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ノイファイミリーの日常、息子の成長など・・・
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いよいよ別れの時が少しずつ近づいて来たモロッコの旅。

でも、この頃になると1日に色んなことが凝縮されていて、

まだまだこの日は終わらずに続いていたのです。

そしてこの日のこの日記にこそ、この旅で私が学んだ一番伝えたいことが、

つまっていたんですね。

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +


ベルベル絨毯屋さんに別れを告げて、夜の街に出た。
メディナの喧燥に埋もれながら私達は並んで歩いていた。
モハメド家で私の事をみんなが心待ちにしているというので、家に戻ることにした。
モハメドは私を玄関まで送り届けて、
またアリと一緒にカスカドホテルに行ってしまった。
彼の家出は一体いつまでつづくのだろう…

私が家に帰るとみんなが次々と顔を見せ、キスのシャワーを浴びせかけた。
ファティマだけは風邪をひいたらしく、辛そうにベットに横になっていた。
それでも私の顔を見るために
ベットから起き上がっておかえりなさいと言ってくれた。
大きな居間のソファにやっと腰を落ち着けたと思ったら、
子供達に絶大な人気を得てしまっていた私は、
彼女達に記念の似顔絵を描く事になってしまった。
私の目の前で壮絶なジャンケン合戦が繰り広げられ、
勝った順番に並んでニコニコしながらポーズをとっている。
メリアンが疲れているのにごめんなさいと言って気を遣ってくれたが、
こんなにかわいい笑顔達が私の下手くそな絵を楽しみにしていてくれるというだけで、
疲れなんて吹き飛んでしまった。
モデルが子供だからと言って侮れない。
かえって正直な批評が飛び出すかもしれないと内心びくびくしながらも、
下手は下手なりに一生懸命描いてあげなくちゃと姿勢を正す。
プティ・モデル達もみんなそれぞれおすまし顔でポーズを取っている。

ハスナ、サーラ、ワディア、そしてハサニヤ…
なんとなく、どことなく特徴をつかんだなかなかの絵が出来上がって、
かわいいモデル達も喜んでくれた。
メリアンにそれぞれの似顔絵の下にアルファベットとアラビア文字で
名前をかいてもらった。
子供達が私のスケッチブックを持ってママやパパに見せてまわっていた。
それから後も子供達は私を独占していた。
私に伝えたい事があるとメリアンに恥ずかしそうに耳打ちして、
英語に訳してもらいながら私のまわりを取り囲んでいた。
パパがそっちの部屋は寒いからこっちに来てテレビでも見てゆっくりしなさいと
何度も顔をみせたが、
その度に子供達に“今MASUMIは私達と一緒にあそんでいるの!”
と一斉に攻撃を浴びせられ、しぶしぶと退散していた。
ああ、なんだか本当に我が家のパパを彷彿させる。
どこの国でも、パパは弱し。 
     
そして終いにはパパも大きくて寒い居間のソファに座って私達の仲間に入っていた。
そんな中で一番大変だったのはメリアンだ。
子供達はもちろんアラビア語しか話せない。
そしてパパはスペイン系移民だったのでスペイン語で私に話し掛けてくる。
私が理解できずに困った顔をすると、「メリアン!今言った事を訳してくれ!」
と今度はアラビア語でメリアンにまくしたてる。
私とメリアンが英語やフランス語で話しが出来ると言っても、
2人揃ってそんなに出来がいいわけではなく、
ほんの些細な事でもいろんな言い回しや例えを使って
やっとお互い理解しあえる程度なのに、
その上みんながメリアン、メリアンと次々に彼女に通訳を依頼してくる。

「ほんとにもう!みんなは私に給料を支払っていいくらいよ!子供達からパパまで、
私に次々と矢継ぎ早にいろんな言葉であなたに伝えてくれってまくしたてて…
これはもう、れっきとしたビジネスだと思わない?
パパは後で私に御小遣いをくれるべきだわ!!」
多分私が日本でこういう状況に立ったら、全く同じ事を言ったに違いない。
我侭娘シスターズは2人で顔を見合わせて笑っていた。

食事の用意ができて、食卓についた。
待ちに待っていたママの特製ハリラ。
「たくさん食べて私みたいに強く逞しくなりなさい!」
とママが両腕をぐいと持ち上げるポーズをとって言った。
干した木の実をメリアンが種をとって私の口に運んでくれた。
そしてハリラ!!
ぐつぐつとじっくり煮込まれたそのスープで身体の芯から温まる気がした。
ママのハリラは評判通り、世界一美味しかった。
私があまりにも感激しているので、
ママは明日ハリラの作り方を教えてくれると言っていた。
日本で手に入らない食材はないから多分調理法さえわかれば、
家でも作って食べられるだろう。
明日は始めてのハンマム体験も待っているし、
最後まで楽しみが盛り沢山だ。

食事が済んでから、ママがみんなにミントティーを入れてくれた。
モハメド家にも、大切に使われている銀のポットがあった。
パパはそのポットを、サハラで働いていた時に見つけたと言っていた。
職人がいい仕事をしていてとてもよくできていた物なので、
気に入って早速家族のために買ってきたそうだ。
それ以来、モハメド家では毎晩このポットでミントティーが入れられてきた。
家族でそれを囲み、温かいミントティーを飲みながら、語らってきた。
そんな大切な銀のポットを、パパとママが私にプレゼントしてくれると言った。
それだけは、頂いて帰る事はできないと私は必死で断った。
ママやメリアンはどうしてかと不思議そうな顔をした。
「だってこれは、あなた達の大切な宝物だもの。
このポットにはあなた方家族の歴史が刻まれている。
たくさんの家族の思い出が詰まっている。
そんな大切な物を私が貰うわけにはいかないの」
私がそう言うと、ママは笑って言った。
「だから私達は、これをMASUにプレゼントしたいのよ。
だってあなたは私の可愛い娘だもの。
遠くに行ってしまうあなたがこれを見る度に私達家族の事を思い出してくれるのが、
私達にとっても幸せなことなのよ…」
丁寧に端正込めて作り上げられ、そして愛されながら使われてきた銀のポットを、
私は大切に日本に持ち帰る事にした。

夜も更けて、それぞれが寝床に着く頃になった。
モハメド家にはいつも食事をとったり家族で集っている茶の間的役割を果たす
8畳程の部屋と、その横にある15畳程の居間の2つの居室がある。
小さい方の部屋には、タンス、テレビ、木でできたセミダブルサイズのベット、
丸いテーブル、そしてソファが壁に沿ってくの字型に置かれている。
大きい方の居間にはぐるりとソファが壁沿いに置かれ、
真ん中にゆったりと大きなアラビア絨毯が敷かれている。
それぞれの部屋のソファの上には、
共布でフカフカのクッションが背もたれ用に置かれている。
夜眠る時は、そのソファがベットになり、クッションは枕となる。
ソファの上にシーツを敷き、
クッションにカバーをかぶせてみんながそれぞれ横になり、
毛布を掛けて眠りにつく。

こうやって文章で各居室の説明をしようとしてもちゃんと当てはまる室名がないので
逆に困ってしまうが、考えてみれば昔の日本の住居もこんな風だったのだ。
2間続きの和室などで、家族みんなで川の字になって眠っていた。
昼間には布団を上げて、寝床が茶の間になり、
そこでみんなで食事をとったり、
子供達が喧嘩をしたりお父さんが本を読んだりしていたのだ。
椅子式の生活と座布団の生活、ベットの生活と布団の生活。
使用する道具が違うだけで、生活のスタイル自体は殆ど同じだった。
そしてそれはとてもオールマイティーな空間だった。
日本ではいつしか西洋から入ってきた食寝分離という新しいスタイルが
もてはやされるようになり、
子供達にはそれぞれ個室が与えられ、各居室には居間とか食堂とか子供部屋とかいう
もっともらしい名前がつけられるようになった。
私も例にもれず、個室を与えられて育ってきた世代だ。
そうやってみんなが3LDK,4LDKという言葉に捕われていき、
数多くの普通の人々がそれを所有する事が可能になってきた事が、
日本の豊かさの象徴のように言われていた。
果たしてそれは、正しい選択だったのだろうか… 
今、急に私が個室の無い生活に身を置かなければならなくなったとしたら、
どう感じるだろう?

この旅に出る前の私なら、多分そんな生活はイヤだと答えただろう。
ゆっくり静かに本を読みたいと思っていても横で子供達が騒いでいたり、
見たくも無いテレビ番組の音が煩かったりして、苛々していたかもしれない。
でも今は、少し考えが変わってきた。
全て受け入れられるという訳ではないが、
みんなでこうやって同じ空間で長い時間を過ごす事も、とても魅力的に思えてきた。
それにここでは小さなスペースでもとても合理的に使われている。
しかも子供の頃から使うものを取り出し、
使わないものは片づけるようにきちんと躾られているから、
日本の私の部屋を思い出すと、なんだか恥ずかしくなってしまう。
ドアで仕切ってしまえば見えないから、
と臭いものには蓋をしろの考えで散らかりっぱなしの個室は、
私の部屋以外にも沢山存在していることだろう。
でも彼等にとっては、
家の中全てが家族全員の共用スペースであり、公共の場でもある。
食事をしたり、小さな子供がはしゃぎまわれば、散らかる事は当然だ。
だけど家族みんなが、
1人1人が他の人が気持ちいいように共有の空間を使おうと心がけているから、
彼等の家はとても気持ちがいい。

要するに一番大切なものは、空間を仕切る壁やドアではなく、
相手の空気を感じ取ってあげられる優しさなのではないかと思った。
静かに本を読みたいと思う人の周りで、
邪魔にならないように気遣ってあげる思いやりや、
子供達の悪戯や大騒ぎを笑って遣り過せる寛大な心。
そんな気持ちを家族みんなが持っていれば、
もしかしたら個室なんてものは
さほど躍起になって手に入れる程の物ではないのかもしれない。

ひょんな事から、私は全く他人の家にホームステイすることになった。
だけどそれはものすごく貴重な体験だった。
それぞれの家庭でそれぞれの暮らし方がある。
私が育ってきた環境とは全く違った中で育つ子供達もいる。
それを垣間見る事ができたのは、ものすごく大きな体験だった。
私が自分で持っていた物差し以外にも、いろんな物差しがあることを知った。
体験してみて初めて知る良さや、気がつく不便さもある。
これから先人の住宅を造る機会に恵まれた時に、
そこで暮らす人がどんな生活を送るのか、
それを様々な角度から観察することができるような気がする。
大人になって旅に出ても、ホテルに滞在して昼間は街を歩きまわって、
他人の家にお世話になるという経験をすることは非常に希になってくるだろう。
だけど他人の生活を覗くことは、面白いし、驚くような発見がたくさんある。
共に眠り、共に食し、共に家事をこなす事によってようやく見えてくる事も多い。
これからも、機会があればいろんな国のいろんな家庭にホームステイしてみたい。
それは宿代が浮くという単純なメリット以上に大きな意義を私に与えてくれる。



アリと一緒にカスカドホテルに行っていたモハメドが家に帰ってきた。
ホテルの部屋が満室で、今夜は泊めてもらう事が出来なかったそうだ。
今夜は私がみんなと一緒に過ごせる最後の夜だから、
この家にいてほしいと頼んだら、わかったと言ってくれた。
ママやメリアン達と一緒に話をした。
モハメドがいない間、
メリアンが私とみんなの通訳を1人で引き受けなくてはならなくて、
とっても大変そうだったと言うと、彼は笑っていた。




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masu
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/09/27
職業:
一級建築士
趣味:
しばらくおあづけ状態ですが、スケッチブック片手にふらふらする一人旅
自己紹介:
世田谷で、夫婦二人の一級建築士事務所をやっています。新築マンションからデザインリフォーム等をはじめ、様々な用途の建築物の設計に携わっています。基本呑気な夫婦で更新ペースもぬるーく、更新内容も仕事に限らずゆるーく、でもていねいに、綴っています。
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