ノイファイミリーの日常、息子の成長など・・・
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何故、今なのか?
この旅日記は、旅から戻ってすぐに集中して一週間くらいで書き上げた原稿が、
元になっています。
以前から友人達には少しずつ公表していたりしましたが、10年以上の月日を経て、
今回思い切ってこちらのブログでアップすることにしました。
最近の本当に深刻な不況のお陰で、
仕事の流れのスピードが少々ゆったりしてきたこともあり、
しばらくは物件写真の掲載などもまだできなそうだったことも一つありますが、
こういう時期だからこそ、あのときのあの旅で感じた思いなどを、
もう一度じっくりと思い出してみたいなと感じたりもしました。
ワタシの中での原点とも言えるべきあのモロッコでの数日間を再びなぞることで、
今に活かせるいろんなヒントがあるかもしれないと思った次第です。
時々ブレイクを入れますが、1日分ずつゆっくりアップしてゆきますので、
一緒に旅に出かけた気持ちになって、お楽しみいただけたらと思います。
+ + + + + + + + + + + + + + + + + + +
明け方、5:30頃 あまりにも寒くて目が覚めた。
昨日この部屋に入ったのが夕方5時頃で、そのまますぐに眠ってしまったから、
約12時間は眠れた。
寒さで縮こまっていたので、相変わらず身体を大の字にはできなかったけれど、
それでも横になって眠ったので少し元気が戻った。
窓際の脚の長さが違うガタガタ机に向かって絵日記を広げた。
机の上には、昨日飛行機からせしめてきた赤ワインが2本並んでいる。
結局最初の意気込みとは裏腹に飛行機から着服できたワインはこの2本だけだった。
喉が渇いていたので、明け方にも関わらずボトルの蓋をあけ、
赤ワインをラッパ飲みした。そしてカリコリと昨日の出来事を綴った。
朝8:30頃、1晩分の支払いを済ませ、荷物を持ってホテルを出た。
やはり私には、60DHの安ホテルは辛抱しきれなかったのだ。
とりあえず何か腹に収めようとホテルの側のカフェに腰掛ける。
朝食を頼み、しばしボーッと朝の街を眺める。
カフェには、本で見ていたとおり男の姿しか見えない。
今は東京でも少なくなった靴磨きの少年やおじさんが、
私に靴を磨かないかと言って寄ってきた。
首を横に振って断ると、彼等はとなりの席の男性に、
また断られてそのまたとなりの男性に、と声をかけて歩いていた。
なにか空しい光景だった。
陽光が舞い踊るイスラムの朝の中に、一条の影が落ちていた。
持てる者と持たざる者。
貧乏旅行には慣れていると思ったけれど、
仕事で何週間も事務所に泊まり込んで、惨めな生活送っているって思ったけれど、
それでもやっぱり私は、
豊かな国で豊かな時代に育った子供なんだなぁとしみじみ思った。
夕べの寝床は寒かった。
一応シャワーが付いていた部屋だったけど、お湯が出なくて泣きたくなった。
共同トイレは汚くて、恐くて、結局1度も行かずに我慢してしまった。
日本という国で生まれ、育った事が、
果たして私にとって本当に幸せな事なのかは判らない。
でも確かに、恵まれた環境にいるんだって事が少し理解できたような気がする。
あんなに日本で不況、不況って騒いでいても、
あれだけの生活水準を保っているのだから別にいいじゃないか…と思ってしまった。
今の自分の生活がとても有難く感じられた。
朝食を摂り、昨日お願いしていたガイドのラムラニさんと会った。
彼はジュラバを着て現れたので、最初誰だか分らなかった。
このジュラバは公認ガイドのユニフォームみたいな物らしい。
後から出会ったたくさんの彼の友達も、同じような色違いのジュラバを着て観光客と思しき人々と歩いていた。
早速私はラムラニさんに
「申し訳ないけどホテルを移りたい」と話し、
夕べのうちにガイドブックで目をつけていた新市街のホテルに車で連れていってもらった。
“Hotel de la Paix”
244DHでバス、トイレ付きのハッサン2世通りに面した部屋。
ちょっと(いや、かなり)高いが、どうしてもトイレだけは得体の知れないところだと、
恐くて便秘になりそうだったのでこの部屋に滞在することに決めた。
ここはツインルームになっていた。
きれいにベットメークされたベットが2台。
ゆったりとした距離を保って置かれている。
床はテラコッタ風のタイル貼りでベットの脇にカーペットがさり気なく敷かれている。
壁と天井は白い漆喰塗り。
天井が高く、もともと1人には広すぎる部屋が余計に広く感じられる。
足元には造り付けの木机が壁に沿って置いてあった。
チェックインした後に気が付いたのだが、
このホテルは昨日飛行機の中で会った旅行会社に勤める青年が
紹介してくれると言っていたホテルだった。
彼は194DHできれいな部屋だからここがいいよと教えてくれていた。
でもその時は、私の中でのホテルの予算は50~100DHくらいだったので、
194DHの部屋なんてとても高く感じられた。
だから彼の申し出を受けるか受けまいか悩んでいるうちに、
いつの間にか流れがすっかり変わって別の安宿に泊まることになってしまった。
なのにたったの1晩予算通りの安宿に泊まってみただけで、
恐れをなして結局はこのホテルに泊まる事になってしまった。
しかも昨日の青年が云っていた値段よりも随分と高い値段で…
バーゲンで買った商品が、
別の店でもっと安く売られていたのを見つけてしまったときのような悔しい気もしたが、
いつまでもそんな事でクヨクヨしていても仕方がないと潔く諦め、
荷物を置いて早速Fezの観光へと出かけた。
この旅日記は、旅から戻ってすぐに集中して一週間くらいで書き上げた原稿が、
元になっています。
以前から友人達には少しずつ公表していたりしましたが、10年以上の月日を経て、
今回思い切ってこちらのブログでアップすることにしました。
最近の本当に深刻な不況のお陰で、
仕事の流れのスピードが少々ゆったりしてきたこともあり、
しばらくは物件写真の掲載などもまだできなそうだったことも一つありますが、
こういう時期だからこそ、あのときのあの旅で感じた思いなどを、
もう一度じっくりと思い出してみたいなと感じたりもしました。
ワタシの中での原点とも言えるべきあのモロッコでの数日間を再びなぞることで、
今に活かせるいろんなヒントがあるかもしれないと思った次第です。
時々ブレイクを入れますが、1日分ずつゆっくりアップしてゆきますので、
一緒に旅に出かけた気持ちになって、お楽しみいただけたらと思います。
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明け方、5:30頃 あまりにも寒くて目が覚めた。
昨日この部屋に入ったのが夕方5時頃で、そのまますぐに眠ってしまったから、
約12時間は眠れた。
寒さで縮こまっていたので、相変わらず身体を大の字にはできなかったけれど、
それでも横になって眠ったので少し元気が戻った。
窓際の脚の長さが違うガタガタ机に向かって絵日記を広げた。
机の上には、昨日飛行機からせしめてきた赤ワインが2本並んでいる。
結局最初の意気込みとは裏腹に飛行機から着服できたワインはこの2本だけだった。
喉が渇いていたので、明け方にも関わらずボトルの蓋をあけ、
赤ワインをラッパ飲みした。そしてカリコリと昨日の出来事を綴った。
朝8:30頃、1晩分の支払いを済ませ、荷物を持ってホテルを出た。
やはり私には、60DHの安ホテルは辛抱しきれなかったのだ。
とりあえず何か腹に収めようとホテルの側のカフェに腰掛ける。
朝食を頼み、しばしボーッと朝の街を眺める。
カフェには、本で見ていたとおり男の姿しか見えない。
今は東京でも少なくなった靴磨きの少年やおじさんが、
私に靴を磨かないかと言って寄ってきた。
首を横に振って断ると、彼等はとなりの席の男性に、
また断られてそのまたとなりの男性に、と声をかけて歩いていた。
なにか空しい光景だった。
陽光が舞い踊るイスラムの朝の中に、一条の影が落ちていた。
持てる者と持たざる者。
貧乏旅行には慣れていると思ったけれど、
仕事で何週間も事務所に泊まり込んで、惨めな生活送っているって思ったけれど、
それでもやっぱり私は、
豊かな国で豊かな時代に育った子供なんだなぁとしみじみ思った。
夕べの寝床は寒かった。
一応シャワーが付いていた部屋だったけど、お湯が出なくて泣きたくなった。
共同トイレは汚くて、恐くて、結局1度も行かずに我慢してしまった。
日本という国で生まれ、育った事が、
果たして私にとって本当に幸せな事なのかは判らない。
でも確かに、恵まれた環境にいるんだって事が少し理解できたような気がする。
あんなに日本で不況、不況って騒いでいても、
あれだけの生活水準を保っているのだから別にいいじゃないか…と思ってしまった。
今の自分の生活がとても有難く感じられた。
朝食を摂り、昨日お願いしていたガイドのラムラニさんと会った。
彼はジュラバを着て現れたので、最初誰だか分らなかった。
このジュラバは公認ガイドのユニフォームみたいな物らしい。
後から出会ったたくさんの彼の友達も、同じような色違いのジュラバを着て観光客と思しき人々と歩いていた。
早速私はラムラニさんに
「申し訳ないけどホテルを移りたい」と話し、
夕べのうちにガイドブックで目をつけていた新市街のホテルに車で連れていってもらった。
“Hotel de la Paix”
244DHでバス、トイレ付きのハッサン2世通りに面した部屋。
ちょっと(いや、かなり)高いが、どうしてもトイレだけは得体の知れないところだと、
恐くて便秘になりそうだったのでこの部屋に滞在することに決めた。
ここはツインルームになっていた。
きれいにベットメークされたベットが2台。
ゆったりとした距離を保って置かれている。
床はテラコッタ風のタイル貼りでベットの脇にカーペットがさり気なく敷かれている。
壁と天井は白い漆喰塗り。
天井が高く、もともと1人には広すぎる部屋が余計に広く感じられる。
足元には造り付けの木机が壁に沿って置いてあった。
チェックインした後に気が付いたのだが、
このホテルは昨日飛行機の中で会った旅行会社に勤める青年が
紹介してくれると言っていたホテルだった。
彼は194DHできれいな部屋だからここがいいよと教えてくれていた。
でもその時は、私の中でのホテルの予算は50~100DHくらいだったので、
194DHの部屋なんてとても高く感じられた。
だから彼の申し出を受けるか受けまいか悩んでいるうちに、
いつの間にか流れがすっかり変わって別の安宿に泊まることになってしまった。
なのにたったの1晩予算通りの安宿に泊まってみただけで、
恐れをなして結局はこのホテルに泊まる事になってしまった。
しかも昨日の青年が云っていた値段よりも随分と高い値段で…
バーゲンで買った商品が、
別の店でもっと安く売られていたのを見つけてしまったときのような悔しい気もしたが、
いつまでもそんな事でクヨクヨしていても仕方がないと潔く諦め、
荷物を置いて早速Fezの観光へと出かけた。
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HN:
masu
年齢:
55
性別:
女性
誕生日:
1969/09/27
職業:
一級建築士
趣味:
しばらくおあづけ状態ですが、スケッチブック片手にふらふらする一人旅
自己紹介:
世田谷で、夫婦二人の一級建築士事務所をやっています。新築マンションからデザインリフォーム等をはじめ、様々な用途の建築物の設計に携わっています。基本呑気な夫婦で更新ペースもぬるーく、更新内容も仕事に限らずゆるーく、でもていねいに、綴っています。
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お問い合わせ、メールはこちらへ masumka19690927@me.com
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