
モハメドが憧れているラスタヘアの粋な兄さんがいて、
「Hey! ラスタ!!」と声をかけた。
彼はスペイン人。
モハメドはスペイン語も話せるので彼といろいろと話をしていた。
タジンが出来上がるまでには、まだまだ相当な時間がかかる。
その間、アリがジョークをとばし、
この間私に見せてくれたマジックをやろうとしたら、
カナディアン達はタネを知っていて、彼をがっかりさせた。
このホテルには、スペイン人もかなり宿泊していて、
スペイン語・英語・アラビア語・フランス語…といろーんな言葉が飛び交う。
モハメドはそれら全ての言葉を話す事ができるので、ハァーっと尊敬してしまった。
やっぱり私も、もっともっといっぱいいろんな国の言葉でしゃべりたーい!!

カナディアン達は、もっぱら英語しか話せない。
フランス語はほんの少しだけだという。
モハメドとアリが冗談で、
英語圏の人達が話す英語なまりのフランス語の真似をしてみせて、みんなで笑った。
多分英語圏の人達は世界中を旅しても、
私達程言葉の不自由を感じる事は少ないだろう。
どこへいっても英語を話す人間はたくさんいて、
だからみんなそれが当たり前の様に思っている。
でも英語圏じゃない人達は、たいがい外国で言葉に不自由した事があるので、
結局は共通の言語である英語で話をするにしても、
ゆっくり、わかりやすく話してくれる。
お互いなかなか理解しあう事ができなくても、あんまり苛々される事もない。
だからかえって言葉以外で通じ合ったりできることもある。
でもここまで来ると、
さすがの英語圏の人達も完璧にエトランジェ体験をせざるを得なくなる。
私も、スペイン人も、カナダ人も、みーんな同じエトランジェ。
みんな同じ条件下で、お互いに協力し合ってコミュニケーションを図る。

ようやくアブドゥール特製タジンが出来上がった。
パンを分け合い、COCAでかんぱーい!!
カナディアン2人はベジタリアンなので肉は食べられない。
それでも野菜だけパンですくって美味しそうに食べていた。
待ちに待ってたタジン。
お腹が減っていたからとってもうまーい!!
あんなに時間がかかったタジンは、あれよあれよという間に私達の胃袋に収まり、
あっという間にお皿は空っぽになっていた。
お腹がいっぱいになった途端、眠たくなった。
時計を見ると、もう真夜中近い。
こんな時間に食べてすぐに寝るのは非常によろしくないとは思ったが、
ずーっとバスに乗って移動していてかなり疲れていたので、
歯を磨いて寝る事にした。
ベットに入りものの数秒で、私は深い眠りについた。




明け方、モハメドの隣に座っていたおじさんが彼を揺り起こした。
「アズルーだよ!」
急いで荷物を担ぎ、バスを降りる。
バス乗り場からのアズルーの街の眺めはいい。
ひんやりした空気、澄んだ空。
しばらくすると、“Fez. Fez. Fez.Fez!!”と八百屋の掛け声みたいに
行く先を告げるバスのおじさんがいたので、そのバスに乗り込む。
ここからあと2時間くらいでFezの街に着く。
途中イフレンの街の中を通った。
ここは本当に本にでていた通りのヨーロッパ風の小奇麗な街だ。
モロッコは見合い写真のように実物よりかなり奇麗に移っている写真ばっかり
ガイドブックに載っている事が多いが、
ここイフレンは実物も写真通り美しい街だった。

朝9:00頃、ようやくバスはFezの長距離バスターミナルに到着した。
明るい時に見るとなんでもないバスターミナルだ。
でも行きの、夜中に見たこのバスターミナルは、
本とにトワイライトゾーンへようこそ…ってな感じでおっかなかった。
ジュラバのフードをすっぽりとかぶった男達が、ますますそれに拍車をかけていた。

カスカドホテルに行き、
モハメドがアリに連絡してくるからここで待っているようにと言って出て行った。
ホテルの狭—い事務所でミントティーをご馳走になり彼を待っていると、
1人のアラブ人が“君の部屋は何処だい?さあ、一緒に部屋へ行こう!!”
とセマってきたので、NO!!と言って逃げたした。

1人でモハメドの家に行くと、みんながキスで迎えてくれた。
ママもメリアンもファティマもサーラも、
みーんな私が帰ってきた事を喜んでくれた。
一通りの挨拶が済んで彼女達が貸してくれた部屋着に着替えると、
ファティマが自分の洗濯する姿を私に見せたい言うのでルーフに出た。
盥に水を汲み、洗濯物を入れ、洗濯板をのせたところで、
「ちょっと待って!!!」
私は頼んだ。
ずーっと後まわしにしていた自分の洗濯物… 
調度いい機会だ!! 
“Teach me!!”
そう言って、私は自分の洗濯物をとってきた。
彼女達は、それは私達がやってあげると言っていたけど…
“NO. I want to do by myself!!”
そして私は、ファティマ先生にモロッコ式洗濯方法を習う事にした。
ファティマはアラビア語以外殆ど話せないので、
こんな形で私とコミュニケーションがとれてとても嬉しそうだった。
身振り手振りと細切れのフランス語で一生懸命私に教えてくれる。
ママもメリアンも最初はびっくりしていたけど、そのうちに私の手つきを見て、
「MASUはモロッコの女性のように洗濯ができるね! とっても上手いよ!」
と誉めてくれた。

モロッコの女の子達は学校を卒業しても仕事がない。
だからだいたい家で家事手伝いをしている。
でも、日本に数多い自称家事手伝いの女の子とは大違いで、
ちゃんと掃除をしたり、こうやって洗濯したりして昼間家で過ごす。
洗濯の途中でモハメドが帰ってきた。
ファティマと一緒に洗濯している私を見て、彼はびっくりしながら笑っていた。
「もう、時間がない?」
「いいや、充分あるよ。続けていいよ」
モハメドはそう言ってから付け加えた。
「だけど君は、お腹が減っているんじゃないのかい?」

「食事の用意ができたから先に食べよう!」
モハメドがテーブルに私を案内した。
2人並んでパンとハリラを食べていると、
ママとメリアンが2人で顔を見合わせあって笑っている。
「やっぱり2人はお似合いよ!
ねえMASU モハメドと結婚してずっとここで暮らさない?」
「でも、私には日本に家族がいるし、仕事もあるし…」
ママはすかさず言った。
「だったらモハメドを日本にやっちゃえばいいワ!!」
私は笑いながら続けた。
「それに彼はサハラで、私のことなんか大—キライって言って、私のことぶったの」
それを聞いたママは「本当?!全くこの子ってば…」とゲンコツを振り回した。
「お願いだからそんな事言わないでよ。あれは冗談じゃないか!
うちの母ちゃんは強いんだから!」
ママのゲンコツから逃げ回るモハメドにそうせがまれて、
私はママに冗談ですと告げた。
どの国も、母は強し。

食事をとり終え後かたづけ。
床に散らばったパン屑を掃こうとしたら、
「それはいいよ。メリアンのホームワークだから」と言われ、再び洗濯にもどる。
家族の中で、役割分担がちゃんと決まっているんだね。
ファティマに習って色別に洗濯を続ける。
白は白、青は青、黒は黒…と他の色に染まらないように、
別々のバケツに洗い終わった物を入れ、つけ置きがすんでから、一緒に水で流す。
ジーンズはブラシで擦って汚れを落とす。
汚れやすい裾の部分やおしりの部分は入念に…
水で濯いだ後は殆ど絞らず、そのまま洗濯挟みでロープに干していく。
多分アイロンなんてないだろうから、この方が後で皺になりにくいのだろう。
考えてみれば日本だって、
ほんの何十年か前まではみんなこうやって洗濯していたんだもんね。
私のママが子供の頃の時代に、
何故かウォークマンやテレビなんかが紛れ込んでいるような、
ここではそんな不思議な生活をみんなが送っている。

途中でメリアンが自分のホームワークを終えて私達のところに来た。
モハメドのウォークマンを聴きながら、歌い、踊っている。
ファティマと一緒にベルベルダンスを踊って見せてくれて、3人で笑い転げた。
メリアンが、「マライヤキャリーは知ってる?」と聞くので、「うん」と答えると、
「私大好きなの!」とにっこりした。
2人でマライヤの曲を口ずさみながら話をした。
メリアンはスローな曲が好きらしいが、モハメドはぜんぜん違う。
彼はドンドンと太鼓をならすようなノリのいい曲が好きだ。
モハメドの身体はいつでも太鼓になる。
自分の身体をたたき、リズムをとり、そして歌う。
(正直言って歌はあんまり上手くないけど)
ジュラバを買ったお店の近くに、
タムタムという太鼓や寄木細工を売っているお店があった。
前にそこで雑談しながらモハメドと2人でドラムのセッションをした事があった。
でもタムタムはとても高価な物。
だからモハメドはもちろん、私も買う事はできなかった。
“This is my drums.” 
モハメドは自分の身体を叩きながらそう言った。
彼は、素晴らしいドラムを持っている。

メリアンが私にハリラは好きかと聞くので、大好きだと答えた。
今まで食べたモロッコ料理の中でもハリラは特に私のお気に入りだ。
あの豆の歯ざわりといい、とろりとしたこくのある味といい、
この寒い冬のモロッコで、これほど身体が温まって美味しいものはない。
いろんなスパイスが入っていて、それでもタイ料理なんかと違って辛くもなく、
とっても奥の深い味がする。
「家のママのハリラは世界一美味しいのよ!
MASUがハリラが大好きなら、シェフシャウエンから戻ったら
特製ハリラを作ってもらう様、ママに頼んであげる!!」
とメリアンが言うので、私は大喜びした。
是非とも作り方を教わって、日本でも作って食べようと思う。



再びマーケットに戻り、
モハメドがこれからシャワーを浴びるために石鹸と髭剃りを買った。
マーケットの中で、木に薄い鉄板を貼り付けている人達がいた。
「あれはもしかしてドアを作っているの?」
と訊ねると、そうだと言っていた。
この辺りのドアは鉄にペンキで色が塗ってあり、
そこにくねくねとちょっと模様が入っていてとてもかわいい。
あのドアは、ああやって作るのか…

ホテルに戻り、2階のカフェでミントティーをもらう。
モハメドがシャワーを浴びに行く前に、私に念を押した。
「いいか?僕がいない間、君は他の人としゃべらない様に気をつけろ。
もし何か話かけられても、私は今執筆中で話ができないと言うんだ。
僕はすぐに戻ってくるからね。いいね。」
そう言って彼は、シャワーを浴びに出て行った。
モハメドがいない間、私は言われた通りこの絵日記を綴っていた。
誰とも話さず。
30分位経って、彼が戻って来た。
それからしばらく2人でカフェにいた。
カフェの窓から、街を眺めていた。
リッサーニ。埃っぽい街。
場末の、という言葉がぴったりと当てはまる街だった。
モハメドに因ると、

「クレイジーな街さ!」

…だそうだ。


食事が済んで、モハメドが財布の中の残金を数え始めた。
私はサハラにやって来る前に、自分のお金を全てモハメドに預けていた。
私が自分で支払いをしようとすれば高い値段を要求されるというので、
支払いは全て、彼に任せてやってもらっていた。
彼は財布の中に大切にしまってある私が預けていたお金と、
最初の日に私が彼にあげた50DHと合わせてあとこれだけ残っている、
と私の目の前で勘定してみせてくれた。
私は、相変わらず財布の隅によけてとってあった50DHを指差して、
これはあなたのものだから、あなたが自分のために使わなくちゃと言うと、
彼は大きく首を横に振った。
「いいや。これは全部君の大切なお金だよ。
だから全て、君のために、大切に使うんだ…」

店を出てから、TELブティックに行った。
モハメドが家に電話をして、明日の朝そっちに戻り、
またすぐに今度はアリも一緒にシェフシャウエンに向かうと伝えた。
家族が私と話をしたがっているというので電話に出ると、
メリアン始め、ママやらファティマやら、ハスナ・ハサニヤやらが、みーんな私に
「サハラはどう? 元気にしてる?」と次々に電話口にでて聞いてきた。
私がびっくりしながら笑っていると、モハメドは言った。
「うちの家族は、みーんな君の事が大好きなんだよ!」

ホテルに戻り、再びカフェで時間を潰す。
今夜の夜行バスに乗ってFezに戻るが、そのバスが来るまでには、
まだしばらく時間がある。
例の面白い眼鏡をかけたホテルの主人が、モハメドに何か言っていた。
「さっき風邪薬を飲んでいたろう?あの薬、まだ残っていたら彼にあげてくれ。
風邪をひいているんだって。」
と言われ、ゴソゴソとリュックから薬を取り出し、
主人に薬の効用や飲み方を説明した。
「なんだ、君は話ができるんだね!
君はボーイフレンドとしか話ができないのかと思っていたよ」
私があまりにも従順にモハメドの言付を守り他人と話をしないので、
彼は私の事を聴覚障害者かなにかのように思っていたらしい。

しばらくすると、カフェに2人、3人とホテル滞在者が集まってきた。
彼等はたいていここで、ミントティーや煙草を分け合いながらいろんな話をする。
モロッコでは他人のミントティーも自分の煙草も関係ない。
持っている者が持っていない者に与え、分け合う。
初めて会った者同士でも、そうやって物を分け合い、ぺらぺらと話をする。
だから傍目で見ていると、なんだか昔っからの知り合い同志みたいだ。
それでやっとモハメドが私に言っていた言葉の意味が理解できた。
「たとえ僕が気軽に挨拶して、親しそうに話をしていても、
君はその相手と話はするな。」
アラブ人は多分、とっても社交的なのだろう。
だから彼等は、旅先で知り合った者同志集まって色々な情報交換したり、
コミュニケーションをとったりする。
特にモハメドは旅好きでガイドもやっているから何処に行っても話題が幅広い。
彼のまわりにはいろんな人が集まる。
でも、だからといって本当に彼等みんなを信頼しているかといえば、そうではない。
それにはもっともっと会話と時間が必要なのだろう。
私は時々彼等の話に相づちを打ちながらずーっと窓の外を眺めていた。

しばらくして、モハメドがバスを見て来ると言って外に出て行った。
1人取り残され、ぼんやりしていると、1人の青年が話し掛けてきた。
彼はここでフランス語を教えている先生だという。
「フランス語は上手く話せるんだけど、英語はどうもダメで…」
と照れながら笑う彼と、ぼそぼそと、英語・仏語まぜこぜで話をした。
彼はとても気持ちの優しそうな青年だった。
しばらくしてモハメドが戻ってきた。
今日は日曜日でFez行きのバスがないらしい。F
ezの近くのアズルー行きのバスがあるのでそれに乗り、
アズルーでバスを乗り換えることになった。
11:00過ぎにようやくバスが来た。
ここで出会った旅仲間に挨拶をし、アドレスの交換をして別れを告げた。
バスに乗り込み、リッサーニの街にバイバイ!!
サハラ砂漠は見られなかったけど、モロッコの一面を垣間見れた。




ちょいと間が空きました。

今週は新しい仕事への挑戦をしたりして、あわあわしておりました。

この週末は、またまたオイシイ企画が公私共に盛りだくさんです。

その前に、旅日記を少し前に進めておきます。



+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + +


昨日ずっとバスの中に居たためか、かなり疲れていたらしい。
ゲホゲホと咳が止まらないので、朝食をとって、薬が飲みたいとモハメドに頼んだ。
昨日のレストランに行って、私はバターとジャムのバゲット、
モハメドはカバブとバゲットを注文した。それから、café with milk.
私はいつもコーヒーもミントティーも砂糖ぬきで飲んでいるので、
モロッコの人達は不思議がる。
こっちの人達はガラスの小さなグラスでコーヒーやミントティーを飲むが、
みーんなぶったまげる程砂糖を入れて飲んでいる。
私のコーヒーの中で蝿が溺れて飲めなくなったので、
モハメドの超甘—いカフェオレをちょっともらった。
一口飲んで、「WOW! Very sweet!!」と、
私が甘すぎるっていう顔をしたら、モハメドはゲラゲラと笑っていた。
私がこの歳でいまだに覚えている英・仏単語は非常に数少ないが、
私の表情で彼等は大体の事を察してくれる。百面相は大きな武器だ。
数少ない単語でジョークもとばし、彼等と打ち解け合い、学びあう。
時に自分の語学力の乏しさに、歯痒い思いをする事もあるが、
モハメドやアリは私よりも語学が堪能でも、
お互いに英語も仏語も母国語ではないので、かえって引込み思案になる事もなく、
結構通じ合っている。

レストランを出て、カスバの中のマーケットに入っていく。
1軒の土産物屋でミントティーをご馳走になった。
ここはモハメドの友達の家族が経営している店らしい。
ターバンを巻いた彫りの深いジュラバを着た青年が銀の盆の上で、
銀のポットでミントティーを入れる姿があまりにも絵になるので、
1枚ポーズをとってもらって写真を写した。

土産物屋を出て、いよいよマーケットの奥へと進んで行く。
埃っぽいカスバの中で、麻袋に入れられて、スパイスやナッツ、
その他古着やら何やら色んな物が売られている。
ここまで来ると、ああ ここはアフリカ大陸なんだなぁ!って気になる。

“この先にドンキーマーケットがあるんだ”とモハメドが言った。
少し行くと、ロバがたくさんはなされている。
中には愛を育んでいるロバもいて、モハメドと2人で少し顔を赤らめた。
通りがかりの子供に、写真を撮ってもらった。

また少し歩くと、オアシスの様な泥濘がある。
そこで自転車に乗っている子供にモハメドが声をかけ、
少しだけ自転車を貸してもらう。
「おいで!」と手招きされ、私がどこに乗るのか尋ねると、
“ここさ!”と自転車の前のパイプの部分を指差した。
恐々パイプの上に座り、足をあげて、泥道をサイクリング。
 “ひぇーーー!! こわい!!”
危うく泥濘に落っこちそうになり、「もういい!」と自転車を降り、
写真を撮ってもらってから子供達に自転車を返した。
3人の子供達に、モハメドが平等に1枚ずつコインを渡した。

しばらく歩くと、今度は子供達がサッカーをしていた。
モハメドが仲間に入り、チームを組んで一緒にサッカーをした。
私が写真を撮ろうとしたら、
「いいのを撮ってよ!!」
と言って張り切っていた。
でも、私の写真の腕前を、彼は知らない…
いつしか周りに子供達が集って来ていた。
さっきの自転車の男の子達もいる。
私が写真を摂る?という身振りをしたら、
「what DH?」(いくらくれるの?)
という返事が返って来た。
この土地の現実を、私は初めて知った。

サッカーを終えて、モハメドが私のところに戻って来た。
「いい写真が撮れた?」と聞くので、私はニッコリ笑ってやり過ごした。
「モハメドはサッカーが上手いの?」
「昔はね。あんな風に小さかった頃には、毎日やってたから上手かったけど、
今は全然やらないから駄目さ!」
砂漠のサッカーで砂にまみれた手と靴を洗うために、小さな川の方に歩いて行った。川といっても、ドブのようなところで、そこで女の子達が数人洗濯をしている。
1人の女の子に頼んでバケツに水を汲んでもらってモハメドが手を洗い、
水で湿らせたティッシュで靴を拭いた。

私達がマーケットの方に戻ろうとすると、子供達がぞろぞろと後をついてくる。
何かを恵んでもらえるんじゃないかと思い、お金目当てに寄ってくる。
モハメドがもうコインはないと言うと、ちりぢりに子供達はいつしか去っていった。
“これが哀しい現実さ…”
彼はそんな表情をしてみせた。

この土地で、初めて小さな子供達がお金をくれと言って寄って来たときに、
私は切なさで胸がいっぱいになっていくのを感じた。
全く不快感を覚えなかったと言っては嘘になるだろうが、そんな感情よりも、
心臓をぎゅっと締め付けられるような悲しみの方がずっと大きかった。
こんなに澄んだ、きれいな瞳をしているのに、この子達はこうして小さな子供の頃から、他人にお金をせびるという行為を当たり前のように身につけている。
それは、彼等が生きていくためにはどうしても必要な行為であり、
生まれて此の方何の苦労も知らずにのうのうと生きてきた私が、
そんな彼等のことをとやかく言えるような立場でないことは、
充分にわきまえているつもりだ。
それでも、こうしなければ生きていくことができない人々が、
この世界の中に存在しているという現実が、私にはとても悲しかった。

たまたま日本という国で生まれ育った私は、
ただ生きるためだけにお金や食べ物を手に入れるという苦労を味わうことなく、
こうやって成長してくることができた。
学校に行き、好きなものを食べ、欲しい物を買い、やりたい仕事をして、
生活を送っていた。
私にとって生きていることほど当たり前に感じられることはないかもしれない。
明日が来ることは余りにも普遍的すぎて、
そのことに対してほんの僅かでも何らかの思いを巡らすなんてことは、
正直思い付きもしなかった。
TVなどで、飢えに苦しむ子供達や、病気で死んでいく途上国の人々の数なども、
目に入り、耳に入っていたはずなのに、
それはあくまでもブラウン管の中にある架空の世界に起こった、自分とは限りなくかけ離れた世界での出来事のようにしか捉えていなかったような気がする。

でも今、私の目の前にいる子供達は、確かにこの土地で生きているのだ。
これは決して架空の世界なんかじゃない。
これが、現実なのだ。
彼等にとっては、生活することが、生きていくということなのだ。
食べることが明日につながり、
食べるために働き、お金を手に入れることが、次の1日につながる。


一晩中、バスは雪の中で止っていた。
朝にはサハラに到着するはずだったのに、明け方6:00頃ようやく走り出した。
真っ白な樹氷の中で夜明けを迎えた。
砂漠に向かう途中に、樹氷の中を通り抜けるなんて… 夢にも思わなかった。
止っているバスの中で、モロッコの人達の温かさをかみしめていた。
出会って間もない、私のために闘ってくれた、モハメドとアリ。
言葉の解らない私を家族のように迎えてくれたモハメド一家。
貧乏な私のために、
できる限りモロッコ人価格でチープな旅をさせてくれようとするモハメド。
彼の言葉が頭の中をめぐる。
「僕は君のガードマンだ。
誰かが君に変な真似をしようとしたら、僕が闘って君を守る!」
「僕らは君に高いお金を遣わせたくない。
その代わり、モロキャンプライスで、安くても、本当のこの国の姿を君に見せたい。
そして君の絵や文章で、本当のモロッコの良さを日本の人達に伝えてほしい…」

私の旅は、旅立つ前とは、随分とイメージの異なるものに変わりつつある。
最初は古い街並みを通り抜け、そこそこのホテルに日本に比べれば安い値段で泊り、
通りすがりの旅人として、眺めるつもりだった。
でも、いろんな人々と出会い、いつしか私の身体は、この国に溶け込んでいった。
この国の中で、つかの間の生活を営んでいる。
同じ物を食べ、同じようなライフスタイルを体験し、
同じ高さから同じ物を見て、語り合っている。
この旅は私に、生きる事について、
本当にたくさんの事を教えてくれている。
日本の中での私は、本当にちっぽけな人間だった。
仕事に追われ、時間に追われ、
その上あれも欲しい、これもやりたいとあれこれ欲張って気持ちばっかり先走り、
結局は何も手に入れられず、そんな状況にイラついていた。
でも、この雄大なアフリカ大陸の大地に抱かれて、
何もかも全て、つまらない、ちっぽけな事のように思えた。
ろくに風呂にも入らず、髪もぼさぼさで着たきりすずめ、化粧なんてせず、
半分鼻たれ小僧みたいな今の自分の姿。
バスの汚れたガラス窓に、うっすらと浮かぶ自分の顔を眺めながら、
それでもなお、今の私は本当にいい表情をしていると思った。

雪のためにバスが一晩中止っていたので、
結局今日は殆ど1日中バスの中で過ごす事になった。
ところどころでバスは止り、また走り出す。
モロッコのバスは、乗客がちゃんと全員乗り込んでいようがいまいが、
構わず急に走り出す。
うっかりしていると、置いてきぼりになりそうになる。
一度モハメドと私とモハメドの事を子供の頃から知っているというおばさんの3人で、カフェでコーヒーを飲もうとした。
注文をして席につき、
私達がとってもお似合いで、モハメドは本当にいい青年だから、
結婚しちゃいなさい。日本につれて帰っちゃいなさい。
なんて身振り手振りでひやかされながら、コーヒーを待っていた。
少ししてコーヒーが運ばれ、
一口すすった途端に目の前に止っていたバスが走り出し、
あわてて走っているバスの扉をドンドンとたたいて飛び乗った。
それはそれはスリル満点だ。

アトラスを越えると、車窓の風景はガラリと変わる。
乾燥した、赤茶けたカスバが点々とし、岩山が迫る。
谷間をゆったりと河が流れ、河の周りにだけ樹木が生い茂っている。
私はアメリカには行った事がないけど、
グランドキャニオンなんかもこんな感じなんだろうか…
青い空と赤茶色の岩山が、どこまでもどこまでも続く。
そんな中をおんボロバスはひた走る。
失ったものを取り返そうとするかのように。ムキになって…

太陽が山の向こうに隠れ、月が顔を出す頃、バスはリッサーニの街に着いた。
ガイドが客引きにバイクに乗ってつけまわす。
モハメドがガイドやグランタクシーの運転手達に
メルズーガに行って砂漠を観るために色々と交渉をしてくれたが、
今はシーズンオフで観光客も少なくグランタクシーも莫大な値段をふっかけてくる。
ランドローバーはなおさら高い。
あてにしていたモハメドの友達でランドローバーを持っている青年が、
今この街にいなかったようで、やむなくリッサーニの街に滞在し、
サハラ気分を味わう事にする。
もう幾日か滞在すればなんとか別の方法で砂漠も見る事ができるのかもしれないが、
私はどうしてもシェフシャウエンに行ってみたかったので、
砂漠は次に来た時、モハメドとアリと3人で訪れる事にした。

ホテルに入り、2階のカフェでミントティーを飲みながら、
面白い眼鏡をかけたホテルの主人とモハメドが、あれこれと話をしていた。
その間、私はずーっと黙っていた。
モハメドやアリに、
彼等が旅先でどんなに親しそうに挨拶をして、話をしていても、
MASUは何も話をしてはいけない。
誰かがHellow!!と声をかけてきても、
知らん振りをしているようにと何度も言われていたから。
彼等のアラビア語をBGMに、ずーっと暮れゆく街を窓から眺めていた。



夕方、再びモハメドの家に行った。
みんなで夕食を摂る。
モハメドのおばあちゃんはその昔王宮で食事の支度をしていたという。
今夜は私の為に腕を振るってくれた。
食事ができあがるのを待っている間、双子の小学生ハスナとハサニヤが、
私に覚えたてのフランス語を披露してくれた。
サーラは私の膝の上がよっぽど気に入ったらしく、他の人が抱っこしようとすると、
泣きべそをかいて離れない。
食事の用意ができると私の膝の上から降ろされて、
モハメドの傍にちょこんと座った。
小さな子供でも、きちんと席について食事をとるのが、モロッコでの作法だそうだ。

今夜の夕食はタジン。
ママやメリアンがパンをちぎってタジンのスープをつけ、
私の口に運んで食べさせてくれる。
次から次へとわんこ蕎麦のように口に運ばれて目がまわりそうになった。
モロッコのもてなしは、手厚い。
夕べのアリのタジンも美味しかったけど、
モハメドの家のハリラやタジンもとーっても美味しかった。
モロッコに来る前は、
食べ物が合わなくてお腹をこわして痩せて帰ると思っていたが、
どうもそううまくはいかないらしい。

食事が済むと、食べ散らかったテーブルの上をきれいにふいて、
テーブルも片付ける。
床に落ちたパン屑も、
柄のついていないデッキブラシみたいなものできれいに掃きとられる。
家具はみんな可動式。
使う時に使う場所に運び、使わない時は片付けられる。
ぱっぱっと部屋のしつらえはかわる。でもとっても合理的。
余計なものを置かず、こまめに片付ける。
その後は家族で団欒。
みんなでソファやベットの上で毛布にくるまって、暖をとりながら団をとる。
家族の写真を見せてもらったり、テレビをみたり、
その横では兄弟喧嘩が始まったりと、それはそれは賑やかだ。

私が水差しに入っていた水を少し飲むとモハメドが
「これはミネラルウォーターじゃないから君は飲まないほうがいい」と言った。
モハメドとアリと3人でホテルの側に水を買いに行くことにした。
ここだけの話だが、モハメドは家族には煙草を吸う事を秘密にしているので、
口実を作って外に一服しに行きたかったのだ。
荷物もホテルの部屋に置きっぱなしだったのでついでに取りに行くことにした。

水を買い、置いてあった荷物を取り、モハメドの家に運ぼうとしていると、
何やら太った男がホテルの出入口で私に何か言ったらしい。
その言葉を聞いたモハメドが急に怒りだして、
私と荷物をアリに預けて先に行けと合図した。
アリに送られモハメドの家でメリアン達と話をしていると、
彼がものすごい剣幕で怒りながら手に怪我をして帰ってきた。
そして着替えて再び飛び出して行った。
警察官のモハメドのお父さんもただ事ではないと察して後を追いかけて行った。
私が何事かと外に出て行こうとすると、
メリアンが大丈夫だからと家の中にいるように言った。
私は何が何だかわからないまま、メリアン達とモハメドの帰りを待った。

10時近くになってやっとモハメドが帰ってきた。
バスが出るからと、急いで荷物をまとめ家を出る。
ママやメリアン達にサハラから戻ったらよろしくと挨拶もそこそこに、
雨の中バスターミナルまで走った。
民営バスターミナルはブージュールド門からすぐのところにあるが、
夜は真っ暗でえらいコワい。
多分こんなところに私は1人でのこのこやって来て、
バスに乗り込む勇気はなかっただろう。
周りの人間が全てうさんくさく、恐ろしく見えた。
アリがバス停で私達を待っていた。
よく見ると、アリも顔に怪我をしている。
2人に理由を聞くと、さっきのホテルにいた太った男が、
どうも私に対して汚い言葉を吐いたらしい。
それを聞いたモハメドがとっても怒って喧嘩になったそうだ。
モハメドは身体がそんなに大きくないので、
兄貴分のアリも加勢して憎き宿敵をノックアウトしたらしい。
私が怯えた顔をしていると、
2人は「大丈夫だ。心配するな」と言って私をなだめた。
「もしも、誰かが私に対して汚い言葉を吐いたとしても、
私は彼等が何を言っているのかわからない。だから腹もたたない。
お願いだから、私のために喧嘩なんかしないで!!」
「君がたとえ意味がわからなくて、気がつかなくても、
僕らは君の事を本当の妹のように思っている。
だから僕らは君が侮辱される事は許せないし、そんな時は僕らは迷わず闘うんだ!
そんな風に思ってくれる2人に、私は本当に心から感謝した。
言葉では言い表せない程感動した。
「I have two Supermens!!」
「モハメドはスーパーマン、僕はバットマン。
MASUが呼んだらスーパーマンもバットマンもすぐにとんでくるよ!」
アリはそう言っておどけて見せた。
“Keep your SMILE!”君の笑顔は僕らを幸せにするんだ。 
私の笑顔がそんなに価値あるものなのか自分じゃよくわからないけど、
彼等に今、私が与えられる物は本当に笑顔だけなので、
笑って行ってきますを言う事にした。

いよいよバスに乗り込む。
安い方のバスなので、エコノミーの飛行機なんて目じゃない程狭い。
私とモハメドが席に着くと、
アリが「水はいる?」「何か食べる?」とあれこれ世話をやいてくれた。
ボトルの水を買ってきてもらって、リュックに詰め込む。
アリとはしばしのお別れ。
「MASU. 何かあったら、砂漠でアリに電話をくれ!
アリバットマンが飛んでくるからね!!」
握手とキスでいってきます。
アリは「君らが旅に出ている間寂しいよ!」と別れを惜しんでいた。



今日もFezの街は雨が降っている。
私が運んできた雨だろうか? それにとっても寒い。

モハメドが、私の朝ご飯にあったかーいハリラを運んでくれた。
ハリラは豆の入ったスープ。
寒い日にハリラを飲めば、身体が温まると教えてくれた。
ハリラとパンの朝食をとり、シャワーを浴びる事にした。
ホテルの2階にホットシャワーがある。
着替えやタオル、シャンプー達をビニール袋にいれて、
モハメドにシャワー室まで連れて行ってもらった。
今までホットシャワーといわれながら、タイミング悪く温かいお湯にあやかれず、
寒い思いを何度かしてきた私はモハメドに念をおした。
“本当にこれは、ホットシャワーなの?今すぐあっかたいお湯がでてくるの?”
モハメドは得意げに、扉の横にある小さな湯沸かし器を指差した。
確かにその中で、青白い小さな炎が揺らめいていた。
ちょろちょろとはいえ、
あったかいお湯は途切れることなく蛇口を右にまわすまでずっと流れ続けてくれた。
これですっきりさっぱりサハラに向かえる。
身体を拭いて服を着る。
髪をとかし、みつ編みにして、
昨日モハメドがプレゼントしてくれたベルベルハットをかぶる。
モハメドが私の姿をみて嬉しそうに言った。
「いいよ!最高だ!とっても似合うよ、その帽子!!」

それから少しだけメディナの中を歩き回った。
モハメドが、銀や銅の食器類をおいてある店に案内してくれた。
ここのお店の職人さんは王宮の扉の装飾も手がけたという。
地球の歩き方の記者が以前取材にきて、
写真と記事が載っているんだよと言って本を見せてくれた。
私が持っているのは、古い本なのででていないが、新しい版の本に載っていた。
もしも後で余裕があれば、銀食器が買えるといいなぁなんて思いながら店を出た。
雨がひどく、とっても寒いのでホテルに戻る。
今日はお昼にモハメド一家が私を家に招待し、
クスクスをご馳走してくれるというのでとっても楽しみだ。

1:00すぎにモハメドの家に行った。
彼等はブージュールド門のすぐ傍に住んでいる。
モハメドには姉妹が4人いる。その内の2人は双子だ。
小学生のハスナとハサニヤ。
それから18歳(だったと思う)のファティマ、長女で21歳のメリアン。
2階建の家の2階にモハメド一家が暮らし、
1階にモハメドの伯父さん一家が暮らしている。

突然の珍客である私を妹達やお母さん、お父さんも温かく迎えてくれた。
モハメドの従妹にあたるちっちゃなサーラが、
あっという間に私にすっかりなついてしまった。
モハメドは今お父さんと喧嘩中で、
ずっと夜は家に帰らずあちこちを転々としているが、
今日は私がいる為か家族そろって仲良く食事をしていた。
モハメドのお父さんはすぐ近くのPOLICE OFFICEに勤務しているので、
昼食時には自宅に戻り、家族と一緒に食事をとるそうだ。
後からアリもやってきて、みんなそろってクスクスランチをとった。

モロッコでは、毎週金曜日にみんなでクスクスを食べるという。
大きな皿にこんもりと盛られたクスクスを囲んで賑やかな食事。
メリアンは何故か1人別の皿でタジンを食べていたのでわけを聞くと、
彼女はクスクスが嫌いだそうだ。
なーんだ。
モロッコの人だからってみんながみんな
クスクスやタジンが大好きってわけじゃないんだ。
考えてみれば、私だって日本人でも納豆は大っ嫌いだし、
寿司屋にいってもうにが食べられない。
我侭娘は世界中にいるもんだ。

モハメドやメリアン以外は殆ど英語もフランス語も通じないが、
言葉の解らない私を、みんな家族のように迎え入れてくれた。
もしも時間があれば家に泊まっていってと言われまたまたスケジュール調整をして、
最後の1日.2日はモハメドのお家にごやっかいになる事にした。
1人旅は気まま。
流れに身をまかせ、その日の気分で成り行き任せに生きられる。
歩いては、立ち止まり、休んでは、また歩く。
妹達は私がお世話になるというと、大喜びで歓迎してくれた。
2番目のファティマは、
言葉が通じなくて私とあまり話ができない事をとても残念がっていたが、
サハラから戻ったらヘンナをやってくれると言っていた。
みんなほんとに優しい人達だ。



一度モハメドの家を出て、モロッコで使う最後のキャッシュを両替してもらい、
再びホテルに戻った。
モハメドやアリと話しながら午後を過ごす。
アリはしきりにモハメドと私にサハラでは気を付けろと言っていた。
計り知れないガイド攻撃に、サハラではあうらしい。
私が日本人だと知れば金持ちだと思い、
何につけても高い値段をふっかけてくるそうだ。
モロッコにもお金持ちから貧乏な人までいろいろいるように、
日本人だって全部が全部お金持ちなわけではない。
日本人にも豊かな人もいれば、貧しい人もいるのにね…と私がいうと、
彼等も理解してくれた。

私はこの街で、モハメドやアリのような友達に出会えて本当にラッキーだった。
彼等はたびたび私に“Are you Happy?”と聞く。
私が元気良く“YES!!”と答えると、
“OK. You are happy, so I’m happy too!!”と言ってくれる。
私はとってもFunnyだという。
いつも笑っていて、それがいい。
君の笑顔が僕らを幸せにするんだ。
…日本で聞けば、歯が浮くような陳腐な台詞に聞こえるかもしれないが、
彼等は本当に私の事を好いてくれて、心からそう言い、思ってくれているので、
そんな言葉がとっても嬉しく、心に染みる。

モロッコでは、同じ皿で食事をとるという事は、とても大きな信頼の証となる。
同じ皿で食事を摂った者同士の間では、
決して嘘をついたり、互いに不易となる事はしてはいけないそうだ。
私はモハメドやアリと一緒に同じ皿で食事をとった。
だから彼等は私には決して嘘はつかないし、
私の事を家族のように思っていると話してくれた。
アリは私が本当にGood Personだから、
いい友達がこの国でもできたんだよと言ってくれた。
いい人はいい人を呼ぶ。いい人の周りにはいい人が集まるんだと言っていた。

いろんな国を旅したが、こんなにもその国の人達と深くふれあった事はなかった。
モロッコには本当にいい人がいた。
言葉や育った環境が違っていても、
こんなにも人と人はわかりあえるものなんだなぁとしみじみ感じた。
私の言葉は、情けなくなる程つたない。
でも、それでも彼等は私が何を言おうとしているのか、何を伝えたいのか、
一生懸命理解しようとしてくれる。
私が、あんまり言葉ができなくて申し訳ないと謝ると、
彼等は「そんな事は何も問題ない。僕らはお互いに何を言いたいのか、
伝えたいのか、理解しあう様努力すればいいんだ。」そう言って笑っていた。

アリが弟のために昼間買っておいたベルトを私にプレゼントしてくれた。
「もらえないよ。だってこれはアリが弟にあげるものだもの」
私は断った。
でも、弟にはまた別のベルトを買ってあげるから、
これは君にプレゼントしたいんだと言うので、有難く受け取ることにした。
「日本に帰ったら、アリやモハメドに写真や手紙やプレゼントを送るね。
今は何も持っていなくてごめんね」と言うと、アリは笑った。
「君は僕らに幸せをくれたよ。贈り物はいつかは壊れてしまう。なくなってしまう。
でも君の笑顔やいい思い出は、僕らの心の中にいつまでも、永遠に残るんだ。
それが何よりのプレゼントなんだよ。」



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プロフィール
HN:
masu
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/09/27
職業:
一級建築士
趣味:
しばらくおあづけ状態ですが、スケッチブック片手にふらふらする一人旅
自己紹介:
世田谷で、夫婦二人の一級建築士事務所をやっています。新築マンションからデザインリフォーム等をはじめ、様々な用途の建築物の設計に携わっています。基本呑気な夫婦で更新ペースもぬるーく、更新内容も仕事に限らずゆるーく、でもていねいに、綴っています。
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