ノイファイミリーの日常、息子の成長など・・・
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一晩中、バスは雪の中で止っていた。
朝にはサハラに到着するはずだったのに、明け方6:00頃ようやく走り出した。
真っ白な樹氷の中で夜明けを迎えた。
砂漠に向かう途中に、樹氷の中を通り抜けるなんて… 夢にも思わなかった。
止っているバスの中で、モロッコの人達の温かさをかみしめていた。
出会って間もない、私のために闘ってくれた、モハメドとアリ。
言葉の解らない私を家族のように迎えてくれたモハメド一家。
貧乏な私のために、
できる限りモロッコ人価格でチープな旅をさせてくれようとするモハメド。
彼の言葉が頭の中をめぐる。
「僕は君のガードマンだ。
誰かが君に変な真似をしようとしたら、僕が闘って君を守る!」
「僕らは君に高いお金を遣わせたくない。
その代わり、モロキャンプライスで、安くても、本当のこの国の姿を君に見せたい。
そして君の絵や文章で、本当のモロッコの良さを日本の人達に伝えてほしい…」
私の旅は、旅立つ前とは、随分とイメージの異なるものに変わりつつある。
最初は古い街並みを通り抜け、そこそこのホテルに日本に比べれば安い値段で泊り、
通りすがりの旅人として、眺めるつもりだった。
でも、いろんな人々と出会い、いつしか私の身体は、この国に溶け込んでいった。
この国の中で、つかの間の生活を営んでいる。
同じ物を食べ、同じようなライフスタイルを体験し、
同じ高さから同じ物を見て、語り合っている。
この旅は私に、生きる事について、
本当にたくさんの事を教えてくれている。
日本の中での私は、本当にちっぽけな人間だった。
仕事に追われ、時間に追われ、
その上あれも欲しい、これもやりたいとあれこれ欲張って気持ちばっかり先走り、
結局は何も手に入れられず、そんな状況にイラついていた。
でも、この雄大なアフリカ大陸の大地に抱かれて、
何もかも全て、つまらない、ちっぽけな事のように思えた。
ろくに風呂にも入らず、髪もぼさぼさで着たきりすずめ、化粧なんてせず、
半分鼻たれ小僧みたいな今の自分の姿。
バスの汚れたガラス窓に、うっすらと浮かぶ自分の顔を眺めながら、
それでもなお、今の私は本当にいい表情をしていると思った。
雪のためにバスが一晩中止っていたので、
結局今日は殆ど1日中バスの中で過ごす事になった。
ところどころでバスは止り、また走り出す。
モロッコのバスは、乗客がちゃんと全員乗り込んでいようがいまいが、
構わず急に走り出す。
うっかりしていると、置いてきぼりになりそうになる。
一度モハメドと私とモハメドの事を子供の頃から知っているというおばさんの3人で、カフェでコーヒーを飲もうとした。
注文をして席につき、
私達がとってもお似合いで、モハメドは本当にいい青年だから、
結婚しちゃいなさい。日本につれて帰っちゃいなさい。
なんて身振り手振りでひやかされながら、コーヒーを待っていた。
少ししてコーヒーが運ばれ、
一口すすった途端に目の前に止っていたバスが走り出し、
あわてて走っているバスの扉をドンドンとたたいて飛び乗った。
それはそれはスリル満点だ。
アトラスを越えると、車窓の風景はガラリと変わる。
乾燥した、赤茶けたカスバが点々とし、岩山が迫る。
谷間をゆったりと河が流れ、河の周りにだけ樹木が生い茂っている。
私はアメリカには行った事がないけど、
グランドキャニオンなんかもこんな感じなんだろうか…
青い空と赤茶色の岩山が、どこまでもどこまでも続く。
そんな中をおんボロバスはひた走る。
失ったものを取り返そうとするかのように。ムキになって…
太陽が山の向こうに隠れ、月が顔を出す頃、バスはリッサーニの街に着いた。
ガイドが客引きにバイクに乗ってつけまわす。
モハメドがガイドやグランタクシーの運転手達に
メルズーガに行って砂漠を観るために色々と交渉をしてくれたが、
今はシーズンオフで観光客も少なくグランタクシーも莫大な値段をふっかけてくる。
ランドローバーはなおさら高い。
あてにしていたモハメドの友達でランドローバーを持っている青年が、
今この街にいなかったようで、やむなくリッサーニの街に滞在し、
サハラ気分を味わう事にする。
もう幾日か滞在すればなんとか別の方法で砂漠も見る事ができるのかもしれないが、
私はどうしてもシェフシャウエンに行ってみたかったので、
砂漠は次に来た時、モハメドとアリと3人で訪れる事にした。
ホテルに入り、2階のカフェでミントティーを飲みながら、
面白い眼鏡をかけたホテルの主人とモハメドが、あれこれと話をしていた。
その間、私はずーっと黙っていた。
モハメドやアリに、
彼等が旅先でどんなに親しそうに挨拶をして、話をしていても、
MASUは何も話をしてはいけない。
誰かがHellow!!と声をかけてきても、
知らん振りをしているようにと何度も言われていたから。
彼等のアラビア語をBGMに、ずーっと暮れゆく街を窓から眺めていた。
朝にはサハラに到着するはずだったのに、明け方6:00頃ようやく走り出した。
真っ白な樹氷の中で夜明けを迎えた。
砂漠に向かう途中に、樹氷の中を通り抜けるなんて… 夢にも思わなかった。
止っているバスの中で、モロッコの人達の温かさをかみしめていた。
出会って間もない、私のために闘ってくれた、モハメドとアリ。
言葉の解らない私を家族のように迎えてくれたモハメド一家。
貧乏な私のために、
できる限りモロッコ人価格でチープな旅をさせてくれようとするモハメド。
彼の言葉が頭の中をめぐる。
「僕は君のガードマンだ。
誰かが君に変な真似をしようとしたら、僕が闘って君を守る!」
「僕らは君に高いお金を遣わせたくない。
その代わり、モロキャンプライスで、安くても、本当のこの国の姿を君に見せたい。
そして君の絵や文章で、本当のモロッコの良さを日本の人達に伝えてほしい…」
私の旅は、旅立つ前とは、随分とイメージの異なるものに変わりつつある。
最初は古い街並みを通り抜け、そこそこのホテルに日本に比べれば安い値段で泊り、
通りすがりの旅人として、眺めるつもりだった。
でも、いろんな人々と出会い、いつしか私の身体は、この国に溶け込んでいった。
この国の中で、つかの間の生活を営んでいる。
同じ物を食べ、同じようなライフスタイルを体験し、
同じ高さから同じ物を見て、語り合っている。
この旅は私に、生きる事について、
本当にたくさんの事を教えてくれている。
日本の中での私は、本当にちっぽけな人間だった。
仕事に追われ、時間に追われ、
その上あれも欲しい、これもやりたいとあれこれ欲張って気持ちばっかり先走り、
結局は何も手に入れられず、そんな状況にイラついていた。
でも、この雄大なアフリカ大陸の大地に抱かれて、
何もかも全て、つまらない、ちっぽけな事のように思えた。
ろくに風呂にも入らず、髪もぼさぼさで着たきりすずめ、化粧なんてせず、
半分鼻たれ小僧みたいな今の自分の姿。
バスの汚れたガラス窓に、うっすらと浮かぶ自分の顔を眺めながら、
それでもなお、今の私は本当にいい表情をしていると思った。
雪のためにバスが一晩中止っていたので、
結局今日は殆ど1日中バスの中で過ごす事になった。
ところどころでバスは止り、また走り出す。
モロッコのバスは、乗客がちゃんと全員乗り込んでいようがいまいが、
構わず急に走り出す。
うっかりしていると、置いてきぼりになりそうになる。
一度モハメドと私とモハメドの事を子供の頃から知っているというおばさんの3人で、カフェでコーヒーを飲もうとした。
注文をして席につき、
私達がとってもお似合いで、モハメドは本当にいい青年だから、
結婚しちゃいなさい。日本につれて帰っちゃいなさい。
なんて身振り手振りでひやかされながら、コーヒーを待っていた。
少ししてコーヒーが運ばれ、
一口すすった途端に目の前に止っていたバスが走り出し、
あわてて走っているバスの扉をドンドンとたたいて飛び乗った。
それはそれはスリル満点だ。
アトラスを越えると、車窓の風景はガラリと変わる。
乾燥した、赤茶けたカスバが点々とし、岩山が迫る。
谷間をゆったりと河が流れ、河の周りにだけ樹木が生い茂っている。
私はアメリカには行った事がないけど、
グランドキャニオンなんかもこんな感じなんだろうか…
青い空と赤茶色の岩山が、どこまでもどこまでも続く。
そんな中をおんボロバスはひた走る。
失ったものを取り返そうとするかのように。ムキになって…
太陽が山の向こうに隠れ、月が顔を出す頃、バスはリッサーニの街に着いた。
ガイドが客引きにバイクに乗ってつけまわす。
モハメドがガイドやグランタクシーの運転手達に
メルズーガに行って砂漠を観るために色々と交渉をしてくれたが、
今はシーズンオフで観光客も少なくグランタクシーも莫大な値段をふっかけてくる。
ランドローバーはなおさら高い。
あてにしていたモハメドの友達でランドローバーを持っている青年が、
今この街にいなかったようで、やむなくリッサーニの街に滞在し、
サハラ気分を味わう事にする。
もう幾日か滞在すればなんとか別の方法で砂漠も見る事ができるのかもしれないが、
私はどうしてもシェフシャウエンに行ってみたかったので、
砂漠は次に来た時、モハメドとアリと3人で訪れる事にした。
ホテルに入り、2階のカフェでミントティーを飲みながら、
面白い眼鏡をかけたホテルの主人とモハメドが、あれこれと話をしていた。
その間、私はずーっと黙っていた。
モハメドやアリに、
彼等が旅先でどんなに親しそうに挨拶をして、話をしていても、
MASUは何も話をしてはいけない。
誰かがHellow!!と声をかけてきても、
知らん振りをしているようにと何度も言われていたから。
彼等のアラビア語をBGMに、ずーっと暮れゆく街を窓から眺めていた。
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夕方、再びモハメドの家に行った。
みんなで夕食を摂る。
モハメドのおばあちゃんはその昔王宮で食事の支度をしていたという。
今夜は私の為に腕を振るってくれた。
食事ができあがるのを待っている間、双子の小学生ハスナとハサニヤが、
私に覚えたてのフランス語を披露してくれた。
サーラは私の膝の上がよっぽど気に入ったらしく、他の人が抱っこしようとすると、
泣きべそをかいて離れない。
食事の用意ができると私の膝の上から降ろされて、
モハメドの傍にちょこんと座った。
小さな子供でも、きちんと席について食事をとるのが、モロッコでの作法だそうだ。
今夜の夕食はタジン。
ママやメリアンがパンをちぎってタジンのスープをつけ、
私の口に運んで食べさせてくれる。
次から次へとわんこ蕎麦のように口に運ばれて目がまわりそうになった。
モロッコのもてなしは、手厚い。
夕べのアリのタジンも美味しかったけど、
モハメドの家のハリラやタジンもとーっても美味しかった。
モロッコに来る前は、
食べ物が合わなくてお腹をこわして痩せて帰ると思っていたが、
どうもそううまくはいかないらしい。
食事が済むと、食べ散らかったテーブルの上をきれいにふいて、
テーブルも片付ける。
床に落ちたパン屑も、
柄のついていないデッキブラシみたいなものできれいに掃きとられる。
家具はみんな可動式。
使う時に使う場所に運び、使わない時は片付けられる。
ぱっぱっと部屋のしつらえはかわる。でもとっても合理的。
余計なものを置かず、こまめに片付ける。
その後は家族で団欒。
みんなでソファやベットの上で毛布にくるまって、暖をとりながら団をとる。
家族の写真を見せてもらったり、テレビをみたり、
その横では兄弟喧嘩が始まったりと、それはそれは賑やかだ。
私が水差しに入っていた水を少し飲むとモハメドが
「これはミネラルウォーターじゃないから君は飲まないほうがいい」と言った。
モハメドとアリと3人でホテルの側に水を買いに行くことにした。
ここだけの話だが、モハメドは家族には煙草を吸う事を秘密にしているので、
口実を作って外に一服しに行きたかったのだ。
荷物もホテルの部屋に置きっぱなしだったのでついでに取りに行くことにした。
水を買い、置いてあった荷物を取り、モハメドの家に運ぼうとしていると、
何やら太った男がホテルの出入口で私に何か言ったらしい。
その言葉を聞いたモハメドが急に怒りだして、
私と荷物をアリに預けて先に行けと合図した。
アリに送られモハメドの家でメリアン達と話をしていると、
彼がものすごい剣幕で怒りながら手に怪我をして帰ってきた。
そして着替えて再び飛び出して行った。
警察官のモハメドのお父さんもただ事ではないと察して後を追いかけて行った。
私が何事かと外に出て行こうとすると、
メリアンが大丈夫だからと家の中にいるように言った。
私は何が何だかわからないまま、メリアン達とモハメドの帰りを待った。
10時近くになってやっとモハメドが帰ってきた。
バスが出るからと、急いで荷物をまとめ家を出る。
ママやメリアン達にサハラから戻ったらよろしくと挨拶もそこそこに、
雨の中バスターミナルまで走った。
民営バスターミナルはブージュールド門からすぐのところにあるが、
夜は真っ暗でえらいコワい。
多分こんなところに私は1人でのこのこやって来て、
バスに乗り込む勇気はなかっただろう。
周りの人間が全てうさんくさく、恐ろしく見えた。
アリがバス停で私達を待っていた。
よく見ると、アリも顔に怪我をしている。
2人に理由を聞くと、さっきのホテルにいた太った男が、
どうも私に対して汚い言葉を吐いたらしい。
それを聞いたモハメドがとっても怒って喧嘩になったそうだ。
モハメドは身体がそんなに大きくないので、
兄貴分のアリも加勢して憎き宿敵をノックアウトしたらしい。
私が怯えた顔をしていると、
2人は「大丈夫だ。心配するな」と言って私をなだめた。
「もしも、誰かが私に対して汚い言葉を吐いたとしても、
私は彼等が何を言っているのかわからない。だから腹もたたない。
お願いだから、私のために喧嘩なんかしないで!!」
「君がたとえ意味がわからなくて、気がつかなくても、
僕らは君の事を本当の妹のように思っている。
だから僕らは君が侮辱される事は許せないし、そんな時は僕らは迷わず闘うんだ!
そんな風に思ってくれる2人に、私は本当に心から感謝した。
言葉では言い表せない程感動した。
「I have two Supermens!!」
「モハメドはスーパーマン、僕はバットマン。
MASUが呼んだらスーパーマンもバットマンもすぐにとんでくるよ!」
アリはそう言っておどけて見せた。
“Keep your SMILE!”君の笑顔は僕らを幸せにするんだ。
私の笑顔がそんなに価値あるものなのか自分じゃよくわからないけど、
彼等に今、私が与えられる物は本当に笑顔だけなので、
笑って行ってきますを言う事にした。
いよいよバスに乗り込む。
安い方のバスなので、エコノミーの飛行機なんて目じゃない程狭い。
私とモハメドが席に着くと、
アリが「水はいる?」「何か食べる?」とあれこれ世話をやいてくれた。
ボトルの水を買ってきてもらって、リュックに詰め込む。
アリとはしばしのお別れ。
「MASU. 何かあったら、砂漠でアリに電話をくれ!
アリバットマンが飛んでくるからね!!」
握手とキスでいってきます。
アリは「君らが旅に出ている間寂しいよ!」と別れを惜しんでいた。
みんなで夕食を摂る。
モハメドのおばあちゃんはその昔王宮で食事の支度をしていたという。
今夜は私の為に腕を振るってくれた。
食事ができあがるのを待っている間、双子の小学生ハスナとハサニヤが、
私に覚えたてのフランス語を披露してくれた。
サーラは私の膝の上がよっぽど気に入ったらしく、他の人が抱っこしようとすると、
泣きべそをかいて離れない。
食事の用意ができると私の膝の上から降ろされて、
モハメドの傍にちょこんと座った。
小さな子供でも、きちんと席について食事をとるのが、モロッコでの作法だそうだ。
今夜の夕食はタジン。
ママやメリアンがパンをちぎってタジンのスープをつけ、
私の口に運んで食べさせてくれる。
次から次へとわんこ蕎麦のように口に運ばれて目がまわりそうになった。
モロッコのもてなしは、手厚い。
夕べのアリのタジンも美味しかったけど、
モハメドの家のハリラやタジンもとーっても美味しかった。
モロッコに来る前は、
食べ物が合わなくてお腹をこわして痩せて帰ると思っていたが、
どうもそううまくはいかないらしい。
食事が済むと、食べ散らかったテーブルの上をきれいにふいて、
テーブルも片付ける。
床に落ちたパン屑も、
柄のついていないデッキブラシみたいなものできれいに掃きとられる。
家具はみんな可動式。
使う時に使う場所に運び、使わない時は片付けられる。
ぱっぱっと部屋のしつらえはかわる。でもとっても合理的。
余計なものを置かず、こまめに片付ける。
その後は家族で団欒。
みんなでソファやベットの上で毛布にくるまって、暖をとりながら団をとる。
家族の写真を見せてもらったり、テレビをみたり、
その横では兄弟喧嘩が始まったりと、それはそれは賑やかだ。
私が水差しに入っていた水を少し飲むとモハメドが
「これはミネラルウォーターじゃないから君は飲まないほうがいい」と言った。
モハメドとアリと3人でホテルの側に水を買いに行くことにした。
ここだけの話だが、モハメドは家族には煙草を吸う事を秘密にしているので、
口実を作って外に一服しに行きたかったのだ。
荷物もホテルの部屋に置きっぱなしだったのでついでに取りに行くことにした。
水を買い、置いてあった荷物を取り、モハメドの家に運ぼうとしていると、
何やら太った男がホテルの出入口で私に何か言ったらしい。
その言葉を聞いたモハメドが急に怒りだして、
私と荷物をアリに預けて先に行けと合図した。
アリに送られモハメドの家でメリアン達と話をしていると、
彼がものすごい剣幕で怒りながら手に怪我をして帰ってきた。
そして着替えて再び飛び出して行った。
警察官のモハメドのお父さんもただ事ではないと察して後を追いかけて行った。
私が何事かと外に出て行こうとすると、
メリアンが大丈夫だからと家の中にいるように言った。
私は何が何だかわからないまま、メリアン達とモハメドの帰りを待った。
10時近くになってやっとモハメドが帰ってきた。
バスが出るからと、急いで荷物をまとめ家を出る。
ママやメリアン達にサハラから戻ったらよろしくと挨拶もそこそこに、
雨の中バスターミナルまで走った。
民営バスターミナルはブージュールド門からすぐのところにあるが、
夜は真っ暗でえらいコワい。
多分こんなところに私は1人でのこのこやって来て、
バスに乗り込む勇気はなかっただろう。
周りの人間が全てうさんくさく、恐ろしく見えた。
アリがバス停で私達を待っていた。
よく見ると、アリも顔に怪我をしている。
2人に理由を聞くと、さっきのホテルにいた太った男が、
どうも私に対して汚い言葉を吐いたらしい。
それを聞いたモハメドがとっても怒って喧嘩になったそうだ。
モハメドは身体がそんなに大きくないので、
兄貴分のアリも加勢して憎き宿敵をノックアウトしたらしい。
私が怯えた顔をしていると、
2人は「大丈夫だ。心配するな」と言って私をなだめた。
「もしも、誰かが私に対して汚い言葉を吐いたとしても、
私は彼等が何を言っているのかわからない。だから腹もたたない。
お願いだから、私のために喧嘩なんかしないで!!」
「君がたとえ意味がわからなくて、気がつかなくても、
僕らは君の事を本当の妹のように思っている。
だから僕らは君が侮辱される事は許せないし、そんな時は僕らは迷わず闘うんだ!
そんな風に思ってくれる2人に、私は本当に心から感謝した。
言葉では言い表せない程感動した。
「I have two Supermens!!」
「モハメドはスーパーマン、僕はバットマン。
MASUが呼んだらスーパーマンもバットマンもすぐにとんでくるよ!」
アリはそう言っておどけて見せた。
“Keep your SMILE!”君の笑顔は僕らを幸せにするんだ。
私の笑顔がそんなに価値あるものなのか自分じゃよくわからないけど、
彼等に今、私が与えられる物は本当に笑顔だけなので、
笑って行ってきますを言う事にした。
いよいよバスに乗り込む。
安い方のバスなので、エコノミーの飛行機なんて目じゃない程狭い。
私とモハメドが席に着くと、
アリが「水はいる?」「何か食べる?」とあれこれ世話をやいてくれた。
ボトルの水を買ってきてもらって、リュックに詰め込む。
アリとはしばしのお別れ。
「MASU. 何かあったら、砂漠でアリに電話をくれ!
アリバットマンが飛んでくるからね!!」
握手とキスでいってきます。
アリは「君らが旅に出ている間寂しいよ!」と別れを惜しんでいた。
今日もFezの街は雨が降っている。
私が運んできた雨だろうか? それにとっても寒い。
モハメドが、私の朝ご飯にあったかーいハリラを運んでくれた。
ハリラは豆の入ったスープ。
寒い日にハリラを飲めば、身体が温まると教えてくれた。
ハリラとパンの朝食をとり、シャワーを浴びる事にした。
ホテルの2階にホットシャワーがある。
着替えやタオル、シャンプー達をビニール袋にいれて、
モハメドにシャワー室まで連れて行ってもらった。
今までホットシャワーといわれながら、タイミング悪く温かいお湯にあやかれず、
寒い思いを何度かしてきた私はモハメドに念をおした。
“本当にこれは、ホットシャワーなの?今すぐあっかたいお湯がでてくるの?”
モハメドは得意げに、扉の横にある小さな湯沸かし器を指差した。
確かにその中で、青白い小さな炎が揺らめいていた。
ちょろちょろとはいえ、
あったかいお湯は途切れることなく蛇口を右にまわすまでずっと流れ続けてくれた。
これですっきりさっぱりサハラに向かえる。
身体を拭いて服を着る。
髪をとかし、みつ編みにして、
昨日モハメドがプレゼントしてくれたベルベルハットをかぶる。
モハメドが私の姿をみて嬉しそうに言った。
「いいよ!最高だ!とっても似合うよ、その帽子!!」
それから少しだけメディナの中を歩き回った。
モハメドが、銀や銅の食器類をおいてある店に案内してくれた。
ここのお店の職人さんは王宮の扉の装飾も手がけたという。
地球の歩き方の記者が以前取材にきて、
写真と記事が載っているんだよと言って本を見せてくれた。
私が持っているのは、古い本なのででていないが、新しい版の本に載っていた。
もしも後で余裕があれば、銀食器が買えるといいなぁなんて思いながら店を出た。
雨がひどく、とっても寒いのでホテルに戻る。
今日はお昼にモハメド一家が私を家に招待し、
クスクスをご馳走してくれるというのでとっても楽しみだ。
1:00すぎにモハメドの家に行った。
彼等はブージュールド門のすぐ傍に住んでいる。
モハメドには姉妹が4人いる。その内の2人は双子だ。
小学生のハスナとハサニヤ。
それから18歳(だったと思う)のファティマ、長女で21歳のメリアン。
2階建の家の2階にモハメド一家が暮らし、
1階にモハメドの伯父さん一家が暮らしている。
突然の珍客である私を妹達やお母さん、お父さんも温かく迎えてくれた。
モハメドの従妹にあたるちっちゃなサーラが、
あっという間に私にすっかりなついてしまった。
モハメドは今お父さんと喧嘩中で、
ずっと夜は家に帰らずあちこちを転々としているが、
今日は私がいる為か家族そろって仲良く食事をしていた。
モハメドのお父さんはすぐ近くのPOLICE OFFICEに勤務しているので、
昼食時には自宅に戻り、家族と一緒に食事をとるそうだ。
後からアリもやってきて、みんなそろってクスクスランチをとった。
モロッコでは、毎週金曜日にみんなでクスクスを食べるという。
大きな皿にこんもりと盛られたクスクスを囲んで賑やかな食事。
メリアンは何故か1人別の皿でタジンを食べていたのでわけを聞くと、
彼女はクスクスが嫌いだそうだ。
なーんだ。
モロッコの人だからってみんながみんな
クスクスやタジンが大好きってわけじゃないんだ。
考えてみれば、私だって日本人でも納豆は大っ嫌いだし、
寿司屋にいってもうにが食べられない。
我侭娘は世界中にいるもんだ。
モハメドやメリアン以外は殆ど英語もフランス語も通じないが、
言葉の解らない私を、みんな家族のように迎え入れてくれた。
もしも時間があれば家に泊まっていってと言われまたまたスケジュール調整をして、
最後の1日.2日はモハメドのお家にごやっかいになる事にした。
1人旅は気まま。
流れに身をまかせ、その日の気分で成り行き任せに生きられる。
歩いては、立ち止まり、休んでは、また歩く。
妹達は私がお世話になるというと、大喜びで歓迎してくれた。
2番目のファティマは、
言葉が通じなくて私とあまり話ができない事をとても残念がっていたが、
サハラから戻ったらヘンナをやってくれると言っていた。
みんなほんとに優しい人達だ。
一度モハメドの家を出て、モロッコで使う最後のキャッシュを両替してもらい、
再びホテルに戻った。
モハメドやアリと話しながら午後を過ごす。
アリはしきりにモハメドと私にサハラでは気を付けろと言っていた。
計り知れないガイド攻撃に、サハラではあうらしい。
私が日本人だと知れば金持ちだと思い、
何につけても高い値段をふっかけてくるそうだ。
モロッコにもお金持ちから貧乏な人までいろいろいるように、
日本人だって全部が全部お金持ちなわけではない。
日本人にも豊かな人もいれば、貧しい人もいるのにね…と私がいうと、
彼等も理解してくれた。
私はこの街で、モハメドやアリのような友達に出会えて本当にラッキーだった。
彼等はたびたび私に“Are you Happy?”と聞く。
私が元気良く“YES!!”と答えると、
“OK. You are happy, so I’m happy too!!”と言ってくれる。
私はとってもFunnyだという。
いつも笑っていて、それがいい。
君の笑顔が僕らを幸せにするんだ。
…日本で聞けば、歯が浮くような陳腐な台詞に聞こえるかもしれないが、
彼等は本当に私の事を好いてくれて、心からそう言い、思ってくれているので、
そんな言葉がとっても嬉しく、心に染みる。
モロッコでは、同じ皿で食事をとるという事は、とても大きな信頼の証となる。
同じ皿で食事を摂った者同士の間では、
決して嘘をついたり、互いに不易となる事はしてはいけないそうだ。
私はモハメドやアリと一緒に同じ皿で食事をとった。
だから彼等は私には決して嘘はつかないし、
私の事を家族のように思っていると話してくれた。
アリは私が本当にGood Personだから、
いい友達がこの国でもできたんだよと言ってくれた。
いい人はいい人を呼ぶ。いい人の周りにはいい人が集まるんだと言っていた。
いろんな国を旅したが、こんなにもその国の人達と深くふれあった事はなかった。
モロッコには本当にいい人がいた。
言葉や育った環境が違っていても、
こんなにも人と人はわかりあえるものなんだなぁとしみじみ感じた。
私の言葉は、情けなくなる程つたない。
でも、それでも彼等は私が何を言おうとしているのか、何を伝えたいのか、
一生懸命理解しようとしてくれる。
私が、あんまり言葉ができなくて申し訳ないと謝ると、
彼等は「そんな事は何も問題ない。僕らはお互いに何を言いたいのか、
伝えたいのか、理解しあう様努力すればいいんだ。」そう言って笑っていた。
アリが弟のために昼間買っておいたベルトを私にプレゼントしてくれた。
「もらえないよ。だってこれはアリが弟にあげるものだもの」
私は断った。
でも、弟にはまた別のベルトを買ってあげるから、
これは君にプレゼントしたいんだと言うので、有難く受け取ることにした。
「日本に帰ったら、アリやモハメドに写真や手紙やプレゼントを送るね。
今は何も持っていなくてごめんね」と言うと、アリは笑った。
「君は僕らに幸せをくれたよ。贈り物はいつかは壊れてしまう。なくなってしまう。
でも君の笑顔やいい思い出は、僕らの心の中にいつまでも、永遠に残るんだ。
それが何よりのプレゼントなんだよ。」
私が運んできた雨だろうか? それにとっても寒い。
モハメドが、私の朝ご飯にあったかーいハリラを運んでくれた。
ハリラは豆の入ったスープ。
寒い日にハリラを飲めば、身体が温まると教えてくれた。
ハリラとパンの朝食をとり、シャワーを浴びる事にした。
ホテルの2階にホットシャワーがある。
着替えやタオル、シャンプー達をビニール袋にいれて、
モハメドにシャワー室まで連れて行ってもらった。
今までホットシャワーといわれながら、タイミング悪く温かいお湯にあやかれず、
寒い思いを何度かしてきた私はモハメドに念をおした。
“本当にこれは、ホットシャワーなの?今すぐあっかたいお湯がでてくるの?”
モハメドは得意げに、扉の横にある小さな湯沸かし器を指差した。
確かにその中で、青白い小さな炎が揺らめいていた。
ちょろちょろとはいえ、
あったかいお湯は途切れることなく蛇口を右にまわすまでずっと流れ続けてくれた。
これですっきりさっぱりサハラに向かえる。
身体を拭いて服を着る。
髪をとかし、みつ編みにして、
昨日モハメドがプレゼントしてくれたベルベルハットをかぶる。
モハメドが私の姿をみて嬉しそうに言った。
「いいよ!最高だ!とっても似合うよ、その帽子!!」
それから少しだけメディナの中を歩き回った。
モハメドが、銀や銅の食器類をおいてある店に案内してくれた。
ここのお店の職人さんは王宮の扉の装飾も手がけたという。
地球の歩き方の記者が以前取材にきて、
写真と記事が載っているんだよと言って本を見せてくれた。
私が持っているのは、古い本なのででていないが、新しい版の本に載っていた。
もしも後で余裕があれば、銀食器が買えるといいなぁなんて思いながら店を出た。
雨がひどく、とっても寒いのでホテルに戻る。
今日はお昼にモハメド一家が私を家に招待し、
クスクスをご馳走してくれるというのでとっても楽しみだ。
1:00すぎにモハメドの家に行った。
彼等はブージュールド門のすぐ傍に住んでいる。
モハメドには姉妹が4人いる。その内の2人は双子だ。
小学生のハスナとハサニヤ。
それから18歳(だったと思う)のファティマ、長女で21歳のメリアン。
2階建の家の2階にモハメド一家が暮らし、
1階にモハメドの伯父さん一家が暮らしている。
突然の珍客である私を妹達やお母さん、お父さんも温かく迎えてくれた。
モハメドの従妹にあたるちっちゃなサーラが、
あっという間に私にすっかりなついてしまった。
モハメドは今お父さんと喧嘩中で、
ずっと夜は家に帰らずあちこちを転々としているが、
今日は私がいる為か家族そろって仲良く食事をしていた。
モハメドのお父さんはすぐ近くのPOLICE OFFICEに勤務しているので、
昼食時には自宅に戻り、家族と一緒に食事をとるそうだ。
後からアリもやってきて、みんなそろってクスクスランチをとった。
モロッコでは、毎週金曜日にみんなでクスクスを食べるという。
大きな皿にこんもりと盛られたクスクスを囲んで賑やかな食事。
メリアンは何故か1人別の皿でタジンを食べていたのでわけを聞くと、
彼女はクスクスが嫌いだそうだ。
なーんだ。
モロッコの人だからってみんながみんな
クスクスやタジンが大好きってわけじゃないんだ。
考えてみれば、私だって日本人でも納豆は大っ嫌いだし、
寿司屋にいってもうにが食べられない。
我侭娘は世界中にいるもんだ。
モハメドやメリアン以外は殆ど英語もフランス語も通じないが、
言葉の解らない私を、みんな家族のように迎え入れてくれた。
もしも時間があれば家に泊まっていってと言われまたまたスケジュール調整をして、
最後の1日.2日はモハメドのお家にごやっかいになる事にした。
1人旅は気まま。
流れに身をまかせ、その日の気分で成り行き任せに生きられる。
歩いては、立ち止まり、休んでは、また歩く。
妹達は私がお世話になるというと、大喜びで歓迎してくれた。
2番目のファティマは、
言葉が通じなくて私とあまり話ができない事をとても残念がっていたが、
サハラから戻ったらヘンナをやってくれると言っていた。
みんなほんとに優しい人達だ。
一度モハメドの家を出て、モロッコで使う最後のキャッシュを両替してもらい、
再びホテルに戻った。
モハメドやアリと話しながら午後を過ごす。
アリはしきりにモハメドと私にサハラでは気を付けろと言っていた。
計り知れないガイド攻撃に、サハラではあうらしい。
私が日本人だと知れば金持ちだと思い、
何につけても高い値段をふっかけてくるそうだ。
モロッコにもお金持ちから貧乏な人までいろいろいるように、
日本人だって全部が全部お金持ちなわけではない。
日本人にも豊かな人もいれば、貧しい人もいるのにね…と私がいうと、
彼等も理解してくれた。
私はこの街で、モハメドやアリのような友達に出会えて本当にラッキーだった。
彼等はたびたび私に“Are you Happy?”と聞く。
私が元気良く“YES!!”と答えると、
“OK. You are happy, so I’m happy too!!”と言ってくれる。
私はとってもFunnyだという。
いつも笑っていて、それがいい。
君の笑顔が僕らを幸せにするんだ。
…日本で聞けば、歯が浮くような陳腐な台詞に聞こえるかもしれないが、
彼等は本当に私の事を好いてくれて、心からそう言い、思ってくれているので、
そんな言葉がとっても嬉しく、心に染みる。
モロッコでは、同じ皿で食事をとるという事は、とても大きな信頼の証となる。
同じ皿で食事を摂った者同士の間では、
決して嘘をついたり、互いに不易となる事はしてはいけないそうだ。
私はモハメドやアリと一緒に同じ皿で食事をとった。
だから彼等は私には決して嘘はつかないし、
私の事を家族のように思っていると話してくれた。
アリは私が本当にGood Personだから、
いい友達がこの国でもできたんだよと言ってくれた。
いい人はいい人を呼ぶ。いい人の周りにはいい人が集まるんだと言っていた。
いろんな国を旅したが、こんなにもその国の人達と深くふれあった事はなかった。
モロッコには本当にいい人がいた。
言葉や育った環境が違っていても、
こんなにも人と人はわかりあえるものなんだなぁとしみじみ感じた。
私の言葉は、情けなくなる程つたない。
でも、それでも彼等は私が何を言おうとしているのか、何を伝えたいのか、
一生懸命理解しようとしてくれる。
私が、あんまり言葉ができなくて申し訳ないと謝ると、
彼等は「そんな事は何も問題ない。僕らはお互いに何を言いたいのか、
伝えたいのか、理解しあう様努力すればいいんだ。」そう言って笑っていた。
アリが弟のために昼間買っておいたベルトを私にプレゼントしてくれた。
「もらえないよ。だってこれはアリが弟にあげるものだもの」
私は断った。
でも、弟にはまた別のベルトを買ってあげるから、
これは君にプレゼントしたいんだと言うので、有難く受け取ることにした。
「日本に帰ったら、アリやモハメドに写真や手紙やプレゼントを送るね。
今は何も持っていなくてごめんね」と言うと、アリは笑った。
「君は僕らに幸せをくれたよ。贈り物はいつかは壊れてしまう。なくなってしまう。
でも君の笑顔やいい思い出は、僕らの心の中にいつまでも、永遠に残るんだ。
それが何よりのプレゼントなんだよ。」
モロッコの旅日記。
10年以上も前のワタシ。
なんだか生意気な事をつらつらとぬかしておりましたな。
まだたいした仕事もしていなくてひよっこだったくせに。
海外で生活をしたこともなかった時期だったのに。
でも、誰から教わるでもなく、
自分の足で歩いて、辿って、見て、感じて、
まさしく全てを自分の身体で感じ取ったことたちばかりなので、
それなりに今でも自分なりに評価はしています。
誰もが20代、30代・・・と、いろんな壁にぶち当たったり、
行き詰まりを感じたりすることと思いますが、
ワタシ自身も例に漏れず、色んなことにもがいていた時期だったと思います。
自分のアイデンティティーを、
どこでどんな風に築いていけばよいのかが本当にわからなくって、
およおよと彷徨っていた時期でもありました。
現にその後、一度は家族も恋人も苦労して手にした仕事も全て投げだして、
別の国にびゅーんっ!と飛んで行っちゃったりもしましたし。
でも、いろいろあって結局は今の場所に辿り着いているわけですが、
当時感じて学び取ったことは、
今もワタシの中でしっかりと根付いていると思います。
まぁ、今は日本という国や自分の環境、仕事に対する評価も当時程悪くはなく、
結構気に入っていたりもします。
一度外に出て戻って来たからこそ見えてくる自分の国の良さも沢山ありますし。
(そもそもこんなにちゃんと全てが「機能する」国はないでしょうし・・・)
あとはやはり、
結局のところ「人」だったりします。
日本人がいいという意味ではなくて、
どの国でも、いや〜な奴やあいたたたっ!って奴はいるわけで。
逆にどの国にも魅力あふれる人が沢山いるわけで。
「自分」さえ見失うことなくきちんとしていれば、
場所を問わずそんな出会いに巡り会えるということがわかったからだと思います。
でもそれがわかるまで、
随分と長い時間とエネルギーを費やしましたわ。
さて、連載中の旅日記。
次はどんなことが起こりますかね。
長いんですよ。2週間て。
途中飽きられちゃうかもしれませんが、ぼちぼち流してみてください。
10年以上も前のワタシ。
なんだか生意気な事をつらつらとぬかしておりましたな。
まだたいした仕事もしていなくてひよっこだったくせに。
海外で生活をしたこともなかった時期だったのに。
でも、誰から教わるでもなく、
自分の足で歩いて、辿って、見て、感じて、
まさしく全てを自分の身体で感じ取ったことたちばかりなので、
それなりに今でも自分なりに評価はしています。
誰もが20代、30代・・・と、いろんな壁にぶち当たったり、
行き詰まりを感じたりすることと思いますが、
ワタシ自身も例に漏れず、色んなことにもがいていた時期だったと思います。
自分のアイデンティティーを、
どこでどんな風に築いていけばよいのかが本当にわからなくって、
およおよと彷徨っていた時期でもありました。
現にその後、一度は家族も恋人も苦労して手にした仕事も全て投げだして、
別の国にびゅーんっ!と飛んで行っちゃったりもしましたし。
でも、いろいろあって結局は今の場所に辿り着いているわけですが、
当時感じて学び取ったことは、
今もワタシの中でしっかりと根付いていると思います。
まぁ、今は日本という国や自分の環境、仕事に対する評価も当時程悪くはなく、
結構気に入っていたりもします。
一度外に出て戻って来たからこそ見えてくる自分の国の良さも沢山ありますし。
(そもそもこんなにちゃんと全てが「機能する」国はないでしょうし・・・)
あとはやはり、
結局のところ「人」だったりします。
日本人がいいという意味ではなくて、
どの国でも、いや〜な奴やあいたたたっ!って奴はいるわけで。
逆にどの国にも魅力あふれる人が沢山いるわけで。
「自分」さえ見失うことなくきちんとしていれば、
場所を問わずそんな出会いに巡り会えるということがわかったからだと思います。
でもそれがわかるまで、
随分と長い時間とエネルギーを費やしましたわ。
さて、連載中の旅日記。
次はどんなことが起こりますかね。
長いんですよ。2週間て。
途中飽きられちゃうかもしれませんが、ぼちぼち流してみてください。
随分朝寝坊してしまった。
こっちに来て毎日8時間は寝ている。
目覚しなしで好きなだけ眠れるのは、本当に幸せ。
モハメドが朝食を部屋に運んでくれた。
チョコレートのパンとカフェオレのPetit Dejuner。
腹ごしらえをして、しばらく絵日記を描いていたが、
とうとう私もトイレに行きたくなった。
とってもとっても勇気がいったが、こればっかりはどうにも仕方のない事なので、
やむを得ず、アラビア式和風便所の洗礼を、私も受けてしまった。
この形の便器は、以前最初に1人でパリに行った時、
わけも分からず入ったカフェにあった物と同じ。
床に刳り貫かれた便器の真ん中に2個所楕円形の持ち上がりがある。
その少し後ろ側に丸く穴が空いていて、水がたまっている。
持ちあがった部分に足を乗せて、丸い穴めがけて用を足すしくみだ。
自分の足やズボンに粗相をしないように随分と気を使ったが、
何とか無事に用を足す事ができた。
日本のボットン便所よりも2まわりは小さい穴に命中させるのは難しいのではないかと思ったが、意外にも上手い具合に私の分身は穴の中に消えて行った。この穴の位置と大きさは長年の経験値で決められているのだろうか…
さすがに紙だけは使わずにいられなかったが、それでも大きな難関を突破して、
これでもう大抵の事はクリアできるだろうと、自信がついた。
それはそれは日常的な、些細な事1つクリアするだけで、
これ程までに自信がついてしまうのだから、
今、自分に自信を失いかけている若者達よ!旅に出て、用を足せ!!
と声を大にして言いたいと思ったが、こんな事で一喜一憂している単純馬鹿は、
はたして私だけなのだろうか…
いざ、メディナに繰り出す事にする。
モハメドがFezの街を眺められる、中庭風の公園に連れて行ってくれた。
壊れかけた古い木の扉をくぐり、秘密の通路を抜けると、
そこにその公園はひっそりと佇んでいた。真ん中のベンチに腰掛け、街を眺める。
Fezの街には、傾斜した土地に家々が密集し、
互いに支え合い、交錯しながら建っていて、ところどころの不規則な隙間に、
こんな見晴らしの良い公園が隠れている。
でもこの景色を見ていると、この空間が果たして偶然に出来上がった物なのか、
それとも計算されて造られたものなのか、判らなくなってくる。
偶然に出来上がった物だとすれば、
ここで生きる人々が生活の中で、自分達にとって心地良い空間を、
既存の物から創り出す術を見事に心得ているという事になるだろう。
Fezの街はつぎはぎだらけだ。
次から次へと古いものの上に重なり合い、交わり合いながら物が建てられている。
決して街は清潔とは言えないし、気を付けていないと泥濘に足を踏み入れたり、
ロバの糞を踏んづけてしまう。
道は入り組んでいて、夜は暗い。
でも、それでもそこには人々の生活がある。
彼らはこの街を美しいと思い、この街を愛している。
古い街で暮らすには、不便な事も多い。
これだけ情報が発達した社会の中で、それでもなお、彼等は変わらぬ生活を送る。
変わってきた部分も確かにあるのかもしれないが、街の風景は変わらない。
今目の前にある物の中から、幸せや快適さを創り出し、利用して暮らしている。
自然と共に。
それに逆らうことなく共存し、恩恵を授かり、
同化しながら何年も何百年も何千年も…そこに存在し続ける。
色々な風景を色々な国で眺めたが、
どう頑張っても、建築物は自然にはかなわないという事が見えてきた。
人間が自然の中でちっぽけな存在である様に、人間が造った建築物も、
自然の美しさの前にあってはどうにも太刀打ちできない陳腐なものだ。
著名な建築家達がこぞって、光や風、水や緑を己の作品のコンセプトとして、
もっともらしくうんちくを唱えて利用しているが、
彼等の造ったものが一瞬美しく見えるのも、
決して人間がかなう事のできない自然の偉大さの一部を拝借しているお陰であって、
建物そのものが発する美しさではないのではないかと疑問を感じた。
ただ、こうして何千年もの時を経て、変わらぬ姿で存在し続ける街を眺めると、
やはりそれは美しく、魅力的だ。
おそらく、自然と共に長い年月そこに存在し続ける間に、
いつしかその建物達は自然と混ざり合い、同化していってしまったのだろう。
夫婦が長年連れ添う間に、だんだんと顔が似てくるように、
建物が月日とともに自然の一部と化していて、
それでこの街がこのように美しい姿を
現在の私達に見せてくれているのではないかと…
赤ん坊の肌はきめ細かく、その目は汚れを知らず美しい。
成長していくと共に、善も悪も吸収し、いつしか少しずつくすんでゆく。
だけどその人の生き様によって、
年老いて刻まれた皺が美しくも見え、醜くもみえる。
たくさんの愛を受けた人の笑顔は、
まわりの人間を幸福にし、ぬくもりは癒しを与える。
建築も同じではないかと思った。
竣工して間もない建物が美しいのは当たり前。
赤ん坊と同じで、汚れを知らないから。
大切なのは、建物の生き様なのではないかと。
どんなに一生懸命考えあぐねた末の難産であっても、
愛されなければひとたまりもない。
粗末に扱われ、必要なくなれば壊してしまえと当たり前のように思われたら、
思春期の子供がぐれてしまうのと同じように、建物だってぐれちまう。
健康でいい子が生まれますようにと母が祈るように建築を生み、
いい子に育ちますようにと母が願うように
建築を扱ってやらなければいけないんじゃないかと。
今の日本の建築に、
建物が風化していくという事を前提とした上で構築されたものが、
果たしてどれだけあるのだろう。
そしてまた、日本で生活する人々の間に、
自分がそこに存在している空間の魅力を自分自身で模索し、引き出し、
発展させていこうと試みる人がどれほどいるのだろう。
そこで、私はこの旅に出る前の本来の目的、自分自身のもくろみを思い出していた。
建築の世界のほんの入口に足を踏み入れて間もない私のようなひよこが、
まず最初にぶち当たった壁は、自分の国が、
周囲の環境があまりにも低俗であるという現実だった。
街には、志が見られない。
一体何を目指し、何処に向かって歩いているのかがわからない街。
そんな街で暮らしている自分自身を、私は非常に可哀相に思う。
日本には、そして東京には適当な形容詞が見つからない。
海外に来て、いつも聞かれて困るのが、東京はどんなところ?
という質問に対する答えだ。
ヨーロッパ的でも、アメリカ的でもアジア的でもなく、ましてや日本的でもない。
何の特徴もないところが、東京の特徴のようになっている。
全てにおいて、目先の結果しか目算にいれず、手に届く未来の行く末しか案じない。今生き、存在している事を重んじることもなく、
遥かに先の展望を覗く試みも見られず、
政治家も物を造る業に携わる者も己の存命中の名声を得、
私欲を満たす事しか頭にない。
旅先で、自分の仕事に対して、少しだけそんな思いを巡らせてせてみた。
こっちに来て毎日8時間は寝ている。
目覚しなしで好きなだけ眠れるのは、本当に幸せ。
モハメドが朝食を部屋に運んでくれた。
チョコレートのパンとカフェオレのPetit Dejuner。
腹ごしらえをして、しばらく絵日記を描いていたが、
とうとう私もトイレに行きたくなった。
とってもとっても勇気がいったが、こればっかりはどうにも仕方のない事なので、
やむを得ず、アラビア式和風便所の洗礼を、私も受けてしまった。
この形の便器は、以前最初に1人でパリに行った時、
わけも分からず入ったカフェにあった物と同じ。
床に刳り貫かれた便器の真ん中に2個所楕円形の持ち上がりがある。
その少し後ろ側に丸く穴が空いていて、水がたまっている。
持ちあがった部分に足を乗せて、丸い穴めがけて用を足すしくみだ。
自分の足やズボンに粗相をしないように随分と気を使ったが、
何とか無事に用を足す事ができた。
日本のボットン便所よりも2まわりは小さい穴に命中させるのは難しいのではないかと思ったが、意外にも上手い具合に私の分身は穴の中に消えて行った。この穴の位置と大きさは長年の経験値で決められているのだろうか…
さすがに紙だけは使わずにいられなかったが、それでも大きな難関を突破して、
これでもう大抵の事はクリアできるだろうと、自信がついた。
それはそれは日常的な、些細な事1つクリアするだけで、
これ程までに自信がついてしまうのだから、
今、自分に自信を失いかけている若者達よ!旅に出て、用を足せ!!
と声を大にして言いたいと思ったが、こんな事で一喜一憂している単純馬鹿は、
はたして私だけなのだろうか…
いざ、メディナに繰り出す事にする。
モハメドがFezの街を眺められる、中庭風の公園に連れて行ってくれた。
壊れかけた古い木の扉をくぐり、秘密の通路を抜けると、
そこにその公園はひっそりと佇んでいた。真ん中のベンチに腰掛け、街を眺める。
Fezの街には、傾斜した土地に家々が密集し、
互いに支え合い、交錯しながら建っていて、ところどころの不規則な隙間に、
こんな見晴らしの良い公園が隠れている。
でもこの景色を見ていると、この空間が果たして偶然に出来上がった物なのか、
それとも計算されて造られたものなのか、判らなくなってくる。
偶然に出来上がった物だとすれば、
ここで生きる人々が生活の中で、自分達にとって心地良い空間を、
既存の物から創り出す術を見事に心得ているという事になるだろう。
Fezの街はつぎはぎだらけだ。
次から次へと古いものの上に重なり合い、交わり合いながら物が建てられている。
決して街は清潔とは言えないし、気を付けていないと泥濘に足を踏み入れたり、
ロバの糞を踏んづけてしまう。
道は入り組んでいて、夜は暗い。
でも、それでもそこには人々の生活がある。
彼らはこの街を美しいと思い、この街を愛している。
古い街で暮らすには、不便な事も多い。
これだけ情報が発達した社会の中で、それでもなお、彼等は変わらぬ生活を送る。
変わってきた部分も確かにあるのかもしれないが、街の風景は変わらない。
今目の前にある物の中から、幸せや快適さを創り出し、利用して暮らしている。
自然と共に。
それに逆らうことなく共存し、恩恵を授かり、
同化しながら何年も何百年も何千年も…そこに存在し続ける。
色々な風景を色々な国で眺めたが、
どう頑張っても、建築物は自然にはかなわないという事が見えてきた。
人間が自然の中でちっぽけな存在である様に、人間が造った建築物も、
自然の美しさの前にあってはどうにも太刀打ちできない陳腐なものだ。
著名な建築家達がこぞって、光や風、水や緑を己の作品のコンセプトとして、
もっともらしくうんちくを唱えて利用しているが、
彼等の造ったものが一瞬美しく見えるのも、
決して人間がかなう事のできない自然の偉大さの一部を拝借しているお陰であって、
建物そのものが発する美しさではないのではないかと疑問を感じた。
ただ、こうして何千年もの時を経て、変わらぬ姿で存在し続ける街を眺めると、
やはりそれは美しく、魅力的だ。
おそらく、自然と共に長い年月そこに存在し続ける間に、
いつしかその建物達は自然と混ざり合い、同化していってしまったのだろう。
夫婦が長年連れ添う間に、だんだんと顔が似てくるように、
建物が月日とともに自然の一部と化していて、
それでこの街がこのように美しい姿を
現在の私達に見せてくれているのではないかと…
赤ん坊の肌はきめ細かく、その目は汚れを知らず美しい。
成長していくと共に、善も悪も吸収し、いつしか少しずつくすんでゆく。
だけどその人の生き様によって、
年老いて刻まれた皺が美しくも見え、醜くもみえる。
たくさんの愛を受けた人の笑顔は、
まわりの人間を幸福にし、ぬくもりは癒しを与える。
建築も同じではないかと思った。
竣工して間もない建物が美しいのは当たり前。
赤ん坊と同じで、汚れを知らないから。
大切なのは、建物の生き様なのではないかと。
どんなに一生懸命考えあぐねた末の難産であっても、
愛されなければひとたまりもない。
粗末に扱われ、必要なくなれば壊してしまえと当たり前のように思われたら、
思春期の子供がぐれてしまうのと同じように、建物だってぐれちまう。
健康でいい子が生まれますようにと母が祈るように建築を生み、
いい子に育ちますようにと母が願うように
建築を扱ってやらなければいけないんじゃないかと。
今の日本の建築に、
建物が風化していくという事を前提とした上で構築されたものが、
果たしてどれだけあるのだろう。
そしてまた、日本で生活する人々の間に、
自分がそこに存在している空間の魅力を自分自身で模索し、引き出し、
発展させていこうと試みる人がどれほどいるのだろう。
そこで、私はこの旅に出る前の本来の目的、自分自身のもくろみを思い出していた。
建築の世界のほんの入口に足を踏み入れて間もない私のようなひよこが、
まず最初にぶち当たった壁は、自分の国が、
周囲の環境があまりにも低俗であるという現実だった。
街には、志が見られない。
一体何を目指し、何処に向かって歩いているのかがわからない街。
そんな街で暮らしている自分自身を、私は非常に可哀相に思う。
日本には、そして東京には適当な形容詞が見つからない。
海外に来て、いつも聞かれて困るのが、東京はどんなところ?
という質問に対する答えだ。
ヨーロッパ的でも、アメリカ的でもアジア的でもなく、ましてや日本的でもない。
何の特徴もないところが、東京の特徴のようになっている。
全てにおいて、目先の結果しか目算にいれず、手に届く未来の行く末しか案じない。今生き、存在している事を重んじることもなく、
遥かに先の展望を覗く試みも見られず、
政治家も物を造る業に携わる者も己の存命中の名声を得、
私欲を満たす事しか頭にない。
旅先で、自分の仕事に対して、少しだけそんな思いを巡らせてせてみた。
気がつくともう2:30になっていた。
お腹も減っていたので、ホテルの側でモロッコ風サンドイッチを買ってもらい、
モハメドと一緒に部屋で食べた。
窓の外を見やると、いつしか雨が降り出していた。
今日は1日この鉄格子の中かな… 小さな窓には鉄の錆付いた面格子がついている。
室内から外を見ると、なんとなく自分が籠の中の小鳥になったような気分になる。
シャバを夢見る囚人ともいえそうだけど。
お腹いっぱいになって、再びスケッチブックを広げて色付けを始めた。
私が夢中になって色塗りをしていると、
モハメドは時々部屋を覗いてカフェオレやミントティーを運んでくれた。
モロッコといえば、ミントティーが必ずといってよい程話題にのぼるが、
本当にこれは美味しい。
何故、こんなに熱い飲み物を彼等が硝子のグラスで飲むのかはよくわからないが、
グラスの縁と底を挟むように持って、
「こいつはベルベルウイスキーさ」などと冗談を言いながら、
ズーズーとミントティーをそこいら中で啜っている。
みんなは砂糖を山盛り入れて飲んでいるが、私はいつも砂糖ぬきでもらう。
甘いミントティーはミントガムと同じような味。
これもまた美味しいが、何杯ものむとさすがにクドく感じる。
砂糖ぬきだとすごくさっぱりしていて、何杯でもOKなのだ。
このカスカドホテルで働いているモハメドの友達アリも、
モハメドと一緒にちょくちょく私の部屋に遊びに来た。
彼の事をモハメドはお兄ちゃんの様にしたっている。
「僕らはモハメド・アリ ブラザースだ。モハメド・アリって人、知ってる?」
2人は私に冗談めかしてそう言っていた。
私1人を部屋に残して外に出る時は、必ずモハメドは私に鍵をかけさせる。
誰かが部屋を覗いて話し掛けてきても、やたらと話さない方がいいと注意してくれた。
「アリは本当にいい奴で、僕も信用しているから大丈夫だ。だけどそれ以外の連中にはわけのわからない奴もいる。だから僕とアリ以外には用心した方がいい。」
そう言って彼らは私が絵を描いている間、いたれりつくせり細やかに私の為に働いてくれた。
モロッコの男の子は、本当に女の子によくつくしてくれる。サービス精神旺盛だ。
モハメドと話しているうちに、彼に「サハラには行かないのか?」と聞かれた。
私の予定表には今のところサハラは入っていない。
この間のタクシーの運転手とオフィシャルガイドのラムラニさんにも
「サハラはいいところだ。是非行った方がいい」と言われていた。
だけどこれから先、マラケッシュ・エッサウィラ・サフィ…という予定を組んでいた私としては、今回の旅でサハラを見る事はできないだろうと諦めていた。
旅立つ前は私の中で大西洋岸の白い壁、青い窓枠を持つ家々が立ち並ぶ、
数多くの芸術家達が愛して止まなかった美しい街並みとサハラの雄大な自然とが
天秤にかけられて、前者の方がはるかに優勢だったのだ。
モハメドに私の予定表を見せて説明した。
「マラケッシュまでの飛行機もとっちゃってるし、
サハラに行く時間はないみたいだよ。」
私の説明を聞いて彼は言った。
「君はマラケッシュまで飛行機で行くのかい?
全く、貧乏なのに何でそんなもったいない事するんだ。
僕らは旅をする時、たいていバスを使うんだ。夜行バスに乗れば安いし、
次の日には目的地まで着いているし、とても便利なんだよ。
それに、マラケッシュに行きたいって君は言うけど、
1人であの街に行くのはとっても危険だよ。
メディナだって何だって全て観光化されていて、
それでいてヘビみたいな奴等が観光客というとまとわりついてくる。
女の子1人で行くのは勧められないよ。
エッサウィラはたしかに、すごーく美しい街だ。僕もあそこは大好きさ。
だけどあの街のベストシーズンは夏だよ。
夏なら、街もきらきらと輝いていて、美しい海で泳げて最高だよ。
でも今は真冬だ。とーっても寒い。
今行っても人は少ないし、とても寂しいと思うよ。
その点、サハラは暖かい。あそこには本当のモロッコの姿が在る。美しい風景も。
だからきっといい絵がたくさん描けると思うよ。
僕は君に本当のモロッコの姿を、本当のモロッコの良さを教えてあげたい。
そして君が日本に帰った時、君の家族や友人に、
君が見たモロッコの本当の姿を伝えてほしいんだ。君の絵や文章で。
それが僕の望みなんだ。」
そして彼は続けた。
「もしも君が望むなら、僕がサハラを案内してあげるよ。
僕は子供の頃、あそこで暮らしていたし、何度も旅をしているから良く知っている。
もちろん君は友達だから、ガイド料なんて必要ないよ。
友達として、僕は君を案内したいんだ。
それに僕が一緒なら、君に悪いガイド達を寄せ付けないし、
何よりもモロキャンプライスでチープな旅ができる。
君はモロッコの中での妥当な値段を知らない。
だからどこへ行っても観光客だといっては高いお金を要求されるだろう。
だけど僕はモロッコ人だから全て要領はわきまえている。
彼らも僕にはそんな要求はしない。
…無理にとはいわないけど、もしも君がそうしたいと思うなら、
僕が一緒にいってあげるよ。」
私はしばらく考えていた。
“本当のモロッコの姿。本当のモロッコの良さ… かぁ”
私は何の為にこんなに遠くまでやって来たの?
何を見に来たの? 何をしに…?
街の肌を優しく撫でるだけなら、誰にでもできる。
通り過ぎ、見た気になって写真をパチパチ撮っていながら、
帰ってから自分が何処で何を見たのか思い出せないような観光客である事を
望んで来たわけじゃあないはずだ。
そして決めた。
サハラに行こう!!
本物が見られるなら、飛行機のキャンセル料なんて惜しくない。
私はモハメドに言った。
「一緒に行こう! サハラ!!」
普通に考えると、私の行動はやや(いや、かなり?)軽率に見られるかも知れない。
出会ってたった2日目の青年に、自分の旅の予定を全て委ねてしまうのだから。
しかも出会ったばかりの若い青年と、一緒に旅にでようっていうんだから…
それでも何故か、私はすっかりモハメドを信頼してしまっていた。
私もだてに28年も生きてやしない。
日本人だろうがモロッコ人だろうが良い人と悪い人の区別くらいはつく。
それに彼は、昨日私が渡したガイド料の50DHを大切に、
財布の隅によけてとっておいてくれていた。
「僕は、このお金は使えないんだ。友達である君が、僕にくれたものだから…」
空っぽの財布の隅に折りたたんである50DHを見せながら、彼は私にそう言った。
“そんな事で、出会って間もない人間を信用しちゃうの?!”
っていう人もいるかもしれない。
でも、疑りだせばきりがない。
全てを恐れていたら、何も見れない、前にも進めない。
“決断は、思い切り良く、潔く!!”が私の信条。
何かあったらそんときゃそんときだ!
だけど私には何故か確信があった。
自分の幸運(強運)と、人を見抜く目に。
日本にだって外国にだって良い人も悪い人もいる。
私は決して彼の事を疑った事はなかったが、
たとえ、仮に、多少彼に利用された部分があったとしても、
それもまた一興だと思っている。
どの道たいした金額は持ち合わせていないし、それに何より、
お金には代えられないものを彼が私に与えてくれたから。
楽しい時間… それは何物にも代えられない。
日が暮れて、さっきまで降っていた雨も止み、
またモハメドが屋根に登ろうと私を誘った。
部屋のあまった毛布を抱えて階段を登る。
眼下に広がる夜のFezの街。
遠くにライトアップされた建物もみえる。
昼間とはまた違った、幻想的な風景と相変わらず賑やかに行き過ぎる人々の声。
ここは、異国。そして私は、エトランジエ。
アリにお願いして、赤ワインを1本手に入れた。
毛布に包まり、夜の星空の下、モハメドと2人でカンパーイ。
仕事が終わってから、アリがオムレツを作ってくれて、屋上まで運んでくれた。
3人で仲良くオムレツをつつき、グラスを酌み交わす。
アリはワインを飲んで家に帰るとママに怒られて大変な事になるからと、
1人ミントティーで私達3人の兄弟杯に参加した。
お腹も減っていたので、ホテルの側でモロッコ風サンドイッチを買ってもらい、
モハメドと一緒に部屋で食べた。
窓の外を見やると、いつしか雨が降り出していた。
今日は1日この鉄格子の中かな… 小さな窓には鉄の錆付いた面格子がついている。
室内から外を見ると、なんとなく自分が籠の中の小鳥になったような気分になる。
シャバを夢見る囚人ともいえそうだけど。
お腹いっぱいになって、再びスケッチブックを広げて色付けを始めた。
私が夢中になって色塗りをしていると、
モハメドは時々部屋を覗いてカフェオレやミントティーを運んでくれた。
モロッコといえば、ミントティーが必ずといってよい程話題にのぼるが、
本当にこれは美味しい。
何故、こんなに熱い飲み物を彼等が硝子のグラスで飲むのかはよくわからないが、
グラスの縁と底を挟むように持って、
「こいつはベルベルウイスキーさ」などと冗談を言いながら、
ズーズーとミントティーをそこいら中で啜っている。
みんなは砂糖を山盛り入れて飲んでいるが、私はいつも砂糖ぬきでもらう。
甘いミントティーはミントガムと同じような味。
これもまた美味しいが、何杯ものむとさすがにクドく感じる。
砂糖ぬきだとすごくさっぱりしていて、何杯でもOKなのだ。
このカスカドホテルで働いているモハメドの友達アリも、
モハメドと一緒にちょくちょく私の部屋に遊びに来た。
彼の事をモハメドはお兄ちゃんの様にしたっている。
「僕らはモハメド・アリ ブラザースだ。モハメド・アリって人、知ってる?」
2人は私に冗談めかしてそう言っていた。
私1人を部屋に残して外に出る時は、必ずモハメドは私に鍵をかけさせる。
誰かが部屋を覗いて話し掛けてきても、やたらと話さない方がいいと注意してくれた。
「アリは本当にいい奴で、僕も信用しているから大丈夫だ。だけどそれ以外の連中にはわけのわからない奴もいる。だから僕とアリ以外には用心した方がいい。」
そう言って彼らは私が絵を描いている間、いたれりつくせり細やかに私の為に働いてくれた。
モロッコの男の子は、本当に女の子によくつくしてくれる。サービス精神旺盛だ。
モハメドと話しているうちに、彼に「サハラには行かないのか?」と聞かれた。
私の予定表には今のところサハラは入っていない。
この間のタクシーの運転手とオフィシャルガイドのラムラニさんにも
「サハラはいいところだ。是非行った方がいい」と言われていた。
だけどこれから先、マラケッシュ・エッサウィラ・サフィ…という予定を組んでいた私としては、今回の旅でサハラを見る事はできないだろうと諦めていた。
旅立つ前は私の中で大西洋岸の白い壁、青い窓枠を持つ家々が立ち並ぶ、
数多くの芸術家達が愛して止まなかった美しい街並みとサハラの雄大な自然とが
天秤にかけられて、前者の方がはるかに優勢だったのだ。
モハメドに私の予定表を見せて説明した。
「マラケッシュまでの飛行機もとっちゃってるし、
サハラに行く時間はないみたいだよ。」
私の説明を聞いて彼は言った。
「君はマラケッシュまで飛行機で行くのかい?
全く、貧乏なのに何でそんなもったいない事するんだ。
僕らは旅をする時、たいていバスを使うんだ。夜行バスに乗れば安いし、
次の日には目的地まで着いているし、とても便利なんだよ。
それに、マラケッシュに行きたいって君は言うけど、
1人であの街に行くのはとっても危険だよ。
メディナだって何だって全て観光化されていて、
それでいてヘビみたいな奴等が観光客というとまとわりついてくる。
女の子1人で行くのは勧められないよ。
エッサウィラはたしかに、すごーく美しい街だ。僕もあそこは大好きさ。
だけどあの街のベストシーズンは夏だよ。
夏なら、街もきらきらと輝いていて、美しい海で泳げて最高だよ。
でも今は真冬だ。とーっても寒い。
今行っても人は少ないし、とても寂しいと思うよ。
その点、サハラは暖かい。あそこには本当のモロッコの姿が在る。美しい風景も。
だからきっといい絵がたくさん描けると思うよ。
僕は君に本当のモロッコの姿を、本当のモロッコの良さを教えてあげたい。
そして君が日本に帰った時、君の家族や友人に、
君が見たモロッコの本当の姿を伝えてほしいんだ。君の絵や文章で。
それが僕の望みなんだ。」
そして彼は続けた。
「もしも君が望むなら、僕がサハラを案内してあげるよ。
僕は子供の頃、あそこで暮らしていたし、何度も旅をしているから良く知っている。
もちろん君は友達だから、ガイド料なんて必要ないよ。
友達として、僕は君を案内したいんだ。
それに僕が一緒なら、君に悪いガイド達を寄せ付けないし、
何よりもモロキャンプライスでチープな旅ができる。
君はモロッコの中での妥当な値段を知らない。
だからどこへ行っても観光客だといっては高いお金を要求されるだろう。
だけど僕はモロッコ人だから全て要領はわきまえている。
彼らも僕にはそんな要求はしない。
…無理にとはいわないけど、もしも君がそうしたいと思うなら、
僕が一緒にいってあげるよ。」
私はしばらく考えていた。
“本当のモロッコの姿。本当のモロッコの良さ… かぁ”
私は何の為にこんなに遠くまでやって来たの?
何を見に来たの? 何をしに…?
街の肌を優しく撫でるだけなら、誰にでもできる。
通り過ぎ、見た気になって写真をパチパチ撮っていながら、
帰ってから自分が何処で何を見たのか思い出せないような観光客である事を
望んで来たわけじゃあないはずだ。
そして決めた。
サハラに行こう!!
本物が見られるなら、飛行機のキャンセル料なんて惜しくない。
私はモハメドに言った。
「一緒に行こう! サハラ!!」
普通に考えると、私の行動はやや(いや、かなり?)軽率に見られるかも知れない。
出会ってたった2日目の青年に、自分の旅の予定を全て委ねてしまうのだから。
しかも出会ったばかりの若い青年と、一緒に旅にでようっていうんだから…
それでも何故か、私はすっかりモハメドを信頼してしまっていた。
私もだてに28年も生きてやしない。
日本人だろうがモロッコ人だろうが良い人と悪い人の区別くらいはつく。
それに彼は、昨日私が渡したガイド料の50DHを大切に、
財布の隅によけてとっておいてくれていた。
「僕は、このお金は使えないんだ。友達である君が、僕にくれたものだから…」
空っぽの財布の隅に折りたたんである50DHを見せながら、彼は私にそう言った。
“そんな事で、出会って間もない人間を信用しちゃうの?!”
っていう人もいるかもしれない。
でも、疑りだせばきりがない。
全てを恐れていたら、何も見れない、前にも進めない。
“決断は、思い切り良く、潔く!!”が私の信条。
何かあったらそんときゃそんときだ!
だけど私には何故か確信があった。
自分の幸運(強運)と、人を見抜く目に。
日本にだって外国にだって良い人も悪い人もいる。
私は決して彼の事を疑った事はなかったが、
たとえ、仮に、多少彼に利用された部分があったとしても、
それもまた一興だと思っている。
どの道たいした金額は持ち合わせていないし、それに何より、
お金には代えられないものを彼が私に与えてくれたから。
楽しい時間… それは何物にも代えられない。
日が暮れて、さっきまで降っていた雨も止み、
またモハメドが屋根に登ろうと私を誘った。
部屋のあまった毛布を抱えて階段を登る。
眼下に広がる夜のFezの街。
遠くにライトアップされた建物もみえる。
昼間とはまた違った、幻想的な風景と相変わらず賑やかに行き過ぎる人々の声。
ここは、異国。そして私は、エトランジエ。
アリにお願いして、赤ワインを1本手に入れた。
毛布に包まり、夜の星空の下、モハメドと2人でカンパーイ。
仕事が終わってから、アリがオムレツを作ってくれて、屋上まで運んでくれた。
3人で仲良くオムレツをつつき、グラスを酌み交わす。
アリはワインを飲んで家に帰るとママに怒られて大変な事になるからと、
1人ミントティーで私達3人の兄弟杯に参加した。
朝えらい早くに目が覚めた。
まだ外は暗い。
時計を見ると朝6:00前だった。
夕べホテルに戻ってからバーに行って軽く飲み、
部屋に戻ったらあっという間に眠ってしまった。
シャワーを浴びようと思ったが、またまた蛇口からはお湯がでてこない。
多分朝早すぎて今はお湯が出ないのだろうと諦め、
今度はコーヒーが飲みたくなってルームサービスにコールした。
ホテルの案内には朝6:00から頼めるとかいてあったのに、
返事はまだ朝早すぎるので7:00まで待てとのことだった。
仕方なく時間が過ぎるのを待ちながら、また絵日記を綴る。
トントンとドアをノックする音が聞こえ、
扉を開けるとコーヒーをトレイにのせてボーイさんが立っていた。
まだ7:00前だけど、私の我侭をきいて運んできてくれたらしい。
起き抜けの頭と身体にコーヒーがしみわたる。
はぁ、シアワセ…
日が登り、そろそろお湯も出る頃だろうかと、 試しに再びシャワーの蛇口をひねる。
…でたでた、お湯が。
この旅で最後のバリにたどり着くまで、もうしばらくバスタブには浸かれないだろう。
なみなみにお湯をはり、身体を伸ばしてゆったりとバスタイムを満喫する。
さあ、このホテルを出たら、本格的に貧乏モード。
たった1日2日で旅の予算の1/3以上も散財してしまったアホな私。
でもこれで心置きなく貧乏をエンジョイできるだろう。
何もなければないなりの生活を送ればいい。
あったらあるだけ使えばいい。
その時その時臨機応変に自分の身体を順応させればすむことだ。
昨日モハメドに出会った事が私に勇気を与えてくれた。
よし。覚悟はできた。
すっきりさっぱり日常を洗い流し、荷物をまとめ、
私はモロッコに持ち込んだ日本の生活を後にした。
Hotel de la PAIX での支払いは占めて600DH。
自分で自分の無鉄砲さに、思わずニンマリしてしまった。
Petit TAXIをつかまえて、荷物をルーフにのせ、ブージュールド門へと向かう。
昨日、屋根に登ったカスカドホテルでモハメドが待っていた。
早速部屋に案内してもらう。
ブージュールド門を横目に、メディナの喧騒を覗ける09号室が私のねぐらになった。
60DHで、ホットシャワー・トイレは共同。
でも同じ60DHとはいえ、1日目のホテルよりずーっと私は気に入った。
窓の外では賑やかに人々が行き来し、その向こうにミナレットも見える。
どこの街でも、私は通りに面した、外の喧騒を感じられる部屋が好きだ。
どこにも出かけずに、
1日中ホテルの部屋の窓から道ゆく人々を眺めているのも結構楽しい。
チェックインを済ませ、メディナの中を観る前に、ちょろっと王宮を覗いた。
王宮といっても一般には開放されていないので、
庶民はその黄金の豪華な門構えを眺めるだけ。
1.2枚写真を撮って、すぐに王宮を後にした。
メディナに入り、ブー・イナニヤ・メデルサとその後ろに垣間見えるミナレットを
スケッチし始めた。
ここは、モクスとしても使われているらしい。
中庭の真ん中の水盤で祈りの前に身体を清めている人達もいた。
床は白い大理石で、腰壁部分はゼッリージュと呼ばれる色とりどりのモザイクタイル、
その上部は色褪せたプラスターに一面に装飾が施されている。
屋根には緑色の施釉瓦がのっている。
かなり風化しているとはいえ、その装飾の緻密さと美しさには目を見張るものがある。
私は冷たい大理石の床に腰掛け、スケッチを始めた。
モハメドは、また私の邪魔にならない様、そっと表に出ていった。
どこからともなく小猫がやってきた。
私のまわりに擦り寄ってきて離れない。
最初は様子を窺うように用心深くまとわりついていたが、
そのうちちゃっかり私の膝の上によじ登り、
そのまま居心地よさそうに目を瞑ったたまま動かなくなった。
私は左手で小猫の首を撫でながら、右手で鉛筆を走らせた。
おとなしくてかわいいミシミシは、
冷たい石の上でずっとスケッチしていた私の湯たんぽになった。
モハメドが戻ってきて、その光景をみると、彼はおやおやという顔をして笑った。
「こいつは君の事が、すっかり気に入ったみたいだね。」
私は言った。
「あったかくって、丁度いいよ!」
まだ外は暗い。
時計を見ると朝6:00前だった。
夕べホテルに戻ってからバーに行って軽く飲み、
部屋に戻ったらあっという間に眠ってしまった。
シャワーを浴びようと思ったが、またまた蛇口からはお湯がでてこない。
多分朝早すぎて今はお湯が出ないのだろうと諦め、
今度はコーヒーが飲みたくなってルームサービスにコールした。
ホテルの案内には朝6:00から頼めるとかいてあったのに、
返事はまだ朝早すぎるので7:00まで待てとのことだった。
仕方なく時間が過ぎるのを待ちながら、また絵日記を綴る。
トントンとドアをノックする音が聞こえ、
扉を開けるとコーヒーをトレイにのせてボーイさんが立っていた。
まだ7:00前だけど、私の我侭をきいて運んできてくれたらしい。
起き抜けの頭と身体にコーヒーがしみわたる。
はぁ、シアワセ…
日が登り、そろそろお湯も出る頃だろうかと、 試しに再びシャワーの蛇口をひねる。
…でたでた、お湯が。
この旅で最後のバリにたどり着くまで、もうしばらくバスタブには浸かれないだろう。
なみなみにお湯をはり、身体を伸ばしてゆったりとバスタイムを満喫する。
さあ、このホテルを出たら、本格的に貧乏モード。
たった1日2日で旅の予算の1/3以上も散財してしまったアホな私。
でもこれで心置きなく貧乏をエンジョイできるだろう。
何もなければないなりの生活を送ればいい。
あったらあるだけ使えばいい。
その時その時臨機応変に自分の身体を順応させればすむことだ。
昨日モハメドに出会った事が私に勇気を与えてくれた。
よし。覚悟はできた。
すっきりさっぱり日常を洗い流し、荷物をまとめ、
私はモロッコに持ち込んだ日本の生活を後にした。
Hotel de la PAIX での支払いは占めて600DH。
自分で自分の無鉄砲さに、思わずニンマリしてしまった。
Petit TAXIをつかまえて、荷物をルーフにのせ、ブージュールド門へと向かう。
昨日、屋根に登ったカスカドホテルでモハメドが待っていた。
早速部屋に案内してもらう。
ブージュールド門を横目に、メディナの喧騒を覗ける09号室が私のねぐらになった。
60DHで、ホットシャワー・トイレは共同。
でも同じ60DHとはいえ、1日目のホテルよりずーっと私は気に入った。
窓の外では賑やかに人々が行き来し、その向こうにミナレットも見える。
どこの街でも、私は通りに面した、外の喧騒を感じられる部屋が好きだ。
どこにも出かけずに、
1日中ホテルの部屋の窓から道ゆく人々を眺めているのも結構楽しい。
チェックインを済ませ、メディナの中を観る前に、ちょろっと王宮を覗いた。
王宮といっても一般には開放されていないので、
庶民はその黄金の豪華な門構えを眺めるだけ。
1.2枚写真を撮って、すぐに王宮を後にした。
メディナに入り、ブー・イナニヤ・メデルサとその後ろに垣間見えるミナレットを
スケッチし始めた。
ここは、モクスとしても使われているらしい。
中庭の真ん中の水盤で祈りの前に身体を清めている人達もいた。
床は白い大理石で、腰壁部分はゼッリージュと呼ばれる色とりどりのモザイクタイル、
その上部は色褪せたプラスターに一面に装飾が施されている。
屋根には緑色の施釉瓦がのっている。
かなり風化しているとはいえ、その装飾の緻密さと美しさには目を見張るものがある。
私は冷たい大理石の床に腰掛け、スケッチを始めた。
モハメドは、また私の邪魔にならない様、そっと表に出ていった。
どこからともなく小猫がやってきた。
私のまわりに擦り寄ってきて離れない。
最初は様子を窺うように用心深くまとわりついていたが、
そのうちちゃっかり私の膝の上によじ登り、
そのまま居心地よさそうに目を瞑ったたまま動かなくなった。
私は左手で小猫の首を撫でながら、右手で鉛筆を走らせた。
おとなしくてかわいいミシミシは、
冷たい石の上でずっとスケッチしていた私の湯たんぽになった。
モハメドが戻ってきて、その光景をみると、彼はおやおやという顔をして笑った。
「こいつは君の事が、すっかり気に入ったみたいだね。」
私は言った。
「あったかくって、丁度いいよ!」
お見舞いメッセージくださった方々、ありがとうございました。
おかげさまで無事に手術を終え、退院致しました。
昨日午前中に病院に入り、点滴をうたれながら爆睡。
点滴をかえに来た看護士さんに、
「この点滴にはもう麻酔が入っているんですか?」
なんてすっとこどっこいな質問をしたところ、
「いいえ、入っていませんよ」と一蹴され。
手術前からとにかく看護士さんが呆れる程寝まくっていました。
手術も麻酔が入ってすぐに眠っている間に終わり、術後も麻酔から順調に目覚め。
流石に久々の尿の管で身動きできない状況と、
腹の底にず〜んと感じる鈍痛は堪えましたが、
それもただただひたすら眠る・・・
という特技?のお陰で時間と共にしんどさも薄れ、
今朝早くからは歩き回れるようになりました。
食事も完食。
出血も特になし。
本当に軽〜い感じに終わった入院・手術でございました。
心配してくださった方々、スミマセン! 余計な心配かけちゃって!
本人とっても元気でぴんぴんしてます。
そんなワケで、今年早々にやっつける事を片付けてまいりました。
また健康に気をつけながら、もりもり働いていきたいと思います。
そうそう、ママのいない一夜を過ごしたアレン氏。
全然泣く事もなく、
しれ〜っとパパと二人でピザなんぞ食べて楽しく過ごしていたようです。
あああっ!さびしいわっ!
おかげさまで無事に手術を終え、退院致しました。
昨日午前中に病院に入り、点滴をうたれながら爆睡。
点滴をかえに来た看護士さんに、
「この点滴にはもう麻酔が入っているんですか?」
なんてすっとこどっこいな質問をしたところ、
「いいえ、入っていませんよ」と一蹴され。
手術前からとにかく看護士さんが呆れる程寝まくっていました。
手術も麻酔が入ってすぐに眠っている間に終わり、術後も麻酔から順調に目覚め。
流石に久々の尿の管で身動きできない状況と、
腹の底にず〜んと感じる鈍痛は堪えましたが、
それもただただひたすら眠る・・・
という特技?のお陰で時間と共にしんどさも薄れ、
今朝早くからは歩き回れるようになりました。
食事も完食。
出血も特になし。
本当に軽〜い感じに終わった入院・手術でございました。
心配してくださった方々、スミマセン! 余計な心配かけちゃって!
本人とっても元気でぴんぴんしてます。
そんなワケで、今年早々にやっつける事を片付けてまいりました。
また健康に気をつけながら、もりもり働いていきたいと思います。
そうそう、ママのいない一夜を過ごしたアレン氏。
全然泣く事もなく、
しれ〜っとパパと二人でピザなんぞ食べて楽しく過ごしていたようです。
あああっ!さびしいわっ!
気が付くと、2時近くになっていた。
モハメドが、今度は一緒に昼食を作ろうと言いだした。
「クッキング?ここで?」
「そうさ。旅の間、ずーっとレストランの食事じゃ胃がもたれるし、何より高くつくよ。
だから食事は自分で作る方がいいのさ。
大丈夫。このホテルには僕の友達がいるし、みんな親切な人達だから、
僕らがここで料理をしていたって何も言われやしないんだよ。」
彼は私の懐具合を随分とよく把握してくれている様だ。
どこから持ってきたのか、トマトやスパイスが混じった挽肉、
ビニール袋に入れられたオリーブオイルや紙に包まれたスパイス達が、
次から次へと屋上に運ばれてきた。
ガスボンベや鍋までが登場して、
“Let’s 青空クッキング!!”
屋根の上で、Fezの街を眺めながら、自分達の食事を作るなんて…
おもしろ過ぎる!!!
「さあ Travaiyer!!」
モハメドが鍋の中でオリーブオイルと一緒にグツグツ煮えているトマトの上に、
挽肉をくるくると器用に団子にしてほうり込む。
私も見様見真似で一緒になって団子を作ったが、
何故かどれもお世辞にも品が良いとは言えないくらいにでっかくなってしまい、
2人でケラケラ笑いながら、次々と鍋にミートボールをほうり込んだ。
日本には“働かざる者食うべからず”という諺がある。だから…
「Travaiyer pour manger(食べる為に働け)!!」
私がおどけてそう言うと、モハメドは笑っていた。
トマトとミートボールの煮込み、パン、そして万国共通のCOCAが2人の昼食。
煮込みはとっても美味しくて、
しかもすごーくお腹が減っていたので物も言わずにモリモリ食べてしまった。
私にはスプーンを貸してくれたけれど、
モハメドは右手とパンを上手に使って器用にこぼさず食べていた。
食事も済んで、後片付けをして。
食後の運動がてらもうひとまわりメディナの中を歩くことにした。
話で聞いていた、パンの焼き屋さんを覗いた。
各家庭でパンの生地をつくり、ここに来て、おじさんにでっかい釜で焼いてもらう。
うすっぺらい長方形の鉄板の上に直径30cmくらいの丸いパンがたくさん焼けていた。
それから、フンドゥークの中へ入る。
ここはその昔美しい宿屋として使われていたらしい。
私が入ったフンドゥークは、今はバブーシュの工房になっていた。
ここでも大人達から子供達までが、せっせと働いていた。
子供達は学校にも行かずに、小さな頃から大人に混じって働きだし、
Fezの伝統工芸の技術を身につけていくという。
中庭を囲み、小さな部屋に仕切られた工房で、朝から晩まで働いている。
いくらメディナの中に潜む中庭が砂漠の中のオアシスのような空間であっても、
そこは決して恵まれた環境とは言えない。
それでも人々は少しでも楽しく、快適に働こうと、
薄暗い工房でモロッコ音楽を響き渡らせ、リズムに乗りながら各々の仕事をしていた。
その後、太鼓や木彫りの置物をおいてある店やベルベル絨毯屋さん、
スパイスや香水を売っている店などを覗いたが、
もう何も買うまいと思っていたのでミントティーだけご馳走になり、
モハメドとそれぞれの店の店員さんとの世間話を聞いただけで、
シーズンオフの店の売上には協力しなかった。
夜になり、かなり歩き疲れたので、
モハメドに今日はそろそろホテルに戻って休むと告げた。
そして、もしもよかったら明日もまた街を案内してほしいと頼んだ。
2日歩いてみて、
この街を1人で歩く事がどれ程エネルギーを必要とするかが少し把握できた。
それに彼とこのままもう会えなくなってしまうのが寂しかった。
せっかく出会えたのに、たった1日一緒に過ごしただけで、
これからもう永遠に逢えないかもしれないと思うと残念でならなかった。
彼は私が絵を描いたり文章を書いたりしている間、
私の邪魔にならない様、とても気を使ってくれていた。
私に、好きなところで好きなだけ立ち止まらせてくれた。
時として頼もしいガイドであり、必要なときにその存在感を表に出し、
そうでないときは空気のようにその存在感を消してくれた。
モハメドは喜んで私の申し出を受け入れてくれた。
そして明日から、さっき昼食を摂ったカスカドホテルに泊まるよう、
手配してくれると言った。
私は明日から再び、60DHの安宿生活者となる事にした。
明日の朝10時にカスカドホテルで待ち合わせをして、
タクシー乗り場まで送ってもらった。
別れ際、約束の50DHを彼に渡そうとしたら、思いがけない返事が返ってきた。
「君はもう僕の友達だからガイド料はもらえないよ。」
「だって、これは約束だもの。あなたには今日とても親切にしてもらったし、
私の気持ちだから…」
私には、他に彼に対する感謝の表し方が思い付かなかった。
そして50DH札を彼のシャツのポケットに押し込み、
タクシーに乗ってホテルに戻った。
モハメドが、今度は一緒に昼食を作ろうと言いだした。
「クッキング?ここで?」
「そうさ。旅の間、ずーっとレストランの食事じゃ胃がもたれるし、何より高くつくよ。
だから食事は自分で作る方がいいのさ。
大丈夫。このホテルには僕の友達がいるし、みんな親切な人達だから、
僕らがここで料理をしていたって何も言われやしないんだよ。」
彼は私の懐具合を随分とよく把握してくれている様だ。
どこから持ってきたのか、トマトやスパイスが混じった挽肉、
ビニール袋に入れられたオリーブオイルや紙に包まれたスパイス達が、
次から次へと屋上に運ばれてきた。
ガスボンベや鍋までが登場して、
“Let’s 青空クッキング!!”
屋根の上で、Fezの街を眺めながら、自分達の食事を作るなんて…
おもしろ過ぎる!!!
「さあ Travaiyer!!」
モハメドが鍋の中でオリーブオイルと一緒にグツグツ煮えているトマトの上に、
挽肉をくるくると器用に団子にしてほうり込む。
私も見様見真似で一緒になって団子を作ったが、
何故かどれもお世辞にも品が良いとは言えないくらいにでっかくなってしまい、
2人でケラケラ笑いながら、次々と鍋にミートボールをほうり込んだ。
日本には“働かざる者食うべからず”という諺がある。だから…
「Travaiyer pour manger(食べる為に働け)!!」
私がおどけてそう言うと、モハメドは笑っていた。
トマトとミートボールの煮込み、パン、そして万国共通のCOCAが2人の昼食。
煮込みはとっても美味しくて、
しかもすごーくお腹が減っていたので物も言わずにモリモリ食べてしまった。
私にはスプーンを貸してくれたけれど、
モハメドは右手とパンを上手に使って器用にこぼさず食べていた。
食事も済んで、後片付けをして。
食後の運動がてらもうひとまわりメディナの中を歩くことにした。
話で聞いていた、パンの焼き屋さんを覗いた。
各家庭でパンの生地をつくり、ここに来て、おじさんにでっかい釜で焼いてもらう。
うすっぺらい長方形の鉄板の上に直径30cmくらいの丸いパンがたくさん焼けていた。
それから、フンドゥークの中へ入る。
ここはその昔美しい宿屋として使われていたらしい。
私が入ったフンドゥークは、今はバブーシュの工房になっていた。
ここでも大人達から子供達までが、せっせと働いていた。
子供達は学校にも行かずに、小さな頃から大人に混じって働きだし、
Fezの伝統工芸の技術を身につけていくという。
中庭を囲み、小さな部屋に仕切られた工房で、朝から晩まで働いている。
いくらメディナの中に潜む中庭が砂漠の中のオアシスのような空間であっても、
そこは決して恵まれた環境とは言えない。
それでも人々は少しでも楽しく、快適に働こうと、
薄暗い工房でモロッコ音楽を響き渡らせ、リズムに乗りながら各々の仕事をしていた。
その後、太鼓や木彫りの置物をおいてある店やベルベル絨毯屋さん、
スパイスや香水を売っている店などを覗いたが、
もう何も買うまいと思っていたのでミントティーだけご馳走になり、
モハメドとそれぞれの店の店員さんとの世間話を聞いただけで、
シーズンオフの店の売上には協力しなかった。
夜になり、かなり歩き疲れたので、
モハメドに今日はそろそろホテルに戻って休むと告げた。
そして、もしもよかったら明日もまた街を案内してほしいと頼んだ。
2日歩いてみて、
この街を1人で歩く事がどれ程エネルギーを必要とするかが少し把握できた。
それに彼とこのままもう会えなくなってしまうのが寂しかった。
せっかく出会えたのに、たった1日一緒に過ごしただけで、
これからもう永遠に逢えないかもしれないと思うと残念でならなかった。
彼は私が絵を描いたり文章を書いたりしている間、
私の邪魔にならない様、とても気を使ってくれていた。
私に、好きなところで好きなだけ立ち止まらせてくれた。
時として頼もしいガイドであり、必要なときにその存在感を表に出し、
そうでないときは空気のようにその存在感を消してくれた。
モハメドは喜んで私の申し出を受け入れてくれた。
そして明日から、さっき昼食を摂ったカスカドホテルに泊まるよう、
手配してくれると言った。
私は明日から再び、60DHの安宿生活者となる事にした。
明日の朝10時にカスカドホテルで待ち合わせをして、
タクシー乗り場まで送ってもらった。
別れ際、約束の50DHを彼に渡そうとしたら、思いがけない返事が返ってきた。
「君はもう僕の友達だからガイド料はもらえないよ。」
「だって、これは約束だもの。あなたには今日とても親切にしてもらったし、
私の気持ちだから…」
私には、他に彼に対する感謝の表し方が思い付かなかった。
そして50DH札を彼のシャツのポケットに押し込み、
タクシーに乗ってホテルに戻った。
たった一晩で、安宿に根をあげて逃げ出した軟弱モノのワタクシ。
でも、この3日目からがらり!と展開が変わって、
いよいよディープなモロッコの世界へと足を踏み入れて行きます。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +
8時起床。約11時間も眠ってしまった。
今日はいよいよFezの街を1人で歩く。
果たしてガイド攻撃やボったくり達に太刀打ちできるだろうか?
例の如く、まぁ何とかなるかなぁ〜と呑気な面持ちで部屋を出る。
ホテルの外に出てみると、
ここはParisなんかと違ってカフェはあんまりこの時間では開いていない。
夕べはフランスパンを少しかじっただけでお腹が減っていたので、
ホテルの地下にあるレストランへ行き、31DHもする朝食を摂る事にした。
Petit TAXIに乗ってメディナに向かう。
メディナの正面玄関、ブージュールド門まで約10DHで到着。
一歩門の中に足を踏み入れると…
“あぁーこれが本格的ガイド攻撃かぁ?!”
まだ小学生や中学生くらいの子供から大人まで、
牛にまとわりつく蝿のようにたかってきて離れない。
最初に声をかけてきた少年は、私が昨日すでにガイドと一緒にメディナの中を歩いたので今日は1人でこの迷宮を制覇してみたいのだと説明すると、すぐに“OK!Good Luck!!”と言ってくれたのに、その他の悪ガキガイド達は、外国人から教わった汚い言葉を吐きながら、しつこくまとわりついてくる。
いい加減こっちも頭にきて、
“Everybody Go Away!!”と怒鳴っても全く聞きゃあしない。
仕方なく、最初に声をかけてきた一番聞き分けの良い親切そうな少年に
夕方5時まで50DHでガイドを頼む事にした。
全く本当にここは1人にしてはもらえない土地だ。
全く予想していなくはなかったものの、想像以上に他人の時間や空間にズカズカと割り込んで来るこの土地の人々に、少々腹立たしさや苛立ちをも感じ始めていた。
「私はそんなにたくさんお金を持っていない。土産物にも興味はない。買い物もしない。
ただ、好きなときに立ち止まって考え事をしたり、物を書いたりしたいだけなの!」
ガイドを申し出た少年に半分八つ当たり気味に強い口調で言いたい事をまくしたてると、
それでも彼はにっこりと笑って肯き、私の言葉に理解を示してくれた。
少年の名前はモハメド。
将来は先生か医者になりたいという大学生。
もうすぐ20歳になるらしいが、この国の人にしてはもっとずっと若く見える。
うっすらと口髭を生やしてはいるが、
最初私は中学生か高校生くらいかと思ってしまった。
私も例にもれず随分年若く見られたが、
こっちはそれをいいことについつい3つも年をさばよんでしまった。
こんな遠くに来てまで見栄はることもないのに…
モハメドはまず、今は音楽学校になっている古い建物の中庭へと私を案内してくれた。
石の壁で囲まれた細い路地にある、古い木の扉の奥に一歩足を踏み入れると…
そこにはモザイクタイルに囲まれた、美しいパティオが隠れていた。
あぁ、これが私がず—っと覗いてみたかった、隠れたパティオだ!!
庭の真ん中には水盤が置かれ、青々とした樹が庭に彩りと安らぎを添える。
馬蹄型アーチの奥に半屋外の廊下がぐるりと四方を囲み、その奥に室内がおくゆかしく顔を覗かせていた。なんて気持ちがよくて、清々しい中庭なんだろう!!
ざっと7、8m四方程の中庭は全体的に日当たりが良いとはいえないが、
白い壁や青、黄、緑の爽やかな色合いのモザイクタイルの計らいで随分明るく、
そしてとても暖かく感じられた。
いつまでも、其処にたたずんでいたくなるような、本当に素敵な中庭だった。
白いベンチが置かれていたので2人で其処に腰掛け、私は早速スケッチブックを広げた。
モハメドは時々ちらちらとそれを覗き込み、「いいね!」と誉めてくれた。
しばらくして私が、絵を描いている間はそこら辺を歩き回って自由にしていていいよと言うと、彼は10分くらいで戻るからと告げてから、表に出ていった。
私がざっとスケッチを終える頃、モハメドが戻ってきた。
「この庭が気に入った?」と聞かれ、私は大きく肯いた。
「うん。とっても!!」
音楽学校を後にして、私達は一度メディナの外に出た。
今度はきれいな公園を見せてくれると言うので城壁沿いに少し歩くと、
ブージュールド公園の入口があった。
公園の奥の方に、緑と色とりどりのモザイクタイルに囲まれたカフェがある。
「コーヒー飲みたい?」と聞かれ、私はyesと答えた。
歩こうといいつつ、結局は立ち止まってばかりいる。
でも、こんなゆったりとした時間を過ごせる事が、とても嬉しかった。
時計の存在を忘れてしまうような、そんな時間の使い方があってもいい。
何をするでもなく、ただ、そこに存在しているだけ。
何もしていないのではなく、ただ“そこに居る”という行為を行っている。
異国の地で。
コーヒーとミントティーが運ばれてきた。
さっき公園に入る前にモハメドが声をかけていた少年が顔を覗かせた。
彼はミシミシという愛称で呼ばれている、8歳か9歳くらいの男の子。
ミシミシとはアラビア語で猫っていう意味らしい。
モハメドは彼を弟の様に可愛がっている。
一緒にテーブルについて、ミントティーを半分ずつにして飲んでいた。
彼ら2人をモデルに似顔絵を描くと、それを覗き込んでは2人でケラケラと笑っていた。
私は人間を描くのが下手なんだと言うと、
「そんな事ない。いい絵だよ!」と慰めてくれた。
3人で笑いながらそんな事を話していると、
カフェのオーナーまでもが私の下手くそな絵を覗き込んできた。
上手い上手いと持ち上げられ、後で僕の顔も書いてくれと言われて困ってしまった。
それからオーナーはミシミシの頭をくしゃくしゃと撫でながら、
「この子はとってもおとなしくて、賢いいい子なんだよ」と私に言った。
楽しいコーヒータイムを過ごし、私達は再び歩き出した。
公園の外に出たところでミシミシとは別れた。
ブージユールド門を潜り、メディナの中に入る。
メディナの絵が描きたいのなら屋根の上に登るといい、とモハメドに連れられて、
門のすぐ側にあるカスカドホテルの屋根に登った。
そこから眺めたFezのメディナの眺め…
山々の裾野に広がる日干し煉瓦の家々、ところどころに聳えるミナレット。
屋上に干された色とりどりの洗濯物。
そして何故か目に付くパラボラアンテナ達。
太陽の下で、何千年も前から変わらぬ姿でそこにたたずむ街に抱かれながら、
スケッチブックを広げ、私は無心になっていた。
カリコリと下手な絵を楽しんで描いていると、突然耳にヘッドホンを当てられた。
モハメドがお気に入りのモロッコ音楽のテープをウォークマンで聴かせてくれた。
「いい音楽を聴いて、いい絵が描けるよ!」
彼は笑って言った。
あーーー!!! 何て、何てHappyな気分。
これは絵でも言葉でも、何にも表現し尽くす事のできない至福の悦び。
音楽にのって、私の眼前の風景は神と化し、私を包み込んでいた。
土色の街並み。
その上にはサーカスのテントのロープがぴんと張り詰めたような、
緊張感みなぎる青い空が私達を見下ろしている。
この街の空は、東京のそれとは尽くかけ離れていた。
ぼんやりとして覇気のない、
やる気があるのかないのか解らないような東京の空とは大違いだ。
大地と空とが、互いに引張力で均衡を保っているように感じられた。
そこから生じる無数の見えないエネルギーが、
この街で暮らす人々に活力を与えているようだった。
私も、この大地と空から溢れ出るエネルギーの恩恵を幾らか授かったのだろうか。
気分が揚々と高まっていくのを感じていた。
たった1人でこんなに遠くまで来てしまったけど、
でも、たった1人でここまで来て、本当に良かった。
またこんな、めくるめくような時を過ごしてしまった。
だから 旅は やめられない!!
でも、この3日目からがらり!と展開が変わって、
いよいよディープなモロッコの世界へと足を踏み入れて行きます。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +
8時起床。約11時間も眠ってしまった。
今日はいよいよFezの街を1人で歩く。
果たしてガイド攻撃やボったくり達に太刀打ちできるだろうか?
例の如く、まぁ何とかなるかなぁ〜と呑気な面持ちで部屋を出る。
ホテルの外に出てみると、
ここはParisなんかと違ってカフェはあんまりこの時間では開いていない。
夕べはフランスパンを少しかじっただけでお腹が減っていたので、
ホテルの地下にあるレストランへ行き、31DHもする朝食を摂る事にした。
Petit TAXIに乗ってメディナに向かう。
メディナの正面玄関、ブージュールド門まで約10DHで到着。
一歩門の中に足を踏み入れると…
“あぁーこれが本格的ガイド攻撃かぁ?!”
まだ小学生や中学生くらいの子供から大人まで、
牛にまとわりつく蝿のようにたかってきて離れない。
最初に声をかけてきた少年は、私が昨日すでにガイドと一緒にメディナの中を歩いたので今日は1人でこの迷宮を制覇してみたいのだと説明すると、すぐに“OK!Good Luck!!”と言ってくれたのに、その他の悪ガキガイド達は、外国人から教わった汚い言葉を吐きながら、しつこくまとわりついてくる。
いい加減こっちも頭にきて、
“Everybody Go Away!!”と怒鳴っても全く聞きゃあしない。
仕方なく、最初に声をかけてきた一番聞き分けの良い親切そうな少年に
夕方5時まで50DHでガイドを頼む事にした。
全く本当にここは1人にしてはもらえない土地だ。
全く予想していなくはなかったものの、想像以上に他人の時間や空間にズカズカと割り込んで来るこの土地の人々に、少々腹立たしさや苛立ちをも感じ始めていた。
「私はそんなにたくさんお金を持っていない。土産物にも興味はない。買い物もしない。
ただ、好きなときに立ち止まって考え事をしたり、物を書いたりしたいだけなの!」
ガイドを申し出た少年に半分八つ当たり気味に強い口調で言いたい事をまくしたてると、
それでも彼はにっこりと笑って肯き、私の言葉に理解を示してくれた。
少年の名前はモハメド。
将来は先生か医者になりたいという大学生。
もうすぐ20歳になるらしいが、この国の人にしてはもっとずっと若く見える。
うっすらと口髭を生やしてはいるが、
最初私は中学生か高校生くらいかと思ってしまった。
私も例にもれず随分年若く見られたが、
こっちはそれをいいことについつい3つも年をさばよんでしまった。
こんな遠くに来てまで見栄はることもないのに…
モハメドはまず、今は音楽学校になっている古い建物の中庭へと私を案内してくれた。
石の壁で囲まれた細い路地にある、古い木の扉の奥に一歩足を踏み入れると…
そこにはモザイクタイルに囲まれた、美しいパティオが隠れていた。
あぁ、これが私がず—っと覗いてみたかった、隠れたパティオだ!!
庭の真ん中には水盤が置かれ、青々とした樹が庭に彩りと安らぎを添える。
馬蹄型アーチの奥に半屋外の廊下がぐるりと四方を囲み、その奥に室内がおくゆかしく顔を覗かせていた。なんて気持ちがよくて、清々しい中庭なんだろう!!
ざっと7、8m四方程の中庭は全体的に日当たりが良いとはいえないが、
白い壁や青、黄、緑の爽やかな色合いのモザイクタイルの計らいで随分明るく、
そしてとても暖かく感じられた。
いつまでも、其処にたたずんでいたくなるような、本当に素敵な中庭だった。
白いベンチが置かれていたので2人で其処に腰掛け、私は早速スケッチブックを広げた。
モハメドは時々ちらちらとそれを覗き込み、「いいね!」と誉めてくれた。
しばらくして私が、絵を描いている間はそこら辺を歩き回って自由にしていていいよと言うと、彼は10分くらいで戻るからと告げてから、表に出ていった。
私がざっとスケッチを終える頃、モハメドが戻ってきた。
「この庭が気に入った?」と聞かれ、私は大きく肯いた。
「うん。とっても!!」
音楽学校を後にして、私達は一度メディナの外に出た。
今度はきれいな公園を見せてくれると言うので城壁沿いに少し歩くと、
ブージュールド公園の入口があった。
公園の奥の方に、緑と色とりどりのモザイクタイルに囲まれたカフェがある。
「コーヒー飲みたい?」と聞かれ、私はyesと答えた。
歩こうといいつつ、結局は立ち止まってばかりいる。
でも、こんなゆったりとした時間を過ごせる事が、とても嬉しかった。
時計の存在を忘れてしまうような、そんな時間の使い方があってもいい。
何をするでもなく、ただ、そこに存在しているだけ。
何もしていないのではなく、ただ“そこに居る”という行為を行っている。
異国の地で。
コーヒーとミントティーが運ばれてきた。
さっき公園に入る前にモハメドが声をかけていた少年が顔を覗かせた。
彼はミシミシという愛称で呼ばれている、8歳か9歳くらいの男の子。
ミシミシとはアラビア語で猫っていう意味らしい。
モハメドは彼を弟の様に可愛がっている。
一緒にテーブルについて、ミントティーを半分ずつにして飲んでいた。
彼ら2人をモデルに似顔絵を描くと、それを覗き込んでは2人でケラケラと笑っていた。
私は人間を描くのが下手なんだと言うと、
「そんな事ない。いい絵だよ!」と慰めてくれた。
3人で笑いながらそんな事を話していると、
カフェのオーナーまでもが私の下手くそな絵を覗き込んできた。
上手い上手いと持ち上げられ、後で僕の顔も書いてくれと言われて困ってしまった。
それからオーナーはミシミシの頭をくしゃくしゃと撫でながら、
「この子はとってもおとなしくて、賢いいい子なんだよ」と私に言った。
楽しいコーヒータイムを過ごし、私達は再び歩き出した。
公園の外に出たところでミシミシとは別れた。
ブージユールド門を潜り、メディナの中に入る。
メディナの絵が描きたいのなら屋根の上に登るといい、とモハメドに連れられて、
門のすぐ側にあるカスカドホテルの屋根に登った。
そこから眺めたFezのメディナの眺め…
山々の裾野に広がる日干し煉瓦の家々、ところどころに聳えるミナレット。
屋上に干された色とりどりの洗濯物。
そして何故か目に付くパラボラアンテナ達。
太陽の下で、何千年も前から変わらぬ姿でそこにたたずむ街に抱かれながら、
スケッチブックを広げ、私は無心になっていた。
カリコリと下手な絵を楽しんで描いていると、突然耳にヘッドホンを当てられた。
モハメドがお気に入りのモロッコ音楽のテープをウォークマンで聴かせてくれた。
「いい音楽を聴いて、いい絵が描けるよ!」
彼は笑って言った。
あーーー!!! 何て、何てHappyな気分。
これは絵でも言葉でも、何にも表現し尽くす事のできない至福の悦び。
音楽にのって、私の眼前の風景は神と化し、私を包み込んでいた。
土色の街並み。
その上にはサーカスのテントのロープがぴんと張り詰めたような、
緊張感みなぎる青い空が私達を見下ろしている。
この街の空は、東京のそれとは尽くかけ離れていた。
ぼんやりとして覇気のない、
やる気があるのかないのか解らないような東京の空とは大違いだ。
大地と空とが、互いに引張力で均衡を保っているように感じられた。
そこから生じる無数の見えないエネルギーが、
この街で暮らす人々に活力を与えているようだった。
私も、この大地と空から溢れ出るエネルギーの恩恵を幾らか授かったのだろうか。
気分が揚々と高まっていくのを感じていた。
たった1人でこんなに遠くまで来てしまったけど、
でも、たった1人でここまで来て、本当に良かった。
またこんな、めくるめくような時を過ごしてしまった。
だから 旅は やめられない!!
ラムラニさんが乗ってきた小っちゃいフィアットに乗り込み、旧市街の方へ向かう。
隣車線を同じような赤いフィアットがたくさん追い越していく。
ルーフに黄色いPetit TAXIと書かれた看板をくっつけて。
まずは高台からFezの街を見下ろそうと、私達の乗った車は丘を登って行った。
丘の上から見下ろすFezの街並。
あちこちにミナレット(尖塔)が見える。
その周りにひしめく日干し煉瓦の家々。
メディナには道が見えない。
丘なりに広げられた絨毯の柄の様に、家々が不思議な模様を描いていた。
そこからまず、陶工区に向かった。
モザイクタイルの工房に入ると、そこでは5,6歳の子供も大人に混じって働いていた。
見事な手捌きでタイルにモザイクの柄を下書きして、それを別の子供が器用に削っていく。
ここではこんなに小さな子供も、1つの立派な戦力として使われている。
子供とはいえ、彼等が自分の仕事に対してとても誇りをもっているということが、
側で見ているだけで伝わって来る。
納得がいかない線を引けば、自分が肯ける線を引くまでやり直し、
リズムに乗って手を動かしながら、その動きに酔いしれているようでもあった。
私が感心しながら見ていると、彼らはちょっと緊張しながらも、
得意気に自分達の技を披露してくれた。
この小さな手から、
あの素晴らしいモザイクタイルの1片1片が作られているのかと驚かされた。
陶工区を出て、車でエルルシフ広場まで行く。
いよいよメディナの中へ入るのだ。世界一の迷路の中へ。
まずは一番奥にある皮なめし職人区に足を踏み入れる。
独特の匂いが鼻を突く。
道は狭く入り組み、気をつけて歩かないとロバの糞を踏んづけるハメになる。
しばらくは、下水の匂いとロバの糞の匂い、皮の匂いとが入り交じって、
また少しブルーな気分に入ってしまった。
モロッコは決して美しいところではない。
写真やガイドブックで紹介されている、楽園の様な迷宮が待っているわけではない。
もっともっと、ずーっと泥臭く、生臭いところだ。
物乞いも沢山いるし、汚れた水で身体を洗う人もいる。
着ている物も粗末だし、
今まで見てきたヨーロッパの古い街の路地などとは随分とかけ離れている。
本で紹介されているような、星がいくつも並んだホテルなど、
ここで暮らす人々は多分一生かかっても泊まる事はできないだろう。
そんな彼等から、日本人も含めて、外国の観光客が金持ちに見られ、
いくらか儲けてやろうと思われても、仕方のない事なのかもしれない。
革製品の土産物屋のルーフから皮職人が皮をなめし、
色をつけているところを眺めた。
いくつも並んだ水槽の中に、長年入れ替える事なく付け足しを重ねた、
うなぎ屋の秘伝のタレみたいな色をした液が入っている。
よく見るとその水槽の内側にもタイルが貼られていた。
数人の男達が、太陽の下で話しをしながらその液につかり、仕事をしていた。
私はラムラニさんにお願いして少し時間をもらい、
サラサラと数分間、そこで鉛筆を走らせた。
革製品のメディナを出てから、
銀細工のメディナ、真鍮のメディナ、絨毯のメディナ… と次々に案内された。
ぐるぐると訳も分からず歩き回り土産物屋の商魂逞しさに圧倒され、
とうとう私も小さなベルベル模様のラグを買わされてしまった。
60DHのホテルを目安にしていた私がなんと1800DHもするラグを買ってしまうなんて…
(もちろん支払いはカードだ)
どう考えてもこれはボったくられたとしか言いようがない。
だけど、「2階の商談室へどうぞ…」なんて少し目つきがおかしいアラブ人に導かれ、
薄暗い四方を絨毯に囲まれた部屋の中で
「これはいい買い物ですよ、お客さん。ふぉっふぉっふぉっ…」
と不気味ににんまりされたら、誰しもびびって多少財布に損害があろうとも
早くここから脱出せねばと思うに違いない。
痛い出費ではあったものの、肝心のラグはなかなか気に入ったデザインだったことだし、
まあこれも一つの授業料さと諦めた。
歩き疲れて時計を見ると、もう2時近かった。
ラムラニさんにお腹が減ったから昼食を摂りたいとお願いしたら、
メディナの中の豪華なレストランに案内された。
天井が高く、モザイクタイルで飾られた壁や高価そうな絨毯のひかれた室内は、
まるで宮殿のようだった。
店の名前を聞かなかったのでよくは解らないが、
多分ガイドブックに紹介されるような、高級レストランなのだろう。
私1人店の中に通されて、
ラムラニさんは私の食事が済むまで外で友人と話しをしながら待っていた。
私としてはそこら辺で売っているサンドイッチでもかぶりつければいいやと思っていたのだが、連れてこられた以上注文しないわけにはいかないように思えて、モロッコ風サラダとクスクスを注文した。
モロッコ風サラダには生野菜が何種類か山盛りに盛られていた。
お腹が弱い私は、生野菜を食べる事に不安を感じ
(なのに何故この時サラダなんかを注文してしまったのかよくわからない)
結局茹でてあるジャガイモだけ食べた。
クスクスには、私の嫌いなニンジンとオリーブの実が、これまた山盛りになっていて、
これも奥の方に埋もれていたお肉だけ食べて残してしまった。
ほんとうにもったいないオバケが出てきそうで申し訳なかった。
お店のお兄さん、そして貧しい人達、ごめんなさい。
喉か渇いていたのでレモネードを飲み、
絵日記を綴ってしばらくそのレストランでねばっていた。
勘定書が仰々しく銀の盆に乗せられてきて目を通すと、びっくり仰天。
130DHもの昼食なんて私には身分不相応。
日本でだって、
ずっとランチは買い置きのカップラーメンが続いていたっていうのに…
それでももう、今日は出費の日と諦めて、流れに身を任せる事にした。
ひととおりメディナの中をぐるりと歩きまわり、3:00頃車でホテルに戻った。
ラムラニさんは、少し休んでから夜どこか案内しようかといってくれたが、
まだまだ旅は始まったばかりだし、
仕事と長いフライトの疲れも残っていたので今日はもう休みますと伝え、お別れをいった。
私にはこの後まだ執筆活動も残っている。
どうしても人と一緒に歩いていると、
なかなか思うように立ち止まったり書いたりができない。
そんな状況にも、少し疲れていたのかもしれない。
別れ際、ラムラニさんは自分の名刺を差し出して私に言った。
「Fezにいる間に何かトラブルが起きたり、困ったことがあったら、
ここに書いてある携帯NO.にコールすれば飛んでくるよ。
君はもう僕の友人だからね。」
ありがとう ラムラニさん!!!
昼間あんなに豪勢な食事を摂ってしまったので、
夜は質素にフランスパンを一口二口かじる。
夕方少しホテルの周りをふらついて、フランスパン半分と、COCAを買っていた。
部屋でぼそぼそとそれらを口にしながらカリコリと今日の出来事を綴る。
それにしてもこの国ではアルコールがなかなか手に入らないのが辛い。
飛行機から持ってきた赤ワインもすでに空っぽになってしまっていた。
何気なくパラパラとホテルの案内に目を通していると、
なんとこのホテルにはバーがあると書かれていた。
なんだ。こんな近くに、アルコールがあるではないか!
早速スケッチブックとルームキー、小銭入れを持って部屋を出た。
フロントにバーが開いているか聞くと、「もちろん!どうぞ!」と2階に通された。
7.8人座れる小さなカウンターと、その後ろに2テーブルくらいが並んだ、
こじんまりしたバーだった。
お客は私1人。
バーテンダーにジントニックを注文した。
お金がないない言いながら、
こんなところでちゃっかり一杯やってる私は一体何を考えているのやら…
自分で自分に呆れたが、
追いつめられるまで私には計画性や経済観念というものが生まれない。
とりあえず旅は始まったばっかりで、財布にはまだ何枚かお札が入っている。
先のことは後で考えればいいや…
と昨日のホテル代の半分くらいの高価なジントニックをちびりちびりと飲み干した。
バーを出て、部屋に戻ってバスタブにお湯を張る。
ここにいる数日間は、とりあえずバスタブのある生活だ。
昨日の冷たいシャワーとは違って、ここはバンバンお湯がでる。温かいお湯が。
ゆっくりとお湯に浸かって疲れを癒す。
軟弱者で贅沢者。
もう一人の私が私自身を非難する。
私は、軟弱者。
私は贅沢者。
それでも、いろいろとカルチャーショックを受けながら、
自分なりにこの目の前の現実を受け止めながら、
そしていろんな事に感謝しながら、
昨日とは打って変わってぬくぬくと暖房のきいたへやで、
フカフカの毛布に包まって、眠りに就いた。
隣車線を同じような赤いフィアットがたくさん追い越していく。
ルーフに黄色いPetit TAXIと書かれた看板をくっつけて。
まずは高台からFezの街を見下ろそうと、私達の乗った車は丘を登って行った。
丘の上から見下ろすFezの街並。
あちこちにミナレット(尖塔)が見える。
その周りにひしめく日干し煉瓦の家々。
メディナには道が見えない。
丘なりに広げられた絨毯の柄の様に、家々が不思議な模様を描いていた。
そこからまず、陶工区に向かった。
モザイクタイルの工房に入ると、そこでは5,6歳の子供も大人に混じって働いていた。
見事な手捌きでタイルにモザイクの柄を下書きして、それを別の子供が器用に削っていく。
ここではこんなに小さな子供も、1つの立派な戦力として使われている。
子供とはいえ、彼等が自分の仕事に対してとても誇りをもっているということが、
側で見ているだけで伝わって来る。
納得がいかない線を引けば、自分が肯ける線を引くまでやり直し、
リズムに乗って手を動かしながら、その動きに酔いしれているようでもあった。
私が感心しながら見ていると、彼らはちょっと緊張しながらも、
得意気に自分達の技を披露してくれた。
この小さな手から、
あの素晴らしいモザイクタイルの1片1片が作られているのかと驚かされた。
陶工区を出て、車でエルルシフ広場まで行く。
いよいよメディナの中へ入るのだ。世界一の迷路の中へ。
まずは一番奥にある皮なめし職人区に足を踏み入れる。
独特の匂いが鼻を突く。
道は狭く入り組み、気をつけて歩かないとロバの糞を踏んづけるハメになる。
しばらくは、下水の匂いとロバの糞の匂い、皮の匂いとが入り交じって、
また少しブルーな気分に入ってしまった。
モロッコは決して美しいところではない。
写真やガイドブックで紹介されている、楽園の様な迷宮が待っているわけではない。
もっともっと、ずーっと泥臭く、生臭いところだ。
物乞いも沢山いるし、汚れた水で身体を洗う人もいる。
着ている物も粗末だし、
今まで見てきたヨーロッパの古い街の路地などとは随分とかけ離れている。
本で紹介されているような、星がいくつも並んだホテルなど、
ここで暮らす人々は多分一生かかっても泊まる事はできないだろう。
そんな彼等から、日本人も含めて、外国の観光客が金持ちに見られ、
いくらか儲けてやろうと思われても、仕方のない事なのかもしれない。
革製品の土産物屋のルーフから皮職人が皮をなめし、
色をつけているところを眺めた。
いくつも並んだ水槽の中に、長年入れ替える事なく付け足しを重ねた、
うなぎ屋の秘伝のタレみたいな色をした液が入っている。
よく見るとその水槽の内側にもタイルが貼られていた。
数人の男達が、太陽の下で話しをしながらその液につかり、仕事をしていた。
私はラムラニさんにお願いして少し時間をもらい、
サラサラと数分間、そこで鉛筆を走らせた。
革製品のメディナを出てから、
銀細工のメディナ、真鍮のメディナ、絨毯のメディナ… と次々に案内された。
ぐるぐると訳も分からず歩き回り土産物屋の商魂逞しさに圧倒され、
とうとう私も小さなベルベル模様のラグを買わされてしまった。
60DHのホテルを目安にしていた私がなんと1800DHもするラグを買ってしまうなんて…
(もちろん支払いはカードだ)
どう考えてもこれはボったくられたとしか言いようがない。
だけど、「2階の商談室へどうぞ…」なんて少し目つきがおかしいアラブ人に導かれ、
薄暗い四方を絨毯に囲まれた部屋の中で
「これはいい買い物ですよ、お客さん。ふぉっふぉっふぉっ…」
と不気味ににんまりされたら、誰しもびびって多少財布に損害があろうとも
早くここから脱出せねばと思うに違いない。
痛い出費ではあったものの、肝心のラグはなかなか気に入ったデザインだったことだし、
まあこれも一つの授業料さと諦めた。
歩き疲れて時計を見ると、もう2時近かった。
ラムラニさんにお腹が減ったから昼食を摂りたいとお願いしたら、
メディナの中の豪華なレストランに案内された。
天井が高く、モザイクタイルで飾られた壁や高価そうな絨毯のひかれた室内は、
まるで宮殿のようだった。
店の名前を聞かなかったのでよくは解らないが、
多分ガイドブックに紹介されるような、高級レストランなのだろう。
私1人店の中に通されて、
ラムラニさんは私の食事が済むまで外で友人と話しをしながら待っていた。
私としてはそこら辺で売っているサンドイッチでもかぶりつければいいやと思っていたのだが、連れてこられた以上注文しないわけにはいかないように思えて、モロッコ風サラダとクスクスを注文した。
モロッコ風サラダには生野菜が何種類か山盛りに盛られていた。
お腹が弱い私は、生野菜を食べる事に不安を感じ
(なのに何故この時サラダなんかを注文してしまったのかよくわからない)
結局茹でてあるジャガイモだけ食べた。
クスクスには、私の嫌いなニンジンとオリーブの実が、これまた山盛りになっていて、
これも奥の方に埋もれていたお肉だけ食べて残してしまった。
ほんとうにもったいないオバケが出てきそうで申し訳なかった。
お店のお兄さん、そして貧しい人達、ごめんなさい。
喉か渇いていたのでレモネードを飲み、
絵日記を綴ってしばらくそのレストランでねばっていた。
勘定書が仰々しく銀の盆に乗せられてきて目を通すと、びっくり仰天。
130DHもの昼食なんて私には身分不相応。
日本でだって、
ずっとランチは買い置きのカップラーメンが続いていたっていうのに…
それでももう、今日は出費の日と諦めて、流れに身を任せる事にした。
ひととおりメディナの中をぐるりと歩きまわり、3:00頃車でホテルに戻った。
ラムラニさんは、少し休んでから夜どこか案内しようかといってくれたが、
まだまだ旅は始まったばかりだし、
仕事と長いフライトの疲れも残っていたので今日はもう休みますと伝え、お別れをいった。
私にはこの後まだ執筆活動も残っている。
どうしても人と一緒に歩いていると、
なかなか思うように立ち止まったり書いたりができない。
そんな状況にも、少し疲れていたのかもしれない。
別れ際、ラムラニさんは自分の名刺を差し出して私に言った。
「Fezにいる間に何かトラブルが起きたり、困ったことがあったら、
ここに書いてある携帯NO.にコールすれば飛んでくるよ。
君はもう僕の友人だからね。」
ありがとう ラムラニさん!!!
昼間あんなに豪勢な食事を摂ってしまったので、
夜は質素にフランスパンを一口二口かじる。
夕方少しホテルの周りをふらついて、フランスパン半分と、COCAを買っていた。
部屋でぼそぼそとそれらを口にしながらカリコリと今日の出来事を綴る。
それにしてもこの国ではアルコールがなかなか手に入らないのが辛い。
飛行機から持ってきた赤ワインもすでに空っぽになってしまっていた。
何気なくパラパラとホテルの案内に目を通していると、
なんとこのホテルにはバーがあると書かれていた。
なんだ。こんな近くに、アルコールがあるではないか!
早速スケッチブックとルームキー、小銭入れを持って部屋を出た。
フロントにバーが開いているか聞くと、「もちろん!どうぞ!」と2階に通された。
7.8人座れる小さなカウンターと、その後ろに2テーブルくらいが並んだ、
こじんまりしたバーだった。
お客は私1人。
バーテンダーにジントニックを注文した。
お金がないない言いながら、
こんなところでちゃっかり一杯やってる私は一体何を考えているのやら…
自分で自分に呆れたが、
追いつめられるまで私には計画性や経済観念というものが生まれない。
とりあえず旅は始まったばっかりで、財布にはまだ何枚かお札が入っている。
先のことは後で考えればいいや…
と昨日のホテル代の半分くらいの高価なジントニックをちびりちびりと飲み干した。
バーを出て、部屋に戻ってバスタブにお湯を張る。
ここにいる数日間は、とりあえずバスタブのある生活だ。
昨日の冷たいシャワーとは違って、ここはバンバンお湯がでる。温かいお湯が。
ゆっくりとお湯に浸かって疲れを癒す。
軟弱者で贅沢者。
もう一人の私が私自身を非難する。
私は、軟弱者。
私は贅沢者。
それでも、いろいろとカルチャーショックを受けながら、
自分なりにこの目の前の現実を受け止めながら、
そしていろんな事に感謝しながら、
昨日とは打って変わってぬくぬくと暖房のきいたへやで、
フカフカの毛布に包まって、眠りに就いた。
何故、今なのか?
この旅日記は、旅から戻ってすぐに集中して一週間くらいで書き上げた原稿が、
元になっています。
以前から友人達には少しずつ公表していたりしましたが、10年以上の月日を経て、
今回思い切ってこちらのブログでアップすることにしました。
最近の本当に深刻な不況のお陰で、
仕事の流れのスピードが少々ゆったりしてきたこともあり、
しばらくは物件写真の掲載などもまだできなそうだったことも一つありますが、
こういう時期だからこそ、あのときのあの旅で感じた思いなどを、
もう一度じっくりと思い出してみたいなと感じたりもしました。
ワタシの中での原点とも言えるべきあのモロッコでの数日間を再びなぞることで、
今に活かせるいろんなヒントがあるかもしれないと思った次第です。
時々ブレイクを入れますが、1日分ずつゆっくりアップしてゆきますので、
一緒に旅に出かけた気持ちになって、お楽しみいただけたらと思います。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +
明け方、5:30頃 あまりにも寒くて目が覚めた。
昨日この部屋に入ったのが夕方5時頃で、そのまますぐに眠ってしまったから、
約12時間は眠れた。
寒さで縮こまっていたので、相変わらず身体を大の字にはできなかったけれど、
それでも横になって眠ったので少し元気が戻った。
窓際の脚の長さが違うガタガタ机に向かって絵日記を広げた。
机の上には、昨日飛行機からせしめてきた赤ワインが2本並んでいる。
結局最初の意気込みとは裏腹に飛行機から着服できたワインはこの2本だけだった。
喉が渇いていたので、明け方にも関わらずボトルの蓋をあけ、
赤ワインをラッパ飲みした。そしてカリコリと昨日の出来事を綴った。
朝8:30頃、1晩分の支払いを済ませ、荷物を持ってホテルを出た。
やはり私には、60DHの安ホテルは辛抱しきれなかったのだ。
とりあえず何か腹に収めようとホテルの側のカフェに腰掛ける。
朝食を頼み、しばしボーッと朝の街を眺める。
カフェには、本で見ていたとおり男の姿しか見えない。
今は東京でも少なくなった靴磨きの少年やおじさんが、
私に靴を磨かないかと言って寄ってきた。
首を横に振って断ると、彼等はとなりの席の男性に、
また断られてそのまたとなりの男性に、と声をかけて歩いていた。
なにか空しい光景だった。
陽光が舞い踊るイスラムの朝の中に、一条の影が落ちていた。
持てる者と持たざる者。
貧乏旅行には慣れていると思ったけれど、
仕事で何週間も事務所に泊まり込んで、惨めな生活送っているって思ったけれど、
それでもやっぱり私は、
豊かな国で豊かな時代に育った子供なんだなぁとしみじみ思った。
夕べの寝床は寒かった。
一応シャワーが付いていた部屋だったけど、お湯が出なくて泣きたくなった。
共同トイレは汚くて、恐くて、結局1度も行かずに我慢してしまった。
日本という国で生まれ、育った事が、
果たして私にとって本当に幸せな事なのかは判らない。
でも確かに、恵まれた環境にいるんだって事が少し理解できたような気がする。
あんなに日本で不況、不況って騒いでいても、
あれだけの生活水準を保っているのだから別にいいじゃないか…と思ってしまった。
今の自分の生活がとても有難く感じられた。
朝食を摂り、昨日お願いしていたガイドのラムラニさんと会った。
彼はジュラバを着て現れたので、最初誰だか分らなかった。
このジュラバは公認ガイドのユニフォームみたいな物らしい。
後から出会ったたくさんの彼の友達も、同じような色違いのジュラバを着て観光客と思しき人々と歩いていた。
早速私はラムラニさんに
「申し訳ないけどホテルを移りたい」と話し、
夕べのうちにガイドブックで目をつけていた新市街のホテルに車で連れていってもらった。
“Hotel de la Paix”
244DHでバス、トイレ付きのハッサン2世通りに面した部屋。
ちょっと(いや、かなり)高いが、どうしてもトイレだけは得体の知れないところだと、
恐くて便秘になりそうだったのでこの部屋に滞在することに決めた。
ここはツインルームになっていた。
きれいにベットメークされたベットが2台。
ゆったりとした距離を保って置かれている。
床はテラコッタ風のタイル貼りでベットの脇にカーペットがさり気なく敷かれている。
壁と天井は白い漆喰塗り。
天井が高く、もともと1人には広すぎる部屋が余計に広く感じられる。
足元には造り付けの木机が壁に沿って置いてあった。
チェックインした後に気が付いたのだが、
このホテルは昨日飛行機の中で会った旅行会社に勤める青年が
紹介してくれると言っていたホテルだった。
彼は194DHできれいな部屋だからここがいいよと教えてくれていた。
でもその時は、私の中でのホテルの予算は50~100DHくらいだったので、
194DHの部屋なんてとても高く感じられた。
だから彼の申し出を受けるか受けまいか悩んでいるうちに、
いつの間にか流れがすっかり変わって別の安宿に泊まることになってしまった。
なのにたったの1晩予算通りの安宿に泊まってみただけで、
恐れをなして結局はこのホテルに泊まる事になってしまった。
しかも昨日の青年が云っていた値段よりも随分と高い値段で…
バーゲンで買った商品が、
別の店でもっと安く売られていたのを見つけてしまったときのような悔しい気もしたが、
いつまでもそんな事でクヨクヨしていても仕方がないと潔く諦め、
荷物を置いて早速Fezの観光へと出かけた。
この旅日記は、旅から戻ってすぐに集中して一週間くらいで書き上げた原稿が、
元になっています。
以前から友人達には少しずつ公表していたりしましたが、10年以上の月日を経て、
今回思い切ってこちらのブログでアップすることにしました。
最近の本当に深刻な不況のお陰で、
仕事の流れのスピードが少々ゆったりしてきたこともあり、
しばらくは物件写真の掲載などもまだできなそうだったことも一つありますが、
こういう時期だからこそ、あのときのあの旅で感じた思いなどを、
もう一度じっくりと思い出してみたいなと感じたりもしました。
ワタシの中での原点とも言えるべきあのモロッコでの数日間を再びなぞることで、
今に活かせるいろんなヒントがあるかもしれないと思った次第です。
時々ブレイクを入れますが、1日分ずつゆっくりアップしてゆきますので、
一緒に旅に出かけた気持ちになって、お楽しみいただけたらと思います。
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明け方、5:30頃 あまりにも寒くて目が覚めた。
昨日この部屋に入ったのが夕方5時頃で、そのまますぐに眠ってしまったから、
約12時間は眠れた。
寒さで縮こまっていたので、相変わらず身体を大の字にはできなかったけれど、
それでも横になって眠ったので少し元気が戻った。
窓際の脚の長さが違うガタガタ机に向かって絵日記を広げた。
机の上には、昨日飛行機からせしめてきた赤ワインが2本並んでいる。
結局最初の意気込みとは裏腹に飛行機から着服できたワインはこの2本だけだった。
喉が渇いていたので、明け方にも関わらずボトルの蓋をあけ、
赤ワインをラッパ飲みした。そしてカリコリと昨日の出来事を綴った。
朝8:30頃、1晩分の支払いを済ませ、荷物を持ってホテルを出た。
やはり私には、60DHの安ホテルは辛抱しきれなかったのだ。
とりあえず何か腹に収めようとホテルの側のカフェに腰掛ける。
朝食を頼み、しばしボーッと朝の街を眺める。
カフェには、本で見ていたとおり男の姿しか見えない。
今は東京でも少なくなった靴磨きの少年やおじさんが、
私に靴を磨かないかと言って寄ってきた。
首を横に振って断ると、彼等はとなりの席の男性に、
また断られてそのまたとなりの男性に、と声をかけて歩いていた。
なにか空しい光景だった。
陽光が舞い踊るイスラムの朝の中に、一条の影が落ちていた。
持てる者と持たざる者。
貧乏旅行には慣れていると思ったけれど、
仕事で何週間も事務所に泊まり込んで、惨めな生活送っているって思ったけれど、
それでもやっぱり私は、
豊かな国で豊かな時代に育った子供なんだなぁとしみじみ思った。
夕べの寝床は寒かった。
一応シャワーが付いていた部屋だったけど、お湯が出なくて泣きたくなった。
共同トイレは汚くて、恐くて、結局1度も行かずに我慢してしまった。
日本という国で生まれ、育った事が、
果たして私にとって本当に幸せな事なのかは判らない。
でも確かに、恵まれた環境にいるんだって事が少し理解できたような気がする。
あんなに日本で不況、不況って騒いでいても、
あれだけの生活水準を保っているのだから別にいいじゃないか…と思ってしまった。
今の自分の生活がとても有難く感じられた。
朝食を摂り、昨日お願いしていたガイドのラムラニさんと会った。
彼はジュラバを着て現れたので、最初誰だか分らなかった。
このジュラバは公認ガイドのユニフォームみたいな物らしい。
後から出会ったたくさんの彼の友達も、同じような色違いのジュラバを着て観光客と思しき人々と歩いていた。
早速私はラムラニさんに
「申し訳ないけどホテルを移りたい」と話し、
夕べのうちにガイドブックで目をつけていた新市街のホテルに車で連れていってもらった。
“Hotel de la Paix”
244DHでバス、トイレ付きのハッサン2世通りに面した部屋。
ちょっと(いや、かなり)高いが、どうしてもトイレだけは得体の知れないところだと、
恐くて便秘になりそうだったのでこの部屋に滞在することに決めた。
ここはツインルームになっていた。
きれいにベットメークされたベットが2台。
ゆったりとした距離を保って置かれている。
床はテラコッタ風のタイル貼りでベットの脇にカーペットがさり気なく敷かれている。
壁と天井は白い漆喰塗り。
天井が高く、もともと1人には広すぎる部屋が余計に広く感じられる。
足元には造り付けの木机が壁に沿って置いてあった。
チェックインした後に気が付いたのだが、
このホテルは昨日飛行機の中で会った旅行会社に勤める青年が
紹介してくれると言っていたホテルだった。
彼は194DHできれいな部屋だからここがいいよと教えてくれていた。
でもその時は、私の中でのホテルの予算は50~100DHくらいだったので、
194DHの部屋なんてとても高く感じられた。
だから彼の申し出を受けるか受けまいか悩んでいるうちに、
いつの間にか流れがすっかり変わって別の安宿に泊まることになってしまった。
なのにたったの1晩予算通りの安宿に泊まってみただけで、
恐れをなして結局はこのホテルに泊まる事になってしまった。
しかも昨日の青年が云っていた値段よりも随分と高い値段で…
バーゲンで買った商品が、
別の店でもっと安く売られていたのを見つけてしまったときのような悔しい気もしたが、
いつまでもそんな事でクヨクヨしていても仕方がないと潔く諦め、
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HN:
masu
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/09/27
職業:
一級建築士
趣味:
しばらくおあづけ状態ですが、スケッチブック片手にふらふらする一人旅
自己紹介:
世田谷で、夫婦二人の一級建築士事務所をやっています。新築マンションからデザインリフォーム等をはじめ、様々な用途の建築物の設計に携わっています。基本呑気な夫婦で更新ペースもぬるーく、更新内容も仕事に限らずゆるーく、でもていねいに、綴っています。
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お問い合わせ、メールはこちらへ masumka19690927@me.com
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