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ノイファイミリーの日常、息子の成長など・・・
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随分朝寝坊してしまった。
こっちに来て毎日8時間は寝ている。
目覚しなしで好きなだけ眠れるのは、本当に幸せ。
モハメドが朝食を部屋に運んでくれた。
チョコレートのパンとカフェオレのPetit Dejuner。

腹ごしらえをして、しばらく絵日記を描いていたが、
とうとう私もトイレに行きたくなった。
とってもとっても勇気がいったが、こればっかりはどうにも仕方のない事なので、
やむを得ず、アラビア式和風便所の洗礼を、私も受けてしまった。
この形の便器は、以前最初に1人でパリに行った時、
わけも分からず入ったカフェにあった物と同じ。
床に刳り貫かれた便器の真ん中に2個所楕円形の持ち上がりがある。
その少し後ろ側に丸く穴が空いていて、水がたまっている。
持ちあがった部分に足を乗せて、丸い穴めがけて用を足すしくみだ。
自分の足やズボンに粗相をしないように随分と気を使ったが、
何とか無事に用を足す事ができた。
日本のボットン便所よりも2まわりは小さい穴に命中させるのは難しいのではないかと思ったが、意外にも上手い具合に私の分身は穴の中に消えて行った。この穴の位置と大きさは長年の経験値で決められているのだろうか…
さすがに紙だけは使わずにいられなかったが、それでも大きな難関を突破して、
これでもう大抵の事はクリアできるだろうと、自信がついた。
それはそれは日常的な、些細な事1つクリアするだけで、
これ程までに自信がついてしまうのだから、
今、自分に自信を失いかけている若者達よ!旅に出て、用を足せ!!
と声を大にして言いたいと思ったが、こんな事で一喜一憂している単純馬鹿は、
はたして私だけなのだろうか…



いざ、メディナに繰り出す事にする。
モハメドがFezの街を眺められる、中庭風の公園に連れて行ってくれた。
壊れかけた古い木の扉をくぐり、秘密の通路を抜けると、
そこにその公園はひっそりと佇んでいた。真ん中のベンチに腰掛け、街を眺める。
Fezの街には、傾斜した土地に家々が密集し、
互いに支え合い、交錯しながら建っていて、ところどころの不規則な隙間に、
こんな見晴らしの良い公園が隠れている。
でもこの景色を見ていると、この空間が果たして偶然に出来上がった物なのか、
それとも計算されて造られたものなのか、判らなくなってくる。
偶然に出来上がった物だとすれば、
ここで生きる人々が生活の中で、自分達にとって心地良い空間を、
既存の物から創り出す術を見事に心得ているという事になるだろう。

Fezの街はつぎはぎだらけだ。
次から次へと古いものの上に重なり合い、交わり合いながら物が建てられている。
決して街は清潔とは言えないし、気を付けていないと泥濘に足を踏み入れたり、
ロバの糞を踏んづけてしまう。
道は入り組んでいて、夜は暗い。
でも、それでもそこには人々の生活がある。
彼らはこの街を美しいと思い、この街を愛している。
古い街で暮らすには、不便な事も多い。
これだけ情報が発達した社会の中で、それでもなお、彼等は変わらぬ生活を送る。
変わってきた部分も確かにあるのかもしれないが、街の風景は変わらない。
今目の前にある物の中から、幸せや快適さを創り出し、利用して暮らしている。
自然と共に。
それに逆らうことなく共存し、恩恵を授かり、
同化しながら何年も何百年も何千年も…そこに存在し続ける。

色々な風景を色々な国で眺めたが、
どう頑張っても、建築物は自然にはかなわないという事が見えてきた。
人間が自然の中でちっぽけな存在である様に、人間が造った建築物も、
自然の美しさの前にあってはどうにも太刀打ちできない陳腐なものだ。
著名な建築家達がこぞって、光や風、水や緑を己の作品のコンセプトとして、
もっともらしくうんちくを唱えて利用しているが、
彼等の造ったものが一瞬美しく見えるのも、
決して人間がかなう事のできない自然の偉大さの一部を拝借しているお陰であって、
建物そのものが発する美しさではないのではないかと疑問を感じた。

ただ、こうして何千年もの時を経て、変わらぬ姿で存在し続ける街を眺めると、
やはりそれは美しく、魅力的だ。
おそらく、自然と共に長い年月そこに存在し続ける間に、
いつしかその建物達は自然と混ざり合い、同化していってしまったのだろう。
夫婦が長年連れ添う間に、だんだんと顔が似てくるように、
建物が月日とともに自然の一部と化していて、
それでこの街がこのように美しい姿を
現在の私達に見せてくれているのではないかと…
赤ん坊の肌はきめ細かく、その目は汚れを知らず美しい。
成長していくと共に、善も悪も吸収し、いつしか少しずつくすんでゆく。
だけどその人の生き様によって、
年老いて刻まれた皺が美しくも見え、醜くもみえる。
たくさんの愛を受けた人の笑顔は、
まわりの人間を幸福にし、ぬくもりは癒しを与える。

建築も同じではないかと思った。
竣工して間もない建物が美しいのは当たり前。
赤ん坊と同じで、汚れを知らないから。
大切なのは、建物の生き様なのではないかと。
どんなに一生懸命考えあぐねた末の難産であっても、
愛されなければひとたまりもない。
粗末に扱われ、必要なくなれば壊してしまえと当たり前のように思われたら、
思春期の子供がぐれてしまうのと同じように、建物だってぐれちまう。
健康でいい子が生まれますようにと母が祈るように建築を生み、
いい子に育ちますようにと母が願うように
建築を扱ってやらなければいけないんじゃないかと。
今の日本の建築に、
建物が風化していくという事を前提とした上で構築されたものが、
果たしてどれだけあるのだろう。
そしてまた、日本で生活する人々の間に、
自分がそこに存在している空間の魅力を自分自身で模索し、引き出し、
発展させていこうと試みる人がどれほどいるのだろう。



そこで、私はこの旅に出る前の本来の目的、自分自身のもくろみを思い出していた。
建築の世界のほんの入口に足を踏み入れて間もない私のようなひよこが、
まず最初にぶち当たった壁は、自分の国が、
周囲の環境があまりにも低俗であるという現実だった。
街には、志が見られない。
一体何を目指し、何処に向かって歩いているのかがわからない街。
そんな街で暮らしている自分自身を、私は非常に可哀相に思う。
日本には、そして東京には適当な形容詞が見つからない。
海外に来て、いつも聞かれて困るのが、東京はどんなところ?
という質問に対する答えだ。
ヨーロッパ的でも、アメリカ的でもアジア的でもなく、ましてや日本的でもない。
何の特徴もないところが、東京の特徴のようになっている。
全てにおいて、目先の結果しか目算にいれず、手に届く未来の行く末しか案じない。今生き、存在している事を重んじることもなく、
遥かに先の展望を覗く試みも見られず、
政治家も物を造る業に携わる者も己の存命中の名声を得、
私欲を満たす事しか頭にない。

旅先で、自分の仕事に対して、少しだけそんな思いを巡らせてせてみた。




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プロフィール
HN:
masu
年齢:
54
性別:
女性
誕生日:
1969/09/27
職業:
一級建築士
趣味:
しばらくおあづけ状態ですが、スケッチブック片手にふらふらする一人旅
自己紹介:
世田谷で、夫婦二人の一級建築士事務所をやっています。新築マンションからデザインリフォーム等をはじめ、様々な用途の建築物の設計に携わっています。基本呑気な夫婦で更新ペースもぬるーく、更新内容も仕事に限らずゆるーく、でもていねいに、綴っています。
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